素晴らしき生徒列伝
練馬区立関中学校91年度学級通信連載の全文
一部は「楽しい授業」掲載
去年は3年担任でしたから,「有名高にゆけば有名大学に入りやすいという宣伝は事実調査と合うか」など,父母の教育学シリ−ズをやりました。 今年は1年ですから, 1年生徒の模範とすべき生徒の「列伝」をやります。大多数は4回の1年担任生徒ですが,2人だけ
補注) 4回は5回の誤りで錯覚。2人の予定は3人になった。
年5回以上家に遊びに来ていて担任生徒同様であった旧生徒を入れる予定です。
素晴しき生徒列伝 1 T・菊池伝
T君はクラスで体格1番,運動能力優秀でしたが,勉強は最低で1/2+1/2が2/4になってしまいます。 教師には斜に構え,「T」と呼ぶと「ハイ」でなく「ウゥ」という感じの答え。知能テストも最低だが,遊びでミソッカスでないから頭は普通であり知能テストを真面目にやらなかったのです。
その学校には全国優勝をした事もある男子バレー部があり、テスト1週間と大晦日、正月3日以外毎日練習という「カッコいいが,きびしい」部でしたが,体育教師とこの部をすすめました。
一方、学級委員井上君、後に生徒会長になった南家君,体力2位で後に体操部キャプテンになった並木君,秀才菊地君ら(10数名らしい)が,6−7月から家までおしかけて遊ぶようになったそうです。
10月の終り頃,数学から勉強をはじめたそうですが,担任は知らず。2年の始めの数学定期テストに43点をとり,そのクラスに5−6人いたかつての仲間が拍手。 分数も方程式も一応わかるようになったのです。通信簿は7つ上昇。
家庭の条件のため家庭教師は無理ですし,塾にゆく時間も練習がきびしいからほとんどない。その中で小学校4年から中学1年までの数学を勉強したのです。 多分中1で中3数学終了の菊地君の指導があったでしょうが、一番デキナイ生徒の教師指導なし小4,5,6,中1の勉強とは素晴らしい。
−−−3年夏休み,菊池君は数学と英語(2年秋に3年終了,すべて自力勉強)のタダ塾をやり3人の仲間を教えた事が後で判明しています。
素晴しき生徒列伝 2 喜入伝
喜入(キイレ)君は学級委員であり,学級で1番良い生徒ですが,一番悪い生徒でもありました。 H君は生活委員であり,学級で2番目に良い生徒ですが,2番目に悪い生徒でした。 要するに良い事も悪い事も彼等が先頭になってやるのです。
例えば,小学校時代いじめられつづけていたAさんを守り,他クラスからいじめにくるのをやめさせるといった良い事の先頭に立つのは喜入君ですが,クラスでガラスが割れた事件があればその主犯も喜入君です。雨の日に教室でバレ−ボ−ルをして遊ぼうといいだしたのは喜入君ですから主犯そのものであり,学級委員が正座。
正座回数は学級委員が一番多く,次が生活委員。 座席を決めるとき,生徒希望の完全自由座席は授業中うるさくなるからダメと担任がいったら「うるさくならない方法があります。」「うるさい4人を選挙で選び,前に並べてあとは自由にすれば良いと思います!」 そこで担任も「よし。やってみろ」。 ところがいざ開票がはじまったら開票する学級委員君が「喜入。チキショウ。またか・・・」とうとう学級委員の喜入君がめでたく当選。 前に並ばされてしまいました・・・。
ある日珍しく朝早く教室に出てみたらクラスで一番勉強の苦手な某君を5−6人がかこんで何か教えています。 実は1月も前から喜入君が中心となって某君を教える会をつくり、朝15分早く登校しよってたかって教えていたのでした。
3学期のテストの後にクラス対抗球技大会があります。 卓球,バレ−,バスケットだったと思いますが,全員がどれかに出るのです。 2日前まで練習をしているのはわがクラスだけ。 前の日だけは私も練習禁止(職員会議決定)にしましたが,その日の午後20数名が生活指導主任に近所の広場で「逮捕」。練習をしていたのです。 つかまらなかった連中は卓球組で別のところで全員集合し練習していたのだそうです。 やはり主犯は喜入君で彼の指令で全生徒が練習に参加していたのでした。 それでもクラス成績は1位。
