この論文も共同責任論文であり全共闘研究論文の1つである。 他に全共闘研究論文としては「全共闘の思考・発想」「全共闘の要求項目」「全共闘をめぐる大衆的状況」「社学同の学園闘争論」「文学部スト実行委(革マル系)方針の研究」がある。
 革命論争・大学改革論とも古典唯物論の範囲、当時の日本共産党の綱領に反しない範囲で書かれているが、前の論文と同じく旧ソ連型社会主義社会への移行論でなく、新唯物論の社会主義社会への移行論と高度の整合性を持つので掲げた。

 また前の論文と同じく「自分たちに不利な歴史的事実は政府・自民党や対立セクト・政党などのサタン(悪魔)が裏切り者(または挑発者)だからだ!」として自分たちの誤りを書かずにすます宣伝の「論文」とせず、自分たちの誤りも書くように努めた。これは他のメンバーが書いた論文も同様である。当時そのような総括はどの自治会・セクトでも行われなかった。 以下決定全文。

 
この論文は大学民主化と革命の関係についての正確な論理を知っていないと分かりにくい。 「東大民主化は常に可能だが、東大が理想的レベルの民主的大学すなわち人民大学にはなる事はない」という一見矛盾のある命題についてである。
 微積分では「無限に増大するが上に有界」という概念がある。例えば
1+0.1+0.01+0.001 …と足していっても2になる事はない。 この論理を使う新唯物論ではこの命題成立が自明であるが古典唯物論でも次のような直観的説明は可能である。
 闘争主体の力が十分あれば東大を民主化する事自体は常に可能であるが、民主化すればするほど権力の攻撃が東大に集中し、改良が進むにつれて改良は加速度的に困難になり、東大が理想的に民主化された大学つまり人民大学にはなる事はない。しかし東大内だけなら人民大学を作り得る力関係、
1地点だけなら革命を行える力関係が全国的に成立すれば革命という中央突破で、いっせいに人民大学ができ、社会主義国家が成立する。 
 だから民主化勢力の掲げる全学協議会設立には期待せず、共闘のためスローガンの最 後に掲げるだけとし、実際には権力を制約する具体的協定(大衆団交権など闘争を進め やすくするための拠点前進)を目標とする…という方針が農系執行部で確定したのが
10 1週であった。

東大農学系自治会理論委員会   東大闘争総括第二部92節   

経済系大学院自治会執行部(フロント系)
          「中間総括案」とビラの研究

―――アナーキズム的実践論と構造的改良理論の矛盾に悩むフロントの正直なる告白―――
1. フロント(緑ヘルメット)のかかえる自己矛盾
 「フロント」の思想はもともと、マルクス主義の一潮流であるイタリア共産党の理論から発している。 その理論輸入が正しかったかどうかは別として、フロントはいくつかの点でマルクス主義を守っていて、「社学同」「中核」「反帝学評」 (それぞれ赤、白、青ヘルメット)らの主張の如きアナルコ・トロツキズム的主 張とはかなり異質のものを含む。
補注 理論委員会では東大闘争当時の「トロツキスト」各セクトの主張がトロツキーからあまりに大きくはなれてしまったとし、アナルコ・トロツキズムという新思想が成立しているとした。そして全共闘運動を現代アナーキズム運動とした。「トロツキスト」と 「」をつける理由も同じ。

 一方フロントは「構造的改良論」に見合った実践論ないし組織論を持たない。これらが矛盾なく存在し得るかどうかここでは問わないことにしよう。ともかく組織論、運動論の欠除のために、フロントは市民主義的な右翼路線から、民青借物路線、「トロツキスト」借物路線の間を1961年の発生以来右往左往してきた。

 東大闘争では7月以降「トロツキスト」と同盟した(全共闘に参加)関係で「トロツキスト」と同じく、アナーキズム的な組織論、運動論を採用した。しかし、グラムシやロンゴやバッソはトロツキストでもアナーキストでもないからフロントはいつも革命論(マルクス主義の一潮流)にひきずられて、「トロツキスト」の玉砕主義には一心同体の行動をとれず、みずから「全共闘の後衛」と自嘲する事しかできなかった。

