初島について


初島の集落

島の家の戸数は、江戸時代より41戸で、島の北西の海岸に沿った平地にかたまっています。古来よりこの地が選ばれて移動しないのは次のような原因があると思われます。
1.生活していくには水が必要です。昔、島でただ一つの自然湧水がここにありました。
2.せまい島なので、昔は自給自足で、耕地を確保するために一個所に固まった方が土地の有効な利用がはかられたからだと思います。
3.漁をするのに便利な港がこの北西側でありました。。
4.熱海、伊豆山、小田原が見渡せるところがここでありました。

集落の景観

昔は、自然石がきれいに並べられて、道と防風用に作られた石垣が作られていました。その道路は中央が一段と高くなっており、歩きやすかったそうです。また、集落から畑のある台地へは急な傾斜に石垣が組まれ風情があったということですが、これは、島に石が豊富にあったという理由ばかりでなく、台地の少ない土の流出を防止するためであったということです。また、松の防風林も今も大切に残されていますが、松食い虫の駆除も行われています。

初島の家屋

初島の家屋は、すべて、大正12年の大震災によって倒壊したあと建てられたものがさらに立て直されたものです。そのため、現代的ではありますが、3世帯が十分住めるゆとりをもった建物となっています。

台地の物置

集落と台地の畑は離れておりますので、畑のかたわらには、物置にあたる建物があります。これは、農具を置くためであり、昔は穀物を置いたり、横でブタやニワトリを飼っていたりもしました。家の中にある物置が、漁のための道具置き場なのに対して、台地の物置は農業のための道具を置いたものでした。

初島の年中行事

1月1日

元旦の日には、島内41戸より、一人ずつ出て初木神社にお神酒をあげて参拝します。。

初島の神社

初木神社

島の氏神には、初木姫を祭っています(が、神主さんはいません。)。境内には、亨保、元禄に建立された石灯籠もあります。お祭りは7月に行われ、鹿島踊りが奉納されます。また、初木姫に関する伝説については後に書くことにします。

龍神様

海や魚の神を祭ったものです。初木神社のできたころよりあったらしく現在でも、毎月人々がお参りをしています。

愛宕石の宮

アタゴサンは龍神様のそばの山の上に突き出た峰の上にあります。大きな松の根元に、三方を石垣で組んであります。初木神社の守りの人が世話をすることになっています。白い地蔵だったそうです。

山の神様

アタゴサンの祠(ほこら)の西20mのところにあります。ここには、昔、1月17日に関係の人が、お米三合三勺を清めて臼でつき、餅に丸めて、夜半、魚と餅を縄とともに持っていき、次の朝、神様が召し上がっていなければまた持っていく、食べていないと神様の機嫌が悪いと思ってどうしても食べなければ”ねぎさま”を呼んで詞をあげてもらっていたそうです。

大屋八幡

大屋八幡は、島の南方にあり、この祠(ほこら)の中の石を借りてきて、いぼをこするとぽろりと取れるそうです。その石は裏返して置きます。

東明寺

島にただ一つのお寺です。宗派は曹洞宗で、本尊は烈光如来です。文献によると、明治36年まで2つの寺があったのですが、学校を建てるにあたり、いっしょになったそうです。
なお、昔は村から出ていった次男、三男も死ぬと村に帰ってきて、寺で法事を営んでいたそうです。

伝説

初木姫

初木神社は、初木姫を祭っており、お祭りは7月18日に行われます。
祭日には山車を引き、鹿島踊りをします。(他に鹿島踊りをしているところはありますか。この鹿島は、鹿島アントラーズの鹿島神社と関係があるそうです。)
初木姫の伝説はいくつかあります。

1.その昔、人皇五代孝昭天皇の時代、(?)初木姫は、日向より東国順撫(?)に向う途中、初島の北、伊豆山沖で嵐にあい、遭難した。ただ一人初島に漂着された姫は(不明)

子どもの神様

昔、初木神社のところに、大きな目玉の一つしかない化け物が出て、子供や大人を困らせました。村人はいろいろ考えて、化け物が出ないように工夫して、神を造りそれを祭った。それからは化け物が出なくなった。今、子どもの神として神社の前にある。(サイノカミ)

行政財政

昔は、初島は熱海の網代町に属していましたが、現在では、熱海市の行政区となっています。
島内は、東組、東中組、西中組、西組、の4つの組があり、組親がいます。
初島区長は、島民の選挙によって選ばれ、農業漁業の共同組合長を兼務しています。

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