古代文明と人種

 古代の4大文明というのを知っていますか。 エジプト文明、メソポタミア文明(バビロニア文明)、インダス文明、中国文明ですね。 他の古代文明としては、アメリカ大陸のメソアメリカ文明(マヤ・アステカ文明)、アンデス文明があり、またアフリカのジンバブウェ文明、太平洋のイースター島文明などこれらと独立に発達した古代文明もあります。
 ところで、これらの古代文明をつくった人々はどんな人種だったか考えた事がありますか?
   図書室か美術室の本にある写真・・・

 学者は人種を4つ「コーカサス人種」「モンゴル人種」「アフリカ人種」「オーストラリア人種」に分けています。 これらはだいたい白色人種、黄色人種、黒色人種という分け方に近いが、オーストラリアの黒人は別とする。 オーストラリアに昔からいたアボリジニといわれる人々は黒いが、学者が遺伝子を調べるとモンゴル人種やコーカサス人種に近い。 人間は昔アフリカにしかいなかったので、もとは全員皮膚が黒かったと考えられています。 アフリカを出て日当たりの悪い地方に移り住んだ人の皮膚の色が薄くなり、白色人種や黄色人種ができたのですが、太陽光線の強いオーストラリアに進んだ人たちはまた黒くなりました。
   黄色人種は東南アジア人種と東アジア人種の2系統という説も有力。またアフリカ人種は遺伝的変異が大きく明らかに多系統なのでアフリカ人種だけ多数の人種に分ける事も可能です。 しかし直観的分類を考慮してこの程度とします。
 ここでは誰でもわかる白色人種、黄色人種、黒色人種という言葉を使います。

 古代エジプト人は何人種でしょう? 現代のエジプト人はほとんど白人です。しかし古代エジプトは今のスーダンの一部を含んでいた時代があり、古代エジプト人には白い人だけでなく黒い人がいました。ファラオ(王様)も白い人が多いが黒い人もいました。

 メソポタミア文明は? 今のイラクやイランの人はほとんど白人です。古代のバビロニアやシュメールの人々も白人です。しかしメソポタミアには多数の国があり、その中のエラムという大きな国(今のイラン南西部)は黒人の国でしたから、大部分は白人、一部黒人とするのが正しい。 有名な「ハムラピ法典」が書いてある石碑はエラムで発見されました。 エラムの王様がバビロニアの首都バビロンを征服したとき、持ち帰ったのです。

 インダス文明は? 最近になって、インダス文明人は今南インドにいるドラヴィダ人の先祖だという事がはっきりしたので、皮膚の色は黒という事になりました。 
 今のインド人の大部分は白人とインダス文明黒人との混血で、東の地方では黄色人種やその血の濃い人もいます。

 中国文明は誰でもわかりますね。 古代の中国人は今の中国人の先祖で、黄色人種に間違いありません。

 アメリカ大陸の古代文明2つはインディアンといわれた黄色人種の文明です。インディアンは氷河時代にシベリアから陸続きになったアラスカに渡ったモンゴル人種の子孫です。
 インディアンという名はインドの人という意味だからおかしいという理由で大昔アメリカ大陸に移った人々にアメリンドという言葉を科学者は使っています。

 アフリカ南部のジンバブウェ文明とイースター島文明は紀元後の文明になりますが、ジンバブウェ文明は黒人、イースター島文明は黄色人種の文明です。

 今の先進国はたいてい白色人種の国であり、日本が例外で黄色人種の国です。
 ただし韓国や中国が急速に追いついてきていて韓国は先進国までもう少しです。
 でも大昔の先進国では白、黒、黄色いろいろな人がいて白、黒、黄色いろいろな人が王様や皇帝になっていました。
 日本の北海道にいるアイヌ人は顔が立体的で眉やひげが濃く白色人種に似ているので最近まで白色人種に数えられていましたが、今は研究が進んでアイヌ人の骨は縄文人の骨とそっくりであり、遺伝子を調べると黄色人種に近い…つまり先祖が黄色人種だから黄色人種に数えるという事になっています。

イギリス、フランスや日本が先進国になった理由

 イギリスやドイツ、フランス、アメリカ白人、日本などの人々の先祖は古代4大文明が栄えていた時代には遅れていて、読み書きができず、酋長の治める村に住んでいたと考えられています。 先祖が遅れていたのに今はどうして進んだ暮らしをしているのでしょうか。

 それは近代社会をつくる革命が早かったからだと学者は言っています。 武士の子は武士、農民の子は農民・・・全員今までの通りの生活をしろ、新しいものを作るときは幕府の許可が必要・・・といった封建社会では、人々の暮らしがいつまでたってもほとんど変わりません。 革命によって身分制度がなくなり、新しい産業が多数でき発達すると、人々の暮らしが良くなっていきます。

 19世紀が終わるまでに革命が成功した国はほとんどイギリス、フランスなどヨーロッパの国( とアメリカ)で、アジアやアフリカで革命が成功したのは日本だけでした。 日本の革命は明治維新です。
 一番革命が早かったのはオランダで次がイギリスです。次がアメリカとフランス。 アジアでは日本が早い。 地図で見るとなにやら端っこの地方という感じです。 でも昔の文明の中心から離れた端っこのほうが先に革命が成功したのです。
 
 その原因は、それまで進んでいた大きく強い国ではなかなか新しい考えの人たちが強い王様、強い皇帝に勝てないからだと考えられています。 日本の内部でも、江戸や大阪、京都といった政治や経済の中心地でなく、長州藩(今の山口県)や薩摩藩(今の鹿児島県)で革命派が優勢になり、その西洋式軍隊(当時進んでいたイギリスやフランス、オランダ、アメリカなどと同じく、身分でなく実力主義・最新式武器・科学的戦法の軍隊)が幕府軍に勝って明治維新という日本の革命が成功します。
  江戸幕府の将軍は、ヨーロッパの本に日本国皇帝と書かれています。

 では端っこのほうはみな先進国になったかといえばそうでない。 あまりおくれていたのでは、追いつき追い抜く事ができないからです。 江戸時代の日本は封建制度の国としては多数の人々が豊かな暮らしをしていて、文化の程度も高く世界歴史上最高クラスの大画家とされる北斎やヨーロッパにほとんど追いつくところまで数学研究をすすめた(ですから大学で習う数学公式のうちほんの少しですが江戸時代の日本で世界最初に発見されたものがあります)関孝和のような大天才も出ました。
 西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、坂本竜馬、板垣退助など優秀な革命家も出たのです。
  
 日本の明治維新を見て、アジアでは封建制度をあらためて近代的な国を作ろうとか、封建制度のために遅れて弱いからイギリス軍、フランス軍、スペイン軍、アメリカ軍、オランダ軍などに占領されてしまったという自分たちの国を独立させ近代化しようとする運動が盛んになりました。 それで世界の多くの歴史学者が日本の明治維新をイギリス革命、アメリカ独立戦争、フランス大革命、ロシア革命、中国革命とともに世界の6大革命に数えています。これらは皆多数の国の歴史に大きな影響を与えた革命です。