 だからフロント研究は「全共闘研究」としてはわき道である。現代アナーキズム運動である全共闘運動の主流にはより純化されたアナーキズム団体しかなれない。その事は共学同、民学同についても同じだし、革マルについてもある程度いえる事だろう。

 しかしフロントがマルクス主義的主張を一部行い、それにもとづいて「民青」批判を行ったとき、それは我々にとって価値あるものである。すなわちスターリン式の全体論や静止的思考の正しい批判がフロントの主張には含まれていて、東大闘争についても本来ならばフロントに学ぶべき点があったのである。
 実際には初期のフロントの主張を十分知らなかったので、我々は独立に、しかし遅れて正しい見解に達した。

 しかしそのようなフロントの優れた側面は次第に消え去る運命にある。彼らが現実に行う実践はアナーキズム的であるから、その実践を弁護合理化するために組織論や運動論のアナーキズム化が起こる。
 組織論や運動論は革命論の重要な一部なので、革命論にも必然としてアナーキズム思想が侵入し彼ら自身が変質してゆく。 これは共学同や民学同の一部その他もろもろの「もともとマルクス・レーニン主義から発して親『トロツキスト』の立場をとる人々」が歴史的法則によって辿る道であり、個人の意思や良心、才能などによってその道から逃れる事はできない。

 これらの事を念頭に置くならば,フロント研究は
1.  フロントがマルクス主義的である点、すなわち我々が自己批判してフロント   に学ぶべき点の研究
2. フロントが、革命論とアナーキズム的実践の矛盾に悩んでいる事実を分析しフロントの本質とその運命を明らかにする
の二つにしぼって良い。

 フロントの非難は容易であり、彼らが全共闘のおかした諸犯罪に連座している事実を糾弾しはじめたらきりがない。フロントがゲバ棒をふるい、正式であると万人が認めざるを得ない学生大会に殴りこみをかけたというような「トロツキスト」の後衛としてやった事をただ非難するのでなく、フロントがなぜ「そうせざるを得なくなったか」を研究する事が大切であろう。 そしてフロントが明らかに構造的改良理論と矛盾する大衆学生襲撃とリンチに連座せざるを得ず、地獄への道を歩んでいる事を示す事こそ、彼らに対する痛烈かつ深刻な批判になるであろう。

2. 686月前後の経済系大学院自治会執行部方針

 経済系大学院執行部は昨3月の医全学闘の「卒業式粉砕」に対して卒業式ボイコット呼びかけと修士授与式のボイコット行動を起こした由である。その後闘争は2ケ月半ほとんど沈黙したという(「中間総括案」…3ケ月半の誤りか)。

 6.18ビラでは「6.20全学ストに立ち上がろう」と訴え、医学生運動の弾圧と大学自治破壊を糾弾するとともに、「教授会自治」「学部自治」を問題にしている。
 6.21ビラでは「6000名の力を再びストライキへ」とし、封鎖を原理的には拒否しないとしている。総長辞任要求(18日に提起)は一定の危険はあるが、事実上のリコール権獲得であり、「大学自治への参加の飛躍的一歩」であるとしている。  
 6.27ビラでは無期限ストによって要求がかちとられるのであって、総長大衆団交によってかちとられるのではないとしている。 

 また参考までに示すとI教養学部自治会委員長(フロント系)は同じ頃と推定されるビラで、処分撤回、機動隊導入批判、スト権、交渉権、決定権を持つ全学集会、カリキュラム権、学長選参加などを要求しようと呼びかけている。

 これらの方針が卒試粉砕を除いて「民青系」と似ているのにはいまさらのように驚く。とくにI委員長の提案は我々農学系の要求と酷似している。しかし、我々はかなり遅れており、総長線民主化(拒否権)と総長辞任要求は7月初旬であり、カリキュラム権はもっと遅れている。また要求がストによって勝ち取られるのであって交渉によってではないという思想が確定するのは秋になってからである。封鎖そのものに反対はしないという意見は7月でも有力だったが、はっきり執行部全員の意思として確定するのも秋になってからである。

 フロントが我々に先んじてこれらの正しい要求や理論を提出し、早く行動に立ち上がった事について、我々は当時のフロントの主張を知らなかったけれども、一応の敬意を表さなければならない。早く立ち上がったのは文科系と実験系の違い(特に生物系は実験が長期連続のことが多く実力行使はきわめて困難)みあるが、経済大学院自治会がそれまで大衆的に行ってきた助手問題闘争の蓄積を持っていた事も一因であろう。 またセクト的な「反トロ主義」のための立ち遅れがなかった事も一つの原因であろう。

