要するに生徒の不満を潜行させる文化発表会、一定部分の生徒を弾圧するクラス参加式、生徒の希望・要求対策が大問題のグループ参加式文化祭とどれでも問題はあるのだ。
グループ式文化祭では数人―十数人の企画で展示、演劇、実演などをやるので企画数は大変多くなり、全教室を使用し、普通教室でも演劇、人形劇、実演、音楽などをやる事になる。 演劇や実演を同時に多数の場所でやっているから教師が生徒全員を体育館(講堂)に入れて監督したり、全員つれて展示見学をやる事は不可能であり、自由見学となって生徒は好きなところに行く事になる。まず問題になるのは完全自由企画だと「売店」「金魚掬い」「お化け屋敷」の類の低俗な企画つまりつまらない生活からの逃避的企画が多くなるという問題である。 当然ながら、他の行事がつまらないものであればあるほどこの問題は深刻である。 その中で特に問題になるのは、「うるさい音楽」の企画である。 文部省検定の音楽教科書にある大多数の歌の芸術性が極めて低いために、民間教育団体に属する音楽教師に習った生徒でない限り、大多数の生徒は瞬間的なリズムと言葉の抑揚しか感じないというという状態に近く、「リズムと言葉と演奏中服装・演技だけの原始的音楽」しか理解できない事になりやすい。 良くて和音の協和性を感ずる程度だ。 しかも受験競争と授業中弾圧に苦しめられているのだから、多数の生徒がストレス発散音楽を好きになるのは当然である。 問題児とは現在の学校生活に耐える事が困難な生徒であるから、彼らはなおさらストレス発散音楽の熱狂的ファンになりやすい。 事実「普通」生徒の演奏と問題児演奏では、同じストレス発散音楽でも後者の芸術性がずっと低く、音量ばかり大きいのが普通である。
酒井氏は主張した。 「彼らのやっている事で100%後ろ向きではない事といったら、楽器演奏の練習くらいしかないではないか。 現在彼らが立っている地点、つまり彼らの生活・意識から出発せず、教師の理想を押し付けるのは教育的でない。 他の企画や近所の迷惑にならない音量や時間とし、生徒らしい服装にするなどの制限をつけて許可すべきだ。」 彼らが存在しているのに彼らの存在を無視する弾圧教育一点張りでは彼らを別の方面でのストレス発散に向かわせる、つまり非行が進行するという事になろう。文化発表会プラス自由企画
初年度はこれから出発したほうが保守派の抵抗が少ない。 お仕着せ企画のほかに、自由企画を認めるが、それは同一学年生徒のグループとし、学年教師会が認めたものに限るという事にすれば大多数の教師は安心する。 それでもおしきせ企画100%の場合より生徒に支持され生徒の前進が期待できるからそう提案する。
「これまで多数の学校では
『努力を嫌いただ遊ぶのが良いという生徒が多いと売店とかおばけ屋敷の企画ばかりになり、金と時間を無駄にする何の役にも立たない行事だと親から苦情が出るし、教育委員会から校長先生が叱られ、生徒にとっても結局みな同じようでつまらなくなる』
『仲間はずれが出たり、何もしない怠け浪人が出来る。』
『うるさい音楽の演奏で、近所から苦情が出、校長先生、教頭先生をはじめとする先生達が頭を下げてまわる事になる』
などの理由で、グループ参加式文化祭に反対する先生が多数派でした。」
この学校でも同じ心配をしている先生が多数います。
心配をしなくても良い方法があるでしょうか。」
「最初の自由グループ式文化祭をやった学校では次のようにしましたが、君たちはどう思いますか?
企画は全部『生徒の勉強になるもの』とする。 ただしその勉強とは学校の勉強でなくても良い事にする。
売店でお菓子を売って食べるのは勉強にならないからダメだが、お菓子の作り方を覚え自分たちで作ったものを見学の人と食べたり、見学の人とお菓子をつくるのは家庭科の勉強だから良い事にする。 金魚掬いはダメだが、釣りの科学とか魚の科学という勉強の発表の中に金魚釣りがあっても理科の勉強だから良い事にする。 部活動の模範演技も体育の勉強だから良い事にする。 また部活動の中身と関係なく、例えばサッカー部が1年から3年まで一緒になって演劇をやるのも、国語の勉強だから良い事にする。
売っているゲームをやるのはダメだが、自分たちで作ったゲームを発表して見学の人と遊ぶのは技術の勉強だから良い事にする」
お化け屋敷も他人の真似でなく、工夫が面白く、先生方も『これは面白い』と考える優秀なものなら許可になる」
「これでどうですか? 」
一発で決まる。