因数分解の難問は剰余の定理か二次方程式根の公式を使う方法でたいてい簡単 にできるし、パラメーター変動によるグラフの範囲は偏微分でたいてい簡単にで きる…など上級数学を知っていれば難問がイチコロという場合は多い。 そもそ も多数の大学教官は上級数学で簡単に解ける問題を文部省指導要領の範囲の数学 で解けるかどうかやってみる、という事で問題を作る事が少なくないように感じ られる。 彼らにとっても受験数学は厄介で退屈な代物であり、そのような方法 で問題を作るのが楽であろう。
そもそも高等数学のレベルを規定する指導要領は必要であろうか? 大学 入試にはいくら高等な数学であろうが、また数学オリッピックに出題される ような面白い問題を出そうが予告つき自由というのが合理的ではなかろう か? 受験術の勉強と違い、それらの勉強は有用だからだ。一方高校の理科と大学教養の理科との違いは小さい。 片方は微積分など数学 を使い、より正確な知識を与えるだけの違いといったら、間違いだろうか。 だ から中学段階で微積分など高校の数学を学んでしまえば、高校の理科を勉強せず、 大学生向けでやさしく書かれた本を使い勉強すれば3年間分の勉強カットが事が可能 である。 そして高校生用の良い本は少ないが、大学生向けの良 い入門書は多いのだ。 指導要領の制約がなければ、本を書きやすいという事には誰でも賛成であろう。
上記の理由で、まず中学高校の数学を極力短期間で済ませ、大学用の数学、物 理、化学などにとりかかるようにする。そのような生徒は理数が5の生徒とは一致しない。 仮説実験授業(または玉田 式授業、中原式授業)で、優れた成績の生徒が可能である。 生徒列伝のS君は小学生時 代成績が最劣等クラスであったが、仮説実験授業でのテスト得点はクラス最高、 討論発言内容も優れているという生徒で、「面白ければ最高レベルの能力を示す」 から自主勉強で微積分を使うパルス回路の勉強に達したのである。 塾で点取り 術の猛勉強をして5になっている生徒は自主勉強に向いていない。 塾に行かず に5が取れる生徒なら例外なく仮説実験授業でのテスト得点が高く、理数自主勉 強に向いているであろう。 中学1年で中学生用テキスト終了なら3年卒業までに 高校レベルの微積分終了が期待できる。
テキストとして初期には文教出版の教科書.あとでは麦の芽出版会の自習書を 用いた。 水道方式に従うからテキストとして最善と考えられる。 いずれも絶 版だが筆者が買いだめしておいたものを使用した。 2007現在何を用いるべきか は、数教協メンバーの教師に聞けばわかるであろう。これらのテキストの問題は普通の生徒向きになっているから、半分だけやるよ うにする。 理数得意なのだからそれでたいてい間に合う。 例外として次に進 んでわからなかった時だけは前にもどり全部解く事にすれば良い。
また一時流行した現代化の部分は、学校で習う程度で良いとして自主勉強から 除外した。 現代的数学のある分野の教科書の最初の1ページだけやって何かの役 に立つとは考えられない。 その数学分野の考え方がある程度身につくまで やるのでなければならない。中途半端な勉強ではすぐ内容を忘れ るだけだから勉強が時間の空費である。また幾何も学校でならう程度で良いとし て省略。ヴェクトルや解析幾何に速く達するほうが良かろう。わからない場合は筆者に質問するという事になっているがほとんど質問はない。 その位テキストがわかりやすくできていて、「…ナラサルヘカラス」などと書いて あり文章の意味を取るのさえ苦労した筆者の少年時代とは天地ほどの違いがある。 枝葉を無視し、極力早く微積分に到達する事を目指す。
では理科はどうするのかというと、良い本を薦めるだけで中学理科はすませる のである。 例の板倉氏の諸著書をはじめ、良い本はかなりある。 筆者より科 学読み物研究会の方々のほうが詳しいであろう。 高校理科は無視する。 微積分に達したら大学劣等生向き?と思われる基本的な 事の説明ばかり長く丁寧で直観的な理解を重視する本を推薦する。中学生は日本語で考える習慣が出来上がっているから、心理学的に考えれば、 英語も日本語に変換されて理解される。 日本語の難しい単語が国語辞書にある やさしい単語の組み合わせに変換されて理解されるのと同様である。 だから英語と絵、身振り手まねで教えても、はじめのうちは生徒が日本語の助 けを借りて理解する。 ただしどのような日本語の助けを借りるかが問題である。