 「トロツキスト」の玉砕主義、分裂主義には反対すべきだが、セクト的「反トロ主義」は有害であって、機動隊導入が学生運動弾圧の側面を持つ事を軽視する事につながった。 国家権力は現象形態で公式には押してくるので、「トロツキスト」取締りで先例をつくれば我々にも容赦なく弾圧がかかる。
原注 9年前の安保反対デモで樺美智子氏が警官隊に殴り殺されたときの「全学連反執行部派」(フロント系、民青系両方の先輩)のとった正しい態度をわすれるべきでない。 当時の全学連執行部派は悪名高き唐牛健太郎委員長(右翼の田中清玄とつながっていた事は有名)にひきいられ、さまざまな一揆的暴発を繰り返していた。615日彼らは国会南通用門から国会構内に入り、そこでデモをしようとした時警官隊が襲いかかり、樺氏が殺された。 警官の安保反対運動参加者殺害は糾弾されねばならない。 彼女らの国会構 内デモという行動形態そのものは何ら誤ったものではなく国民会議(社共・総評、民主団体が結集した安保反対組織)も行った事があった。
 彼女は社学同同盟員であり、分裂主義者であったが、ゲバ棒をふるって学生大会を粉砕し、「民青と右翼」にリンチを加える現代「トロツキスト」と異なり、主観的には民主勢力の一員だと考えていた。もちろん殺されたときには寸鉄も帯びていなかった。 --行動形態は自民党政府の暴挙、人民に対する犯罪に怒る人民の正当な権利であるが、当日の行動は警官のやりすぎ(権力側の失敗)がなければ闘争に有害となった冒険主義だから政治的に誤りなのである。--なお以上の点について597月現在までは担当者が責任を持って彼女らが共産党に投票していた(社学同の対共産党闘争宣言にもかかわらず)事を証言できるが、それ以後はトロツキー理論による推定。

 全学連反執行部派では直ちに自治会執行部代表者会議をひらき、激論のすえ(対立している意見はすぐ現場の大衆学生に伝えられた)当日集まった12000のうち4000を執行部派の行っていた南通用門の抗議集会に参加させ、残りの8000は警視庁前でうづまきデモを行った。  この度の機動隊導入も、国家権力の「やりすぎ」である点で、60年安保6.15事件と同じ問題を持っていた。また社学同が主導権を持っていた医学部の闘争に対する苛酷な処分も、相手は大学当局ではあったが,やはり我々は連帯感を持ってより強い運動をおこすべきだったのである。

 大河内総長の辞任反対という誤った主張は「もっと悪いやつがでてくると困る」という過去の力関係を固定して考える思考から生じた。フロントの主張は正確ではないが、「力で総長を辞任させれば、ますます運動が強くなるから、もっと悪い総長を阻止できる」というダイナミックで正しい主張に基本的には達している。
 しかし反面、卒業式粉砕という玉砕主義に主情的に賛成している事は誤りだし、また封鎖に原則として反対するものではないという立場もそれだけ見ると正しいが、内容を見ると以下のようなもので正しくない。 「中間総括案」は続く。

 「確かに機動隊導入の怖れはあった。 しかし、封鎖行動の主体的遂行は、単に、そのような客観的状況にのみかかるのではない。 むしろ、機動隊導入の危険を冒しても闘争を『より高い質』のものへ発展せしめようとするのか否かを吾々に問うているのである。 吾々は、全体として、なおその重みに耐えられなかったと言うべきであろう。」

 これでは運動が個人の主体の問題に還元されてしまい、大学当局対我々、国家権力対我々という具体的抗争はどこかに消し飛んでしまっている。我々は主体の問題を客観条件に優先させる考えを観念論として排撃する。それらは互いに作用しながら進むものだ。 現実に機動隊導入の危険があるならば、まずその危険を避けて勝つ事を考えるべきだし、危険をおかすならそれによって得られる成果が機動隊導入による犠牲に見合うものである事が必要である。 