喜入君は皆に勉強もちゃんとやれと指令したらしい。 喜入君自身は成績中位でしたが,勉強不足と授業中騒動のためらしく,高校では真面目にやって立命館大学(東京の早慶位の難しさ)に合格したそうです。
補注) 素晴らしき列伝は多数の生徒が面白いと思ってくれる。登場人物で一番人気があるのが喜入君である。大多数の生徒にとって理想的な学級委員なのであろう。 喜入君は都立高校教師になり、組合役員として活躍しているそうだ。著書に「高校が崩壊する」がある。
なお原文つまり学級通信ではK君。本人の了解で実名に直す。
素晴らしき生徒列伝 3 富野(東條、植田、斎藤)伝
前回は昔の腕白坊主チャンピオンK君でしたが,今回は現在大泉高校3年生のまじめな富野由紀子さんです。 悪い事がないから実名でよいでしょう。
富野さんは1年のとき,成績がわりと良いというだけで他は目立たない生徒でした。 小学校3年から毎日のようにいじめられていたYさんを「守る会」にも協力はしましたがメンバ−ではありませんでした。 ですから,富野さんの活躍は2年になってからですが、富野さんと一緒に先頭になって良い事をした東條、植田、斎藤の合計4人は1年の時僕のクラスにいた生徒とイコールなので,列伝に入れても良いでしょう。
クラスにはタバコを吸う体格・体力抜群のAさんとそれにひきずられて授業サボリをした事のあるBさんがいました。その中学では家庭環境に問題のある生徒が関中の何倍かいます。 学級委員になった富野さん,生活委員の東条さんら4人は2人とつきあう事にし,道徳や学活のときのトランプは一緒にやる事にしました。
7月にはAさんBさんが4人と遊んでいても,誰も不思議と思わないようになっていました。また2学期になると富野、東條の二人の指揮で先生が見ていなくても体育実技課題をキチンとやれるようになっていました。
生活指導主任が「忠生中なみ」という大荒れの学校でそうなったのです。
担任は4人に尋ねました。2人は悪いグル−プから抜けて良い生徒とつきあうようになるだろうか・・・富野さんは答えました。Bさんは大丈夫だと思いますがAさんは無理です」。 Aさんはもう一人の体格抜群さんと1年のとき同級仲良しでタバコ常習であり,一緒に他校女生徒タバコグル−プとけんかもしているから,無理だというのです。
それからBさんの家にもゆくし,Bさんを家に呼ぶつきあいとなり,秋にはBさんが真面目になってタバコグループとつきあわなくなりました。
冬になり他クラスのもう一人の体格抜群さんはどんどん悪くなり,家出して生活費かせぎに恐喝約40件。 かつての仲間Bさんも金を要求されました。 富野さん達は男子の正義派リ−ダ−黒川君らと協力し40日の間,5グル−プ交替でBさんを守りました。他の被害者は親が送り迎え。 40日目に守る必要がなくなりました。
Aさんはタバコをやめませんでしたが、恐喝に参加せず,校外ではケンカしているのに校内では暴力をふるいません。良い生徒とも付き合いがあるから,仲間を襲わないのです。 富野さんは塾にいっていなかったが成績はどんどん上がってトップクラスになり,ゆうゆう大泉高校(コンピュ−タ−による合格確率99%以上)に合格しました。
素晴しき生徒列伝 4 関口・出牛伝
前回登場の富野さん・東条さん・斎藤さん・植田さんの4人と同級の生徒で現在高校3年の関口さんと出牛さんです。 2人は中1のときは陸上部でした。1年はじめの勉強成績は全体として普通でしたが,運動・体育が得意です。
クラスには小学校3年からいじめられつづけているBさんがいました。
男子の大部分と一部の女子はBさんがくると「バイキンが来た!!」とよけますし,男子の一部はときどきBさんの机を蹴りたおし,「気持悪い,お前なんかいなくなれ!! どこかにいっちゃえ!!」
