戦争の科学の話

 武器の科学でなく、戦争の科学、基本法則を最初に研究した人はドイツのクラウゼウィッツ将軍だといわれています。

1.近代戦争の基本法則
問題 今、平野で1000人の軍隊が向かい合っているとします。 穴も堀もついたてもないところです。 武器は鉄砲だけ。 その鉄砲は昔のもので1分に1発しか撃てないとします。 兵隊の腕前も全員同じで、10発に1発あたり、当たったら死ぬとします。

 このとき1000人全員を出して戦うのが良いでしょうか。 それともはじめ500人をだしてあとから残り500人を出すのが良いでしょうか。
 では計算してみましょう。

 最初の1分で、1000人のほうは1000発うつ。 ですから500人のほうは100人死んで400人となります。
 500人のほうは、500発うつ。 すると50発あたって50人死ぬ。残りは950人です。

 次の1分で950人が950発うって、敵は95人死ぬ。 400-95ですから、生き残りは305です。 一方400人のほうは400発うつから40発当たる。 40人死ぬから、のこりは950-40で910人です。

 その次は910人が910発うって91人死ぬから、もと500人のほうは305-91で214人しか残らない。 この位で降参となりますが、もと1000人のほうは31人の損害ですから損害は500対121です。 降参したほうから、参加者がでれば、
損害0やマイナスかも知れません。 
 つまり人数が多いと圧倒的に勝つのです。

 もちろん鉄砲と弓矢・槍のように武器が違う戦争の場合は例外になる。 また明治維新のときの江戸幕府と薩摩・長州連合軍との戦争のように、片方が優秀な大将、片方の大将は身分が高いだけという場合も例外です。 4500対15000なのに幕府軍は惨敗。

 近代的軍隊同士の戦争では兵力を集中するほうが圧倒的有利というのが原則です。最初の話でいうと、槍・刀で戦う昔は、500人づつ出す戦法もありました。 500人でテキトウに負けながら戦い、敵が疲れたころ、休養していた500を出すのです。しかし近代的戦争でそんな戦法は通用しない。

2.経済力と戦争
 第2次世界大戦のとき、日本対アメリカでは最初のうちは日本が連戦連勝で、1年あとからはアメリカが連戦連勝となりました。 ドイツ対ソ連の戦争でも同様でした。 なぜ「勝ったり負けたり」ではないのでしょうか。

 日本とアメリカの戦いは太平洋で行われましたから、中心になる戦いは航空母艦から飛び立つ飛行機の戦いでした。 ドイツとソ連は陸つづきですから戦車の戦いが中心でした。

 現在の日本の工業の力は世界第二位、アメリカの半分程度と考えられていますが、当時は1/10程度でした。 アメリカのほうが飛行機や軍艦をずっとたくさん作ることができたのです。

 しかし日本は軍国主義でしたから、国民の生活を犠牲にし無理をして軍艦や飛行機をたくさん作っていました。 ですからすぐ主力決戦となれば、日本にも勝つ可能性がある。 しかし長期戦になれば、アメリカのほうが飛行機や軍艦を毎年たくさん作る事になりアメリカが圧倒的に勝つでしょう。

 戦いはそのとおりになりました。 アメリカは今決戦をすれば負ける可能性がありますから、テキトウに戦いながら逃げるという作戦です。 最初の1年は日本軍の連戦連勝。
 しかしそのあとはアメリカ軍の連戦連勝で、最後は日本の降伏。
  山本海軍司令官など、海軍の指導者の多くはこの結果を予想していたと言われています。しかし陸軍との対抗上「戦争に負ける」とはっきり言うわけには行かなかったと考えられています。

 ドイツとソ連との戦いでもスタ−リングラ−ドの戦い、クルスクの戦いまではドイツ軍の連戦連勝、そのあとはソ連軍の連戦連勝でドイツの降伏となりました。 ソ連軍の戦車のほうが多くなったからです。

3. 遊撃戦…・ゲリラ 
 これだけだと、近代戦争では経済大国がかならず勝つことになってしまう。  しかし20世紀後半になっても、世界一の武力、経済力のアメリカはヴェトナムで負けて撤退し、当時第2位のソ連はアフガニスタンで敗退しました。
 ヴェトナムもアフガニスタンも貧しい国で、アメリカやソ連に比べれば、武器も人口も経済力も圧倒的に劣っています。 それなのにアメリカ軍やソ連軍が負ける。どうしてでしょうか。