 もともと構造的改良論は我々と同根の思考から出発しており、イタリアの現実の大衆闘争、憲法、資本主義の現段階、市民社会におけるプロレタリアートの意識などを考えてつくられた理論であろう。現実に社会主義に移行するにはどのように具体的な道をたどるのが歴史的に合理的か追求される。
 ところがイタリア共産党の不肖の弟子たるフロント諸君は、黒田学会信者=革マルと同じような思考を行い、現実の闘争を「闘争」という一般的な概念に還元して現実のつばぜりあいから切り離し、結論を抽象的観念から作り出して現実にひきおろしてくる。
これは思考の遊戯で客観的観念論そのものである。 闘争に勝ち、どこまで改良をかちとるかという事と闘争の質は並行するのである。
---ただし負ける事の確かな闘争で、闘争の質は重要である。 次の闘争にそなえて団結と学習が進み整然と撤退したのか、混乱の中敗走したか…
 また、一定の高い質の闘争に参加するかどうか問うという発想はアナーキズム的である(活動家用語豆辞典「統一戦線戦術」の項参照)。 この総括案がフロント変質後の694月に書かれたからであろう。

 I委員長ビラに示されるような民主化要求は、構造的改良理論に合うと考えられたのであう。 要求が体系的でなく、運動論にうらづけされていないけれども、当時としては最も正しい要求を出している。しかし秋になるとそれにかわって「大学コンミューン論」が登場する。 その変化の前触れとして卒業式粉砕についても玉砕主義支持、封鎖についてのあいまいさが夏休みまでに出ていた。すなわち革命論から直接出てきた要求のほうはかなり正しいのであるが、運動論が「トロツキスト」と同じであるという矛盾が夏休み前に発生していたのである。その矛盾はフロントの全共闘参加によって激しくなる。

3. 大学コンミューン論の登場

「九月における民青系諸君の唯一の『生産的批判』、すなわち7項目要求=日和見論の批判に対し、七項目要求の論理的深化がおしすすめられた。 その結論は、七項目要求を掲げた闘争は一面で国大協路線による自治活動圧殺を粉砕する戦いであると同時に、青医連が志向する自主研究=自主カリに見られる学問研究体制の変革の闘いという形に深化されたのである。」

 全共闘の七項目要求が本質的には二重権力の要求であって空想的である事は「全共闘の要求項目の研究」に記されているから、ここでは触れない。フロント諸君は七項目要求を改良の要求と誤認した当時の「民青系諸君」とともに七項目要求を誤認している。
補注 七項目要求、及びその要求が二重権力の要求で空想的非現実的である事を文末注につけ加えた。

 フロントが民主化要求をひっこめて七項目要求に転換したのは、助手闘争によってつくられた協議会が破産したからだという。すなわち、協議会を作っても教授会が強硬に出て話し合いにならず、専制を承認させられる場にしかならないという現実があった。 これから見ると、
7月初旬―中旬のフロント諸君は教授会論において「民青系諸君」が中秋までもっていた誤りと共通の誤りを持っていたことがわかる。すなわち教授会が権力の末端としての機能を持つことを軽視し、本質的基本的な矛盾である大学構成員――文部省の矛盾を常に重く見る事である。 この矛盾や協議会についての正しい理論は「教授、教授層と統一戦線」「協議会論」参照。 協議会理論が幻想に支えられたものであったが故に、現実の協議会にフロント諸君は失望したのであろう。 以上2点の誤った思想、理論が初期のフロント系、初期の「民青系」に共通であることは注目される点であろう。

 しかし「民青系諸君」が次第にこれらの誤りを訂正していったのに対し、フロントは大転換して民主化要求から七項目要求にかわり、しかも七項目要求を改良的要求(高度に発達した資本主義国で実現可能な要求)と誤認するところから、自分は改良主義者ではないかという疑念に悩まされた。だから「民青系諸君」の誤った批判が厳しく身にこたえたのであろう。 そこでフロントが革命的だと考えた綱領は自主管理による自主研究、自主カリキュラム運動であった。これが大学コンミューンだとした。

この自主管理としての大学コンミューン論は、赤ヘルメットの「反帝反政府闘争の陣地」とか青ヘルメットの「反産学協同の学生自己権力=コンミューン」のようなアナルコ・サンジカリズムそのもののような妄想とは異なっている。

