第1節 ギリシャに科学がおこる

質問 ギリシャという国を知っていますか。 面積は日本と比べて大きいですか、
小さいですか。
    地図を持参させる。
 2000年以上前のギリシャには科学者が多数いました。 この授業に出てくるだけで   
  デモクリトスとエピクロス  ものは小さい粒(原子)からできている
  アナクサゴラス       太陽は神様でない
  アリストテレス       地球は丸い
  ディカイアルコス      三角法
  エラトステネス       地球の大きさ
  アリスタルコス       太陽の大きさと地動説
 これだけいます。 
質問 日本列島では2000年以上前、人々はどんに暮らしをしていたか、社会の時間に習ったはずですが覚えていますか?
 日本列島では、縄文時代から弥生時代になってまもない頃です。 君たちくらいの男子がお父さんと一緒に弓矢をかついで野山を走り回る時代が終わり米をつくる時代に変わった時代です。
 歴史は通説と矛盾しないようにあいまいな記述とする。 通説は誤りで弥生時代は3000年以上前からという説のほうが正しい。 日本の考古学では縄文時代まではC14法によって年代を決めているので年代が信頼できるが、弥生時代と古墳時代の年代は大変怪しい。 何しろまず日本列島は悠久の太古・神代から天皇政府が統一支配していたという日本書紀の記述に従い、近畿地方で土器形式、瓦形式、古墳などの年代を決め、列島各地の土器、瓦、古墳は同じ形式なら近畿から伝わった以上近畿と同年代かいくらか遅いという仮定のもとに年代を決めている。 皇国史観に近い学者だけでなく、歴史科学を標榜する学者の大多数もそうなのだ。 C14法や年輪測定法という客観的年代測定値を弥生時代、古墳時代の列島全体で採用すれば九州の弥生時代が1000年早くなり太宰府、水城、鴻臚館などの主要九州遺跡は通説(天皇政府が作らせたという年代)より数百年古くなり、卑弥呼や倭の5王が九州の王様である可能性が極めて高いことになる。

問 2000年以上前のギリシャで科学が発達したわけは、ギリシャ人の頭が特別良いからだと考える人がいました。 その考えをどう思いますか?
 現在のギリシャでは科学が特別発達しているとはいえません。 ですから別にわけがあるのです。
 人間が米、麦、とうもろこし、などを作るようになってから古代の文明が発達しました。 一日中シカやウサギを追いかけていたのでは立派な建物を作ったり、読み書きを勉強したりする事ができない。 ですから世界のどこでも農業や牧畜がはじまるとまもなく文明社会となります。

 ギリシャ時代には中国、インド、イラクやイラン、エジプトなどに大きな都市があり文明が栄えていましたし、インディアンの住むメキシコや黒い皮膚をもつ人々が住むスーダンにも大きな都市がありました。 
   メキシコのテオチワカンは存在したし、マヤ地域でも最近この時代の大都市が発見され通説よりマヤの歴史はずっと古くなった。世界各地の遺跡の大型写真を図書室の本を使い適当にみせる。

 しかし科学が栄えたのはギリシャだけです。
 その理由を学者は「ギリシャだけが民主政治だったからだ」と言っています。
 昔の王様や皇帝は大変いばっていました。   もし先生が昔の王様や皇帝なら 「コラッ、オマエは王様(皇帝)の話をまじめに聞いていない無礼ブレイな奴じゃ。こいつをひっくくれ。」と家来に命令すると、○○君はたちまち絞首刑コウシュケイです。 皆さんのクラスには毎日絞首刑になりそうな生徒はいませんか?

