明治維新と鳥羽伏見の戦い
質問 明治維新について知っていますか?
質問 明治維新の前には身分制度がありました。身分制度とはどんなものでしたか?
質問 明治維新より前には職業の自由がありましたか?
江戸時代は封建社会という社会です。 士農工商の「身分」があり、同じ武士でも大名の子が大名で、下の武士の子は下。 子供の職業は親と同じ。親と同じ方法で農業をし、同じ方法で道具を作り・…という江戸時代の社会では、何年たっても日本の国がほとんど変化せずほとんど豊かになりません。
日本が大発展するのは明治維新という革命のあとです。明治維新のあと、科学技術が発達し、遅れた貧しい国から豊かな先進国になりました。 どこの国でも封建社会をなくす革命のあとで、国が大発展し、人口も増えるのです。
質問 それまでは日本を支配する独裁者がいて将軍といい、その政府を幕府といいました。 明治維新のとき、将軍や幕府の人々は「もう身分制度はやめます。 どうぞみなさん日本を新しい国にして発達させて下さい」
といって、平和的に日本は新しい国になったと思いますか。 それとも日本を新しい国にしようとする人々と幕府の戦争になったと思いますか。
日本などたいていの国では、身分制度をやめる時戦争になっています。
問題 最初の戦争は京都のそばで起こりました。鳥羽伏見の戦いといいます。 新しい政治をしようとする人々の軍隊は大部分が薩摩藩つまり鹿児島県の人たちと、長州藩つまり山口県の人たちでした。 つまり薩摩長州連合軍と幕府軍とが戦争をしたのです。江戸幕府と幕府に従う大名たちは日本の大部分をおさめています。
兵力はどちらが多かったのでしょう?
ア 幕府軍 イ 薩摩長州連合軍
幕府軍の兵力は1万5000、薩摩長州連合軍は4500か5000だったといわれています。 途中から土佐藩つまり高知県の軍隊300が薩摩長州側に参加しますが、それをあわせても幕府軍は約3倍だったのです。
問題 その戦いではどちらが勝ったのでしょうか?
ア 幕府軍 イ 薩摩長州(土佐)連合軍
勝ったのは薩摩長州(土佐)連合軍のほうです。幕府軍が勝ったら明治維新はなく、身分制度が続いていたはずです。幕府軍は惨敗して、将軍は江戸に逃げました。
問題 幕府軍は3倍の兵力なのになぜ惨敗したと思いますか?
ア 武器が劣っていた イ 作戦がなっていない
薩摩長州連合軍の武器は主にイギリス製の中古の鉄砲や大砲でした。
ちょうどアメリカ南北戦争(奴隷解放とかリンカーンという人を知っていますか?)が終わったばかりで、アメリカでは大量の武器が要らなくなりましたから、それを買ったのです。
幕府軍のうち、幕府直属の軍隊(大名軍以外の軍隊)5000はフランス製の鉄砲や大砲で武装していました。その時代はイギリスとフランスが一番工業の発達した国で、また戦争の強い国でした。ですから武器の性能は大体同じだったようです。
しかし大名たちの指揮する軍隊合計1万の中には槍・刀や旧式(キュウシキ、火縄銃など古い型で性能が悪い)の鉄砲で武装した武士も多かったといいます。 しかし幕府直属の軍隊だけでも対等かそれ以上の力があり、1万を加えれば当然勝てたはずなのです。 ですから薩摩長州連合軍のほうでは子供だった明治天皇をつれて逃げる用意もしていました。 しかし実際には大勝です。
薩摩長州連合軍のほうでは、戦いのとき、散開サンカイ…つまり、横に広がり、全員がいっせいに鉄砲や大砲を撃ちました。 近代戦争では当たり前の作戦です。
ところが幕府軍のほうでは、行進隊形のまま戦争をはじめたと推定されています。 これでは前列の人しか鉄砲や大砲を撃つ事ができない。 それに多数の兵隊がかたまっていたのでは、敵の狙いはずれの弾が別の人に当たる事も多くなります。
ですから、兵力は多くても多数の鉄砲や大砲が役に立たず、敵の弾に当たる兵隊が多いというとんでもない戦争になってしまいました。
しかも幕府軍の大将に従うのは幕府5000の軍隊だけで、大名軍10000は大名たちが指揮していて大名毎に勝手に戦います。ですから、必要なところに兵力や大砲を集中するという近代的な戦争ができない。