 1029日および1031日のパンフレットには「合意の大学」か「東大コンミューン」かという議論が行われ、「われわれの斗争は現行制度の拒否、教授会権力の拒否という発想を、その根底に持っている」として「大学の自治なるものが自らの責任による大学管理運営を条件として国家権力によって公認されたものである以上、大学管理当局は大学内において国家権力の代行機関として機能せざるを得ない」故に、協議会や学生参加は学生を「いわば共犯関係に巻き込むものにすぎない」としている。 また「学生の意思の組織化を通常化する課題を導き出しうるし、導き出さねばならない。これこそが我々のいう『コンミューン』であった。」「民青系諸君の『戦略』にはかかる意味での学生の意思の組織化、すなわち学生自身が統治の主体となるための組織論と、それを基礎づける理論が欠落し ている。」 

 この2つのビラがフロントの理論の第二の転換点となる。
 10月には我々農学系自治会の臨時拡大執行部(農系闘争実行委)でも、大学当局の本質および学生参加について、従来持っていた幻想を自己批判する。そのときの我々の方針では「教授会権力の完全打倒」をめざすのではあるが,それを行う全国的力が無いが故に、当面の目標としては「教授会権力の制約」をめざすというものであった。 教授会権力を支える国家権力、独占資本に対抗できる人民の力がない以上(あれば革命)、権力の辺縁部にある学生処分権、総長拒否権などの実権は現在の目標となり得るが教授会権力の打倒そのものは革命時目標、最大限綱領であるとした。 このような構造的な改良が大部分の生産点で成立する力関係が成立したとき中央突破=革命が成立するというのである。

 ところがフロント諸君は8月末-9月いっぱいまでの民主化行動委員会、東院協にあった誤り、すなわち闘争主体の結集と協議・交渉の実体がいつも並行することを忘れて民主化の形式だけを追求するタダモノ論の批判をしたところまでは正しかったが、その批判から今度は正反対の誤りにおちいった。
--民主化行動委員会や東院協のこの誤りは10月に基本的理論として正されているが、要求項目が正されるのは11月である。ただし詳細に検討すると692月の確認書批准まで誤りが残っている。第一部「民主化行動委員会要求項目の研究」「東院協要求項目の研究」「確認書評価」参照。

 その誤りはいますぐ「教授会権力打倒」および「学生自身が(すべての面で)統治の主体となる」事が高度に発達した資本主義国日本で可能だとした幻想であった。 たしかにフロント諸君の主張は赤ヘル、青ヘル、赤ヘル白帯などの軍事的占領区、解放区としての大学コンミューン論、人民大学論とおなじではない。しかし、今すぐ学生院生だけの力で「国家権力によって公認された教授会権力」を全人民的な闘いなくして打倒するのは、やはり東大で解放区をつくるという主張、または東大教授会権力打倒から直接日本革命となるという主張と武力一辺倒でないだけで本質的には同一である。

 そして戦略としての議論とは別に実践としての自主管理がうち出される。
 長期ストライキ中に自主管理を行い、自主カリキュラムや自主研究を行う事は当然であり、われわれの主張と寸分も異ならない。
 すなわちフロント諸君は一方では戦略として「トロツキスト」と実質的には同じ主張をしているが、実践については少しもアナーキズム的ではないのである。これは「トロツキスト」と同盟した関係で,彼らの理論を戦略として支持する運命になったが、自治会独自の実践に関係する部分ではまだマルクス主義的なのであると解釈できる。

 「中間総括案」は次のように書いている。
「大学の旧来の学問研究体制の変革は、旧来の研究体制を実質的には打破し、その制度変革そのものを実体化するものとしての自主研究自主講座運動にある。」
「しかし、この自主研究は一つの弱点を含んでいた…ともすれば東大闘争と無関係な研究活動に埋没するという傾向におち入ったのである。」「東大コンミューン論は本来、学外の、このような社会的、階級的階級情勢に関する十分な認識=運動がなされていなかった結果、この面については一種の観念的空語に終わらざるをえなかった。」

