東大農学系自治会理論委員会 東大闘争総括第二部
9章2節―――アナーキズム的実践論と構造的改良理論の矛盾に悩むフロントの正直なる告白―――
一方フロントは「構造的改良論」に見合った実践論ないし組織論を持たない。これらが矛盾なく存在し得るかどうかここでは問わないことにしよう。ともかく組織論、運動論の欠除のために、フロントは市民主義的な右翼路線から、民青借物路線、「トロツキスト」借物路線の間を
1961年の発生以来右往左往してきた。しかしフロントがマルクス主義的主張を一部行い、それにもとづいて「民青」批判を行ったとき、それは我々にとって価値あるものである。すなわちスターリン式の全体論や静止的思考の正しい批判がフロントの主張には含まれていて、東大闘争についても本来ならばフロントに学ぶべき点があったのである。
これらの事を念頭に置くならば,フロント研究は
フロントの非難は容易であり、彼らが全共闘のおかした諸犯罪に連座している事実を糾弾しはじめたらきりがない。フロントがゲバ棒をふるい、正式であると万人が認めざるを得ない学生大会に殴りこみをかけたというような「トロツキスト」の後衛としてやった事をただ非難するのでなく、フロントがなぜ「そうせざるを得なくなったか」を研究する事が大切であろう。 そしてフロントが明らかに構造的改良理論と矛盾する大衆学生襲撃とリンチに連座せざるを得ず、地獄への道を歩んでいる事を示す事こそ、彼らに対する痛烈かつ深刻な批判になるであろう。
経済系大学院執行部は昨
3月の医全学闘の「卒業式粉砕」に対して卒業式ボイコット呼びかけと修士授与式のボイコット行動を起こした由である。その後闘争は2ケ月半ほとんど沈黙したという(「中間総括案」…3ケ月半の誤りか)。これらの方針が卒試粉砕を除いて「民青系」と似ているのにはいまさらのように驚く。とくにI委員長の提案は我々農学系の要求と酷似している。しかし、我々はかなり遅れており、総長線民主化(拒否権)と総長辞任要求は
7月初旬であり、カリキュラム権はもっと遅れている。また要求がストによって勝ち取られるのであって交渉によってではないという思想が確定するのは秋になってからである。封鎖そのものに反対はしないという意見は7月でも有力だったが、はっきり執行部全員の意思として確定するのも秋になってからである。「トロツキスト」の玉砕主義、分裂主義には反対すべきだが、セクト的「反トロ主義」は有害であって、機動隊導入が学生運動弾圧の側面を持つ事を軽視する事につながった。 国家権力は現象形態で公式には押してくるので、「トロツキスト」取締りで先例をつくれば我々にも容赦なく弾圧がかかる。
大河内総長の辞任反対という誤った主張は「もっと悪いやつがでてくると困る」という過去の力関係を固定して考える思考から生じた。フロントの主張は正確ではないが、「力で総長を辞任させれば、ますます運動が強くなるから、もっと悪い総長を阻止できる」というダイナミックで正しい主張に基本的には達している。
「確かに機動隊導入の怖れはあった。 しかし、封鎖行動の主体的遂行は、単に、そのような客観的状況にのみかかるのではない。 むしろ、機動隊導入の危険を冒しても闘争を『より高い質』のものへ発展せしめようとするのか否かを吾々に問うているのである。 吾々は、全体として、なおその重みに耐えられなかったと言うべきであろう。」
もともと構造的改良論は我々と同根の思考から出発しており、イタリアの現実の大衆闘争、憲法、資本主義の現段階、市民社会におけるプロレタリアートの意識などを考えてつくられた理論であろう。現実に社会主義に移行するにはどのように具体的な道をたどるのが歴史的に合理的か追求される。
ところがイタリア共産党の不肖の弟子たるフロント諸君は、黒田学会信者=革マルと同じような思考を行い、現実の闘争を「闘争」という一般的な概念に還元して現実のつばぜりあいから切り離し、結論を抽象的観念から作り出して現実にひきおろしてくる。