 昔の王様や皇帝は太陽の神様などたくさんの神様をおがんでいました。  日本の太陽の神様は天照大神アマテラスオオミカミという女神で古代の天皇はその女神をおがんでいました。昔のギリシャの人々はアポロという太陽の神様をおがんでいました。
 そこで科学者が「太陽は神様と関係ないからおがむ必要はない」といったらどうなるでしょう。 太陽の神様をおがんでいる王様や皇帝、古代天皇などからブレイモノとされ、たちまち死刑になったに違いありません。

問題 そのころのギリシャでは1つの町が1つの国ですからギリシャは多数の国にわかれていました。 その中で特別有力な町はアテネとスパルタです。
 アテネは古代民主政といって、奴隷でない男だけの民主政治でした。それでも2000年前は世界一民主的でした。
 スパルタはスパルタ教育で有名な町で、民主政治でなく貴族政治でした。
 どれが事実だと思いますか?
  ア アテネには多数の科学者がいたがスパルタには一人もいなかった
  イ アテネほど多数ではないがスパルタにも科学者はいた
問題 アテネには多数の科学者がいましたが、スパルタの科学者は一人も記録に残っていません。 では芸術はどうでしょう。
  ア アテネではすぐれた建築家、彫刻家、演劇作家などが多数いたがスパルタにはいなかった。
  イ アテネほど多数ではないがスパルタにも芸術家はいた。
 アテネの彫刻や建築は現在見ても立派なものですから、ずっとあとの授業でアテネの彫刻の写真を見てもらいます。 アテネの演劇は2000年あとの今でもときどき上演されます。 日本でも上演された事がある。 スパルタには記録に残るような芸術家がいませんでした。
 
デモクリトスとエピクロス
質問 「風神雷神の図屏風」というこの有名な絵を知っていますか?国宝です。
     図書室か美術室にあるはず。
 日本の昔の人は雷の神様や風の神様を信じていたのです。
 ギリシャでも人々は雷の神様を信じていました。 そこにこれらの科学者が現れ、雷は神様のせいでなく、雲がぶつかりあっておこると主張しました。 雲のある時だけ雷がおこるという理由です。

質問 雷は何だか知っていますか?
 先生に人工の雷を見せてもらった事がなければ、見せてもらいましょう。
   1年で授業をしていたので、ここで誘導コイルを見せている。
 電池は1.5ボルト、家庭や学校で使う電気は100ボルトですが、この機械では約3万ボルトという強い電気ができ、その位の強い電気は空気の中でも通り火花が出てミニカミナリを作ります。 本物の雷は1億ボルト以上ですから、雲と地面の間を電気が飛び、巨大な火花が出、その時の「バシーン」「ドカーン」という音がほうぼうに反射してゴロゴロという音になります。

質問 この人たちの雷についての考えは間違っています。 でも雷は神様のせいだと考え神様をおがんでいる人たちとこの人たちの考えはどちらが本当に近いと思いますか?
 雷も風も神様のせい、太陽も月も神様、何でも神様のせいにしたのでは、研究する事がありません。 まちがいでも世界を科学的に説明しようとした点でこの人たちは立派なのです。
 この人たちは原子論つまり「ものはちいさい粒(原子)から出来ている」という考えを発表しました。 人間もその粒からできている。 人間が考えるときは、その粒が頭の中で動くというだけだ。何も不思議なことはないというのです。
   今の医学では「考える」とは電子や分子という粒が脳の中を特別な動き方をする事だという事になっています。どの部分でどの種類の分子や電子がが動くかで考えが違う。その動き方がくるうと精神病になり、お医者さんは働きの狂ったところを薬でなおします。
 何でも科学的に説明しようとする人々、つまり科学者がギリシャにあらわれたのです。

アナクサゴラス 「太陽は焼けた岩」
 アナクサゴラスはこの事をやさしく説明して宣伝したので、太陽の神様をおがんでいる人々が怒り「太陽の神様をバカにする悪いやつだ」とアナクサゴラスを捕まえ、アナクサゴラスは牢屋ロウヤにブチこまれてしまいました。 科学者を守ろうという人々(中心になったのはペリクレスという民主主義政治の中心になった人です)のために、すぐ牢屋から出ることができましたが…・。