それでも幕府軍は人数が多いので、二日目までは後退しながらも何とかもちこたえました。ところが三日目になると大名の一部が裏切りをはじめ、味方のはずの幕府軍に大砲を撃ちこむ大名まで現れました。
幕府軍は大混乱となって大阪に向かって敗走し、裏切る大名がつぎつぎに出て、将軍は江戸に逃げました。
密集して戦うというのは、武器が槍や火縄銃の時代の戦い方でした。
質問 幕府のおさめる日本の大部分の地方には近代的戦争に詳しい頭の良い人がいなかったのでしょうか。
質問 幕府では頭がよければ大将になれるでしょうか。
薩摩長州連合軍では、薩摩の西郷隆盛、長州の大村益次郎(最初の陸軍大臣)など優秀な人物が軍隊を指揮していました(土佐は板垣退助)。 身分が低くても優秀な人を大将にしたのです。 ところが、幕府では身分の高い
人を大将にしました。
幕府軍は身分制度など古い制度を守るために戦っています。しかしその制度では身分の低い者が高い者に命令してはいけない。
戦争の作戦に優れた人というのはほんの少ししかいないでしょう。身分の高い人はもともと少ないから、その中で作戦の上手な人はほとんどいないはずです。 そんなわけで幕府は無能な人を大将にし、そのために大敗したのです。 身分制度を守るために戦い、身分制度を守ったために惨敗し、身分制度など古い制度がなくなります。
そういうのを「矛盾」とか「自分で自分の首を絞める」といいます。 幕府は封建制度の矛盾のために大敗したのであり、幕府は亡ぶ運命にあったという事です。
幕臣でも勝海舟は近代戦争の知識を持っていた筈ですが、薩摩長州側と親しいというので戦争に参加していませんでした。
似ている日本の歴史とヨーロッパの歴史
イギリス、フランス、ドイツなどでも日本の江戸時代と似た封建時代という時代がありました。 同じような身分制度がある。地方をおさめるのは日本では大名ですが、ヨーロッパでは公爵・伯爵・男爵などが地方をおさめていて、その上に国王や皇帝がいます。 日本では地方をおさめる大名の上に将軍がいる。 ヨーロッパでは騎士があり、日本では武士がいて両方とも兵隊で農工商より身分が上です。
天皇はどうでしょうか。 当時日本にきたヨーロッパ学者たちが書いた本ではこう説明してあります。
日本に来る外国人は中国人、朝鮮人、オランダ人、琉球人(沖縄は当時外国)しかいないはずです。しかし実際にはオランダ人だという事にしてドイツやスウェーデンの一流学者が日本に入り日本を研究しました。
「日本には二人の皇帝がいる。 一人は実際の政治をする皇帝で江戸にいる。もう一人はローマ法王のような精神世界の皇帝で京都にいる」 将軍より天皇のほうが「位」は上という事になっていて将軍は天皇に任命してもらうという式がありました。 しかし実際には将軍のほうに実力があって、将軍が日本を支配しています。 ヨーロッパでもローマ法王が王様を任命するという事になっているが実際には王様の独裁という形の国がありました。
「明治維新」は、ヨーロッパやアメリカの本では「明治革命」といわれています。 西郷、大久保、高杉、木戸、坂本、板垣などを日本では「志士」といいますが、彼らはイギリス清教徒革命のクロンウェルやフランス大革命のロペスピエールと同じく革命の中心になった人間ですから、ヨーロッパやアメリカの人々から見ると「革命家」です。
カナダのノーマンという有名な学者は高杉晋作が奇兵隊を率いて幕府打倒に立ち上がったときの演説がイギリス革命のときのクロンウェルの演説によく似ている事を指摘しています。
世界の6大革命
明治維新は西洋人以外の人々が起こして成功した革命としては最初の革命であり、日本は西洋以外で最初の近代国家、先進国になりました。
日本の成功を見た朝鮮、中国・・・・トルコなど多数の国の人々が、明治維新を参考にして自分たちの国も近代国家を目指そうという運動をはじめました。
明治維新は世界中に大きな影響を与えたので、イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、中国の革命と共に世界の6大革命に数えられています。
大変すみません。 内容に2と3の誤りがあり訂正しました。