I委員長ビラに示されるような民主化要求は、構造的改良理論に合うと考えられたのであう。 要求が体系的でなく、運動論にうらづけされていないけれども、当時としては最も正しい要求を出している。しかし秋になるとそれにかわって「大学コンミューン論」が登場する。 その変化の前触れとして卒業式粉砕についても玉砕主義支持、封鎖についてのあいまいさが夏休みまでに出ていた。すなわち革命論から直接出てきた要求のほうはかなり正しいのであるが、運動論が「トロツキスト」と同じであるという矛盾が夏休み前に発生していたのである。その矛盾はフロントの全共闘参加によって激しくなる。
「九月における民青系諸君の唯一の『生産的批判』、すなわち
7項目要求=日和見論の批判に対し、七項目要求の論理的深化がおしすすめられた。 その結論は、七項目要求を掲げた闘争は一面で国大協路線による自治活動圧殺を粉砕する戦いであると同時に、青医連が志向する自主研究=自主カリに見られる学問研究体制の変革の闘いという形に深化されたのである。」この自主管理としての大学コンミューン論は、赤ヘルメットの「反帝反政府闘争の陣地」とか青ヘルメットの「反産学協同の学生自己権力=コンミューン」のようなアナルコ・サンジカリズムそのもののような妄想とは異なっている。
この
2つのビラがフロントの理論の第二の転換点となる。ところがフロント諸君は
8月末-9月いっぱいまでの民主化行動委員会、東院協にあった誤り、すなわち闘争主体の結集と協議・交渉の実体がいつも並行することを忘れて民主化の形式だけを追求するタダモノ論の批判をしたところまでは正しかったが、その批判から今度は正反対の誤りにおちいった。「中間総括案」は次のように書いている。
「大学コンミューン」は全共闘全体としてのアナーキズムと、イタリア輸入のマルクス主義一潮流との矛盾に悩まされたフロント諸君が自己催眠のためにでっちあげた、実体のありようのない幽霊的概念、言葉の魔術の産物だったとしてよかろう。だからフロント諸君の期待したような「大学コンミューン」はできなか
った。フロント諸君は九―
10月においてマルクス主義とアナーキズムの矛盾に一層悩まされたのであったが、11月―12月にかけて経済大学院自治会独自の経済学部改革要求である新七項目要求(七項目要求とは別もの)にマルクス主義の遺物を見るだけで、ほぼ完全なアナーキズムの立場に転落する。中間総括案を読み続けよう。
フロント諸君が立ち遅れたのも当然であろう。 ここでいう「封鎖」は全面的・
無期限であって、大学内でバリケードに守られた解放区、人民大学を夢想する思想であり、マルクス・レーニン主義に反する事はあまりに明白だからである。この空想のために全共闘は無期限ストライキを一貫して支持し、一時は全共闘を支持した左派学生(「クラス連合」)からさえソッポを向かれ、自滅してゆくのである。 しかしフロント諸君は大学コンミューンに続き、全的拒否権、全面封鎖と 次第にアナーキズム路線に深入りしてゆく。「即ち、
11月2日の都市工による封鎖行動は『加藤近代化路線打破の先制攻撃』 たる正確を明確に打ち出し、更に12日『研究者にとって東大闘争とは?』という処に迄、その思想を深化せしめ、そして『東京帝国大学解体』に迄、その性格を発展せしめたのである。」けれどもフロント諸君は「トロツキスト」と同盟し、しかも自らの運動論がなく、「トロツキスト」によりかかり混乱のあげく、「全共斗の後衛」「思想の脆弱性」と自らを嘲る状態であった。 もはや頼るべき理論はなく、革命論や国家論などの縁遠い高尚な(?)理論は完全に投げ捨てられた。 都市工ビラの与えたショックに、最後に残っていた正気も顛倒し、もがくひまもなく、奈落の底に真逆さまになって落ちていった。
「中間総括案」は続く。
地獄の理論が登場した。 敵であるあずの国家権力を導きいれて大学当局をやっつけるべきだというのだ。 日本独占資本を倒すのにアメリカ帝国主義の力を導入し、日本を植民地にしてしまえばも日本革命がおこりやすくなるとでもフロント諸君はいうのだろうか。 それと同じ痴呆的議論である。
いやこれは単なる痴呆とはいえない。 客観的には国家権力の大学人民直接支配を強め、人民を売り渡す議論である。 構造的改良をめざしていた筈なのに構造的改悪をめざして闘うようになったのだ。
補注 諸団体要求項目の研究諸論文を出していないので、全共闘七項目要求とその簡単な解説。