質問 太陽は何でできているか知っていますか?
 太陽は「燃える水素の球」ですから、アナクサゴラスは固体と気体を間違えただけで、大体正しい。 その頃は科学が生まれたばかりで、太陽が固体か気体かを決めるほど科学が発達していないから間違いは仕方ありません。

アリストテレス 「地球は丸い」
 昔の人々は世界が平らだと思っていました。 ギリシャでもそうで、平らな世界をアトラスという神様がかついで
支えているという考えでした。 アリストテレスは書いています。
 もし世界が平らなら、世界中で見える星は同じはずではないか。 地球が丸いから、国や地方によって見える星が違うのだ。

  図でいうと、北極の近くにいれば、上のほうの星は見えますが、下のほうの星は地球が邪魔で見えません。
反対に南極に近いところにいれば、下の方向の星だけ見えて、上のほうの星は見えません。

 日本でいうと、たいていの地方では南十字星を見る事はできませんが、南十字星は南極に近い方向にあるからです。 しかし赤道に近い南の沖縄では見える時があります。

 
 また船からの景色も地球が丸いことを示している。 船が沖に出て行くとき、もし世界が平らなら町と山は同じように小さくなるはずだ。 しかし沖に出ると山は小さくなる一方町は見えなくなる。 これは地球が丸いからだ。



 ここで入れるべき写真を紛失したので絵で済ませて下さい。 筆者は9割の生徒より絵が下手です。
 晩秋になったら、伊豆の海岸から写し大島の写真と、ほとんど同時に写した標高100M程度の場所から写した大島の写真を写す予定。 海岸からだと大島の元町がかなり地平線に没してしまう・・・遠いから町がほとんど見えないのでない証拠に少し高いところから写した写真を入れるのです。


 アリストテレスは鯨が魚とは違った種類の動物である事を発見した科学者でもある。 ガリレオの伝記を読むとアリストテレスの間違った研究が出てきますが、科学がはじまったばかりの時代ですから、間違いは仕方ありません。 何でも神様のせいだと多数の神様をおがんでいた時代から研究をする時代になったというだけで大した事なのです。
 アリストテレスは科学を教える学校(塾といったほうが良いかも知れません)を世界最初につくり、科学を教えました。 アリストテレスの弟子デシ(生徒)から優秀な科学者が多数出ます。
 
ディカイアルコス 三角法

 弟子のディカイアルコスは三角法という、地図を作る方法を発明しました。数十年前まで日本の地図も三角法で作られていました。
 今 川の幅をはかるという例で三角法の説明をしましょう。Cに柳の木がはえていたとしましょう。 AとBに旗を立てます。
            C 


  
  角CAB(Aの角)が45度  角ABC(Bの角)が60度だったとします。

A- Bの距離は20メートルだとします。
           












   すると紙に1/100の縮図を書くことができる。 つまり角度は同じで、長さを20センチにした図を書くことができる。 図で川の幅は15センチ7ミリです。
  ですから川の幅は15メートル70センチです。

 中学の数学では図を書いて計算する事になりますが、三角関数という高校の数学を知ると図を書かなくても、2角挟辺の数字から計算できるようになります。 ここでは2つの角とその間の辺の長さがわかると知りたい長さもわかる、という事がわかれば良い。 

 大型分度器にものさしをつけ後ろから覗くという方法で「後ろの席2つと黒板の上の時計までの3角の座席側の角度を測り、巻尺で2つの席の距離を測った」数字を使い後部座席と時計との距離を計算かるという演習をやった場合のほうが多いのですが、やったほうが良いのかどうか不明ですから、時間節約でカット。
 
月までの距離
 月までの距離は誰が測ったのかわかりません。 本が伝わらない。 しかし科学者が丘に登り、2つの丘の距離と、丘から見る月の角度を測り計算したに違いない。 図1p6      
 月までの距離は約38万キロメートルです。 光が1秒ちょっとかかる。  ギリシャの科学者の測った数字は今の単位で約34万キロですから、1割くらいの狂いで、そのころの分度器の性能を考えれば運良くかなり正確な数字が出ています。

