「カラダ」と「タマシイ」の話
           
カラとカラダ
 カラというのは、どういう意味でしょうか。 
  箱がカラだ。 中に何もないという意味です。
  卵のカラ   大切な中身のないケースです。
  カラオケ   歌のない伴奏だけの音楽です。  
 また次のようなカラもあります。  
「警察が踏み込んだ時は、犯人はすでに逃走し、アパートはもぬけのカラであった。」
 これらの共通の意味、つまりカラの本当の意味はなんでしょうか。
 カラの箱も犯人のいないアパートも主要な中味がぬけているイレモノです。
カラオケも主要な中味である人間の声が抜けている,残り全体です。

 ではカラダはカラと関係のある言葉でしょうか。 
 カラダをイレモノと考えると、中に血や筋肉や骨がある。 カラではないように見えます。
 しかし古代の人にとっては、カラダは中味のないイレモノでした。
 人間の中には大切なタマシイがあり、それが抜けた残り、カラッポなものがカラダだったのです。

昔の考えたカラダとタマシイ
 学者の研究がすすみ、日本人はもとから日本列島にいた縄文人と、中国揚子江の南からやってきた弥生人の混血・雑種である事が証明されています。   
 縄文人はアイヌ人とそっくりであり、顔が西洋人と同じように立体的でまゆが濃く、ひげも濃い。 弥生人は顔に凸凹が少なく、まゆやひげが薄い。 東北地方に住んでいて古代に天皇政府と戦ったエミシという人々が教科書に出てきますが、縄文人の血が濃い人々だと考えられています。。

 アイヌ人は普通の日本人(和人)と別の人種でなく、縄文人の子孫なのであり、アイヌ人の言葉や習慣には縄文人から伝わる古いものがあると考えられています。

 昔のアイヌ人は、タマシイにはヒモがついていて、カラダにつながっていると考えていました。 驚くとタマシイがカラダから抜け出してどこかにいってしまうから気絶すというのです。 ですから、気絶した人のタマシイを呼び出すオマジナイをしました。

 古代の日本人はどうでしょう。 百人一首には「タマノヲ」という言葉が出てきますが、タマはタマシイで、ヲ(woウォ)とは緒(ヲ)つまりヒモの事です。 タマシイにはヒモがついているというのです。
 タマシイの昔の日本語として普通なのは「タマ」ですが、万葉集に「ラマト」という言葉が出てきてやはりタマシイの事です。 一方アイヌ語では地方によって「タマッ」または「ラマッ」ですから、タマシイは縄文人の言葉が両方に伝わったと考えられます。 ヒモがついているという考えもそうです。

縄文人の考えが現代の日本人に残る?
 ですから、カラダは「カラであるもの」つまり「主要なもの、大切なものであるタマシイのぬけたイレモノ」という意味なのです。
 現在の科学では「考える」「感じる」はカラダの一部である脳の働きであるとします。 病気で脳が故障すると、感じる事ができなくなったり、ヘンな考えをする精神病になり、お医者さんが薬や手術で故障を直すと、もとに戻る。 
 心、精神は脳の働きであり、どこに電気が流れるとどういう感じがしどこで分子が動くとどう考えるのか世界中の医学者が研究しています。 

 しかし「カラダ」というと、なんとなく「精神、心」「考える・感じる」とは別のイレモノ、精神の抜けた「モノ」という感じです。 今の日本人の中に原始時代の縄文人の考えが残っているのではないでしょうか。