川の堆積作用と土石流の話

関東平野と大阪平野

 谷川では水の流れる勢いで、土、砂、小石、大石、岩などが流される事があります。 川のかなり下流で上流にある岩のかけらが見つかることは珍しくない。でも、谷川はたいてい透明に澄んだ水です。  透明で澄んだ水の川に土、砂、小石、大石、岩などが流されていますか?
 私たちが見る日本の川の水はたいてい透明ですから岩や石はもちろん、土もほとんど流れてはいません。
 でも上流の岩のかけらがあるのですから、川には石や岩を流す働きがあるはずです。

 台風や梅雨終わり頃の大雨のあと、川や滝を見た人はいませんか?
 川は物凄く増水し、にごっていて土や砂が流れている事がわかります。滝はまるで別の滝のような勢いで、石ころを落とすことも普通です。 物凄い雨だとかなり大きな石や岩まで押し流します。

 そういう激しい流れでも、川の傾斜がゆるくなれば、流れはゆっくりになりますから、運んできた土、砂、小石、大石、岩などは動かなくなり、そこに止まる事になります。 傾斜の緩いところに何回も土砂がたまるとそこはだんだん高くなり、ついに川の底のほうがまわりより高くなり川は氾濫して大洪水となり、流れを変える事もあります。

 昔の大洪水が何回もあったため、そこらじゅうに石や土がばらまかれて平らになるのを繰り返していました。 日本一広い平野で東京のある関東平野も大洪水が何回もあってできたのです。
 でも日本一の水量がある利根川をはじめ、荒川、多摩川などはいつ大洪水になったのでしょう?


 日本の敗戦後しばらくはアメリカ軍が日本を占領していたので、台風には英語の名がつけられました。 その中で一番大きな被害があった台風が1947年のKathleenカスリーンという台風です。 図は、埼玉県北部の栗橋で利根川の堤防(土手)が崩れ、あふれた利根川の
水が流れて洪水になった場所の地図です。

 埼玉県の一番北のほうから、東京の葛飾区、江戸川区まで泥水の巨大な川になってしまい、約38万の家が流されるか浸水し、約2000人の人が死亡・行方不明となりました。
 堤防がなければ、今でもこれらの場所は大雨のとき泥水の中という可能性がある。
 またほかのところで堤防が壊れたら、ほかのところが水没する事になり、東京の
東半分、下町といわれる部分は大雨が降れば川に化ける可能性があるのです。 

 原始時代の人々は堤防をつくる技術を持っていなかったので、利根川など大きな
川は台風などの大雨のたびに大暴れし、泥や砂を運んでいました。 
 関東平野は洪水のとき川が運んだ泥や砂からできたのです。
 










 図は科学者の研究でわかった2000年前の大阪の地図です。
 今の大阪平野の真ん中は湖でした。
 現在日本に残っている日本歴史の本で一番古い古事記、二番目に古い日本書紀といった本には天皇の先祖にあたる九州の豪族が船で攻めていった時、盾津タテヅというところに上陸し、もとからいたナガスネヒコという豪族の軍と戦って負けたと書いてあります。
   その後熊野に上陸し、山の中を通って奈良に出、今度は勝って奈良盆地を支配するようになったと書いてある。

 つまり2000年前盾津まで水が来ていた事が言い伝えられて来た事がわかる。 
 今盾津は環状線の東側、山の近くですから大阪の地図を見てください。
    電子地図で盾津中学を調べるのが簡単です。
 そのあと主に淀川と大和川が運んできた土砂で湖が埋まってしまっ たのです。 
  






扇状地
 今度は急流の谷川を考えましょう。 水の勢いがよいので、台風や梅雨の大雨のときにはかなり大きな岩まで運びます。
 急なところからなだらかな所に出ると、川の流れはゆっくりになります。 そうすると今まで運んできた石、砂、泥などを置いてゆく事になります。
 ですから急流からなだらかな場所に変わったところは泥、砂、石などが堆積し(タイセキとはたまってつもる事)かなり平らな土地になります。  これが社会の時間に習う扇状地です。

 扇状地とは洪水のとき川が運んできた石や砂、泥からできた場所ですから、大雨のときは、また石や砂、泥を運ぶ川の流れ…土石流ドセキリュウという…がやってくる可能性があります。
 ですから、扇状地では川が入ってくるところが特別危険な所という事になります。 昔の人は老人の経験を大切にし、そのような危ない場所には家を建てず、田や畑にしていました。 何十年に1回という位ですが、土石流にやられる。
 ところが現代ではそのような危険な場所にも温泉旅館や普通の家が多数建っています。
   授業では土石流直後の新穂高温泉に行った話。被害にあった旅館は新入業者の旅館で昔から住んでいる人たちは危険を知っていてそこに旅館を作らなかったとい
  う近隣の人々の話でした。水晶岳・黒部五郎岳から降りて来て泊まったのです。

 
大地震と三角州、扇状地の話
 川が運んできた泥や砂が十分かたまっていないと、大地震で土地が激しく揺れたとき「三態変化」で勉強したように泥粒や砂粒が「動く粒」になってしまい、土地が液体に近くなります。 ですから揺れは大きく、建物が倒れやすい。 東京では下町と呼ばれる東側がそのような場所です。 大阪では環状線の中が特に危険という事になります。 そのような場所に住んでいる時は、地震にたいして丈夫な家を
つくる事が特に大切という事になります。
 神戸の大地震の前、神戸は特別地震の少ないところだという宣伝がされましたが、そんな事はありません。神戸市の北にそびえる六甲山は1000回位の大地震の度に少しづつ断層がズレ、高くなってできた山です。 その大地震のもとになった断層は神戸市にもそのまわりにもある事は学者の常識でした。日本中大地震のない場所はなく、北九州が割に少ないという程度です。