アリスタルコス 太陽までの距離と太陽の大きさ
 太陽は大変遠く、地球から1億5000万キロも離れています。 ですから地球の2つの丘から測ろうとしても、三角が細長すぎて、分度器がうまく使えません。
 そこでアリスタルコスは、2つの丘でなく月を1つの丘のかわりに使う事にしました。  
 図の通り月が半月の時は、月から見た太陽と地球との角度が90度ですから、そちらは測る必要がありません。 半月の時で昼間に太陽と月の角度を測れば、90度、34万キロという数字を使って計算できる。
     図1p7
 しかし分度器の性能が悪いなどさまざまな理由でアリスタルコスの計算した数字は10分の1近くになり、ひどく狂っていました。

 太陽までの距離がわかると大きさもわかる。

 1円玉の大きさは直径2センチですが、この実験をすると、2メートル(200センチ)くらいで1円玉と太陽の見える大きさが大体同じです。 つまり距離が大きさの100倍です。本当の距離は1億5000万キロですから大きさは直径約150万
キロで地球(周りが4万キロで直径は約1万3000キロ)の100倍以上です。 距離が狂ったので太陽の大きさの計算も狂い、本当の1/10位の大きさになってしまいました。 本当は地球の100倍以上なのに10倍。  
 それでも太陽が地球よりずっと大きいことはわかったのです。 


エラトステネス 地球の大きさを測る

質問 図で日本にいる人にとって下とはどっちですか?  
   図の日本にいる人にとって上とはどちらですか?
   図のオーストラリアにいる人にとって下とはどっちですか?
   図のオーストラリアにいる人にとって上とはどっちですか?
 地球の重力(万有引力)のためにモノは地球の中心の
ほうに落ちますが、その落ちる方向が「下」です。下
の反対方向が「上」です。





質問 君たちの住む場所では、太陽が真上にくる事がありますか?
 九州から北海道までの日本本土で太陽が真上から照る事はありません。 しかし沖縄の石垣島や宮古島まで行けばほとんど真上の太陽を見ることができます。

 エジプトでも北のアレキサンドリアでは太陽が真上にくる事はないが、南のシエネ(この町はなくなっている)では夏至ゲシの日 (一番昼が長く太陽が高くのぼる日)太陽が天頂(真上)にきます。
 エラトステネスはこれを利用して地球の大きさが測れることに気づきました。
 
















図のように、夏至の日シエネでは真上から太陽の光がくるが、アレキサンドリアでは真上から7.2度低くなったところから太陽の光がくる。
 そうすると、図のAの角度も7.2度です。 アレキサンドリアとシエネとの距離を約900キロとすれば、 7.2度で900キロ、また7.2度で900キロ。地球ひとまわりで360度ですが、それは7.2度の50倍です。 7.2度が50ある。
 900キロも50あるわけだから
900km × 50 = 45000km が地球1まわりの長さです。
 本当は40000kmですから、1割くらいの狂いで、かなり合っています。

  ちょうど40000kmとはヘンに聞こえます。しかしちょうど40000kmなのです。 そうなるように単位を決めたのです。 昔は国によって違った単位をつかっていました。  イギリスやアメリカではヤードとかフィートという単位で長さを測り、日本では尺とか寸という単位で長さを測っていました。これでは輸出輸入のとき大変不便です。   そこでフランスの政府が、全部の国で共通の単位メートルをつかおうと提案しました。  
 その単位がフランスの単位では他の国が反対するに決まっていますから、地球の大きさをもとにした単位にしようと提案したのです。

アリスタルコス 地動説
 地動説とは地球が動くという説です。
 アリスタルコスは小さい地球が大きい太陽をまわると考え、季節や太陽や星の動き方はそれで説明できると考えました。 この考えは正しく今の説明と同じですから、これからどうして季節が変化し、どうして夏は日が長く冬は短いのか、どうして夏は暑く、冬は寒いのか…・などを勉強しましょう。