教科書のような少数例では、大多数の生徒の場合単語理解や構文理解が条件反 射にならないはずで、漢文返り読みのような英語単語−日本語単語の1対1対応 による置換と構文イコール返り読み規則という理解の仕方が自然発生しやすい。 初期のうちはそれが最も容易な理解方法だからである。
日本語の難しい単語を学ぶ時は、辞書ほ引いてやさしい日本語単語の組み合わせ
に変換して理解する。 何回かその単語に対すれば条件反射が成立し直観的にその
単語の意味がわかるようになる。「・・・ナラサルヘカラス」などという面倒な言
い方も同様に初めは日本語の組み合わせに変換されて理解され、そのうちに条件反射
が成立して直観的にわかるようになる。英語単語や構文をを日本語の組み合わせ・つ
まり説明に変換するようにするのが心理学的に無理のない方法であろう。学習が
進めば難しい日本語と同様に条件反射が成立し直観的に理解されるようになる。
そうでないと後で困る。 筆者の例でいえばmay−「かも知れない」という1
対1対応による置換が身についていたので、科学論文を誤解したのである。 「証
拠はいろいろあるが決定的な証拠はない」場合にmayが使われる事が普通で、そ
の場合は「であろう」という日本語に相当する。 「かも知れない」という程度
に不確実な場合はmightが使われている。 それがわかるまで時間がかかり、先
輩に確かめてやっと自信がついた。 植物の説明を見ればblueや orangeが日本
語の青や橙色と異なる場合が多いのでので驚く。 Itやonに相当する日本語単語
がない事は誰でもすぐわかる。
だから本来はテキストが次の3条件を満たす必要があると考えられる。
A 同一構文が多数例絵入りとなっていて、構文理解が条件反射となりやすい事。
B 日本語にかなり近い意味の単語は1例で良いが、そうでない単語は多数回登
場する事。
C 漢文返り読みのような機械的置換を防止するため、機械的置換だと意
味が通じない例を初期のテキストに多数用いる事。
例えば The tree has many apples on it.というやさしい文は機械的置換
だとリンゴが木の上の方になっているというとんでもない日本語になる。
絵を示すと同時にin it. という絵入り英文を示して意味を考えさせるべき
であろう。
筆者の観察による限り、中学での英語ははじめのうち新奇性のために人気教科
となり生徒のテスト平均点も80点台と高く、理科以上であった。しかししばらく
すると多数の生徒が暗記ばかりでつまらないと復習をさぼり、結果として授業に
ついてゆけない生徒割合が教科中ナンバー1になって、平均点が大変低くなる事が
多かった。 ピグミーチンパンジーでも正しく理解できるような英語さえわから
ない人間生徒が大量発生するのだ。
筆者の理科テスト問題は半分近くが指導要領準拠で市販テストに似た問題であり、
5点か10点分は塾の先生を困らせるための難問であったから95点以上の生徒が少なく
どうしても平均は70-78という程度になった。
英語指導法に問題が多いので、次のような指導しかできなかった。
ラジオの英語教室。 市販のテキスト(麦の芽出版会の自習書がでてからはそれを用いた)にそっての 勉強。 ある程度の実力になったら、やさしい対訳本。 詳しい注や難しい単語の意味が書い てあるものを可能なら選定。この場合の注意として次のものがある。このような理論的根拠の薄い指導でも中学2年夏休みワイルドの「わがままな巨人」あたりを読む生徒は 何人かいた。 勉強の苦手な仲間のためのタダ塾を開いた生徒までいた。
帰国子女の場合は、英文と和文のどちらが得意かわからない場合もある。 適当な対訳を与え、日本語がわからない場合は英文を読み、英文がわからなけれ ば和文を読むように指示する。 重要単語だけ辞書をひく(和英とも)事と、わか らなければ質問する事は同様である。 国語 中学では国語学とはゆかないから、文学を読む指導とならざるを得ない。 その指導は筆者より優れた教師が極めて多数存在するだろう。