 名だけはコンミューンとしたけれど、観念的空語に終わるのは当然である。大学だけで支配階級の支配を拒否するというのはアナーキズムの幻想だから。
 コンミューンの実体はただの自主管理であって、それ以上のものでなかった事がここには記されている。ストライキ中の自主管理は、その団結をもって自主研究の自由をかちとるブルジョア民主主義的要求のための戦術そのものである。自主研究を階級的なものにしてゆくのは一段高レベルの運動であって、学問内容の階級性の理論および独自の大衆闘争が上積みされなくてはならず、自主管理と研究内容を同一次元で議論する事はできない。フロント諸君の「弱点」は当然出現すべくして出現したのだ。

 「大学コンミューン」は全共闘全体としてのアナーキズムと、イタリア輸入のマルクス主義一潮流との矛盾に悩まされたフロント諸君が自己催眠のためにでっちあげた、実体のありようのない幽霊的概念、言葉の魔術の産物だったとしてよかろう。だからフロント諸君の期待したような「大学コンミューン」はできなか った。

4.「トロツキスト」の一分派への転落

 フロント諸君は九―10月においてマルクス主義とアナーキズムの矛盾に一層悩まされたのであったが、11月―12月にかけて経済大学院自治会独自の経済学部改革要求である新七項目要求(七項目要求とは別もの)にマルクス主義の遺物を見るだけで、ほぼ完全なアナーキズムの立場に転落する。

 中間総括案を読み続けよう。
「吾々は、この段階に於て、教授会権力に対する全面的拒否権の確立をもって、 闘いのスローガンとしていたのであるが、11.18の公開予備折衝の段階でその本質を隠蔽し、また吾々がそれを突き破れなかったことによって、その拒否の態度も 亦、至極あいまいなものに止まったのである。 それは、より根源的には、吾々が全共斗内において、この加藤路線の全面的打破、それの物質化としての全学封鎖を支えるに足る思想を深化せしめる作業において、著しく立ち遅れたことに求められる。即ち112日の都市工による封鎖行動は・・」

 フロント諸君が立ち遅れたのも当然であろう。 ここでいう「封鎖」は全面的・ 無期限であって、大学内でバリケードに守られた解放区、人民大学を夢想する思想であり、マルクス・レーニン主義に反する事はあまりに明白だからである。この空想のために全共闘は無期限ストライキを一貫して支持し、一時は全共闘を支持した左派学生(「クラス連合」)からさえソッポを向かれ、自滅してゆくのである。 しかしフロント諸君は大学コンミューンに続き、全的拒否権、全面封鎖と 次第にアナーキズム路線に深入りしてゆく。

「即ち、112日の都市工による封鎖行動は『加藤近代化路線打破の先制攻撃』 たる正確を明確に打ち出し、更に12日『研究者にとって東大闘争とは?』という処に迄、その思想を深化せしめ、そして『東京帝国大学解体』に迄、その性格を発展せしめたのである。」
 「吾々の思想的脆弱性が、つまり『東京帝国大学解体』の如き、『原理的否定』 の思想を、吾々が確信をもって語り得ないという脆弱性が…」もともと大学コンミューンをかかげた時代から思想的混乱をおこしていたフロント諸君は、そのコ ンミューン(と称するが実体は自主管理)が自分たちの思うとおりにならなかっ たのでさらに混乱を深め、何か新しい理論、行動形態を待望する状態になってい た事が正直に語られている。

 この時に、都市工ビラが出現した。都市工のアナーキズム的科学運動論に対す る我々の態度については別レポートがあり、詳しい批判をここでは避ける。しか し、12日ビラの研究者加害者論を受け入れた事は、フロント諸君にとっては自然の勢いであったが,地獄への最後の階段を下った事に等しかったのである。
仮に
科学にのっぺり単一種の階級性がくっついていて、研究者=加害者だとしても、 その加害者たる運命を完全にまぬかれるには、革命を行い権力を打倒しなければ ならない。 権力に総体として奉仕する大学研究教育は否定すべきものではある が、今すぐ100%叩きつぶす事は決してできない。 それをあえて行おうとする 都市工ビラの思想は典型的アナルコ・サンジカリズムそのもので、大学を「革命の陣地とする」赤ヘルメットの妄想と実質的に同等である。
そのことが国家独占資本主義下で不可能という事は,フロント諸君の理論誌「現代の理論」で滝村氏が記しているとおりである。 何たる矛盾!!