 中国最初の主席(大統領にあたる)になった毛沢東という人は、「今は劣勢であっても、人民の支持があれば勝てる」という理論を若い時につくり、後で本にしました。
 その時代は、中国が蒋介石軍(今の台湾のほう)と毛沢東軍(今の中国のほう)にわかれて戦争をしていました。 蒋介石軍は100万以上、毛沢東軍は20万以下です。

 毛沢東は20万が必ず勝つと主張しました。 どうしてでしょうか。  歴史の教科書や普通の本には書いてないが、「軍隊はイコ−ル殺人強盗団であり、痴漢集団も兼ねる」というのが普通なのです。 つまり軍隊は警察より強い
から、兵隊は強盗や殺人を勝手にやり、女性を襲う。 昔の日本軍も中国や東南アジアで強盗殺人痴漢をやっていました。

 蒋介石軍もそうです。 これに対し、毛沢東は「絶対に泥棒、強盗、痴漢行為をしない軍隊」を作りました。 どうしても食料が足りなければ金を払うのです。  
  日本でも明治維新の時の長州奇兵隊とか、秩父事件のときの自由党軍(困民軍)はそういう軍隊です。

 毛沢東は書いています。 「敵が攻めてきたら、山に逃げてしまえ。」 山の中に100万や10万の集まる場所はありません。敵はせいぜい2000、普通は数百、数十程度に分かれて攻めてきます。 山の中にも樵キコリや狩人、山菜とりの住民などがいます。 ですから住民が味方ならば、「どこに200います。どこに500います…・」と教えてくれる。
 そこで200に対して400で待ち伏せ攻撃や奇襲攻撃をかける。 もともと人数が多い上に、不意打ちで敵は戦う用意ができていないから、圧倒的に勝つ。 

 これを繰り返せば、敵はどんどん減って行くが、味方はあまり減らず、戦いの中で住民の中から参加者が出たり、捕虜の中から参加者が出てかえって味方が増える。 住民は強盗殺人痴漢の被害者ですから、毛沢東軍に勝ってもらいたいと思い毛沢東軍に味方します。 また一部の捕虜は正義の味方、自分たち普通の人の味方がどちらの軍隊か考え直すのです。

 そして自分のほうが敵より優勢になったら、総反撃に出て、逃げる敵を追いかけながら平地に進出する。 海軍はこの方法に関係ないから、蒋介石軍は海を渡って台湾に逃げました。

  毛沢東軍が勝ったもう1つの原因は、大地主の土地をただで取り上げ実際に働いている農民に分配した農地改革だといわれています。蒋介石は大地主の味方でした。日本では敗戦後に農地改革が行われますが、その場合に土地を取り上げられたのは比較的小さい地主です。江戸時代からの大地主は明治維新のときなくなりました。明治政府は土地のかわりに国債を支払い、その国債を会社に投資させました。日本では大地主の多くが近代的な資本家に生まれ変わったのですが中国では昔のままでした。

 この戦法で、日本軍は毛沢東側の中国軍に敗北することが多かったのですし、世界最強を争っていたアメリカ軍もソ連軍も敗北する戦いが多くなりました。 
 こういう戦いを遊撃戦といい、こういう戦いかたをする軍隊の兵士をゲリラといいます。 
 ですから最近まではゲリラのほうが住民の味方でゲリラと戦っている政府軍のほうが独裁者や外国の傀儡(カイライ、つまり家来)の子分の集まりと考えてよかったのです。

現代のゲリラ
 ただし現在はその判断があたらないことも多くなりました。  人工衛星に積むテレビカメラの性能が良くなったからです。 アメリカ軍かロシア軍を味方にすれば、住民に対して殺人強盗をするほうの軍隊でも、遊撃戦ができる場合があります。 
 人工衛星から写した写真から敵の軍隊の場所と兵力を知ることができる。
 ですから、現在はゲリラが住民の味方で、政府軍は独裁者か外国傀儡の軍隊という判断は正しくないこともあります。