 けれどもフロント諸君は「トロツキスト」と同盟し、しかも自らの運動論がなく、「トロツキスト」によりかかり混乱のあげく、「全共斗の後衛」「思想の脆弱性」と自らを嘲る状態であった。 もはや頼るべき理論はなく、革命論や国家論などの縁遠い高尚な(?)理論は完全に投げ捨てられた。 都市工ビラの与えたショックに、最後に残っていた正気も顛倒し、もがくひまもなく、奈落の底に真逆さまになって落ちていった。 

「中間総括案」は続く。
「経済大学院自治会の十二月末における一月闘争の戦略視点は次のようなものであった。すなわち当局の入試復活を目的とした『全学集会』を粉砕し、当局を、休校あるいは一時閉鎖に追い込むことであり、この結果、第一に国家権力=政府自民党による東大の直接的再編が不可避であり、その課程では対国家権力との関係で教授会の内部分裂が進行し、教授会解体の可能性が増大する…」

 地獄の理論が登場した。 敵であるあずの国家権力を導きいれて大学当局をやっつけるべきだというのだ。 日本独占資本を倒すのにアメリカ帝国主義の力を導入し、日本を植民地にしてしまえばも日本革命がおこりやすくなるとでもフロント諸君はいうのだろうか。 それと同じ痴呆的議論である。

 いやこれは単なる痴呆とはいえない。 客観的には国家権力の大学人民直接支配を強め、人民を売り渡す議論である。 構造的改良をめざしていた筈なのに構造的改悪をめざして闘うようになったのだ。
 かくてフロント諸君はマルクス主義を東大闘争に関する限り完全に捨て去り、純然たる「トロツキスト」の一分派に転落し、人民の敵そのものになったのであった。

補注 諸団体要求項目の研究諸論文を出していないので、全共闘七項目要求とその簡単な解説。
1. 医不当処分白紙撤回 東大闘争の発端となった学部長・病院長の悪法製造に対する闘争中の吊るし上げに対する処分。現場にいなかった粒良君が誤認処分された事は当時有名になった。誤認だけでなく手続き上の問題もあったので、当局の側でも「合法的」に撤回可能。
2. 機動隊導入自己批判、導入声明撤回。
3. 青医連を協約団体として公認せよ  青年医師連合はもともと青年医師の民主的な卒業年度別自治会であったが、当時は規約改正により闘わない者を排除する規定をもった赤色組合(現在の執行部や組合員が全員同一の左翼政党員であったとしても、誰でも入れるような規約ならば赤色組合とはいわない)になっていた。 運動に分裂を原理的に持ち込む問題要求である。より正しい要求は「学生自治会、卒業年度別自治会の団体交渉権を認めよ」
4. 文学部不当処分白紙撤回  学生に不利な慣例を押し付けようとした当局と交渉権のない学生とのもみあいでの処分。当局側から見れば医学部処分と違って100%正しい処分。 
 交渉権を問題にせず、ただ力で制度違反による処分の撤回をさせるという主張で一種の 二重権力の主張であり、民主化・改良の要求ではない。
 いい加減に読むと字句の問題があるだけのように見えるが全共闘は「制度変革は体制に巻き込まれるもの」と主張していて、815日の全共闘パンフに「二重権力」の主張が登場し,秋には毎回のように登場していて、比較すればこの要求の真の意味がわかりやすい。  
 この項目にあたる、より正しい要求は「学生自治会の団体交渉権を認め、処分を撤回せよ」である。全共闘要求項目3と矛盾するようだが当時の青医連が赤色組合であり、大学制度と直接には結びつかない事に注意。
5. 一切の捜査協力をやめよ。
6. 1.29以来の一切に関して処分するな。
7. 以上を大衆団交の場で文書を以って確認し責任者は引責辞職せよ。



 東大争議(東大闘争)について研究している方がいらっしゃいましたら、御一報ください。 当時の多数のビラ(各自治会、各 党派など)や立て看板スライドを保存しています。 それらは争議について書かれた「民主勢力」側の書物にも、「全共闘」側 の書物にも(貸しだして)利用とれています。 ただし出来上がったものはすべて十字軍の宣伝「我々は神のしもべで、異教徒は悪魔の家来」という本でしたが・・・。 masuyamaaakio@i-younet.ne.jpまで。 伊東まで車で来られるのでしたら無料貸し出しをします。

新唯物論と古典唯物論