いままで先生に言っても効果がなかったせいでしょう。 先生にもいわず一人で泣くだけです。 知恵おくれで皆と同じ行動ができないため,気持わるがられるのです。
学級委員,生活委員になった仲良し2人が中心になり親切な男子の高木君,安田君も入れて6月に6人の「守る会」ができました。 いじめをなくす運動がはじまったのです。 会の活動は担任に見えず,教師命令でない活動に報告などありませんから,いついじめがなくなったか,はっきりした事はわかりません。
しかしBさんが,1月ほどたってから「先生。みなはいじめませんが,授業クラブの時先輩がいじめます」。ですから関口さん達の運動がクラスを制圧した事は確かです。 Bさんが「いじめがなくなる事がある」経験をしたから訴える気になったに違いありません。
球技大会のバレ−ボ−ルで,Bさんが3試合合計4点のサ−ビスエ−ス。 みなそのたびに拍手。 成績最低なだけでなく運動能力も低いBさんにとってボ−ルを相手の陣に入れるだけでも難しい事で得点するためには,物凄い練習と指導が必要だった筈です。 その指導は運動得意の2人がしたとしか考えられません。 男子でも特別不器用なC君をやはり運動得意の安田君,高木君らが特別指導した事がわかったので,推定は確かでしょう。
Bさんは何でも一生懸命やるようになり掃除は最後の始末を進んでしますし,+−計算や方程式も完全に覚えました。しかし悲しい事に計算時間が普通の生徒の5倍−10倍かかり,計算間違いも大変多い。 これは医学の問題で生徒の努力・協力ではどうしようもない事です。 2年のときもBさんは関口・出牛組に守られ,援けられ,クラス1真面目な生徒になり3年途中で転校しました。2人は成績も良くなり,部活動にもがんばって地区大会で入賞しました。
補注)通例だと「守る会」の自然成立を待つのだが、いじめがあまりにひどいのと、当時の校則(時間までに校門を通らないと校庭3周からはじまる体罰規則)からくる自治能力の低さを考慮し、2人に会を作るように担任が勧めた。初回の守る会に出席したので、結成時期・メンバーがわかる唯一の例。 担任出席は1回だけでありクラスでいじめの話をした事はない。 いじめ事件)が発覚したときは、犯人どもを5分間正座させ、「オマエらは女の子をいじめて良くないナ。ソウダロ(独り合点)。ここで5分間反省して帰れ」と教師の立場を示す程度の体罰を与え釈放していた。 3年間もいじめが続いているという事は、効果のない教師の説教・体罰も3年間続いているわけで、5分以上の説教・体罰は生徒の反感を増大させるだけであろう。
なお前回の富野らとの問答も、自治能力の問題のために行った。他の例では生徒が勝手に運動している。
担任が会をつくる事をすすめた時点での力関係は、女子の2/3が関口・出牛のグループであり、しかも中心にいる二人はいじめない…男子の半数が高木、安田が中心のグループでやはり二人はいじめない…という状態であった。 だから関口、出牛が動けば、運動の成功は確実であった。 そして成功確実な事も関口、出牛らにわかっていたから運動が行われたと思われる。運動自然発生が時間の問題という状態でなければ、有志運動を薦める事はできな
い。無理をすればリーダーが孤立して潰れてしまう。
数学指導が誰だかわからない。この結果は教えるほうも教えられるほうも常識の範囲にはおさまらない努力があった事を示している。 しかしその経過がわからなくて当然というのが無競争集団主義という指導法なのである。
素晴らしき生徒の何割かは活動が担任の目に入らないから列伝に書く事ができない。
素晴しき生徒列伝 5 S伝
S君は勉強の苦手な生徒でした。小学校時代の成績は1(算数)が一つ、2が三つあとは3です。 しかし,S君の良いところは,好きな事なら本気で一生懸命やる事でした。 小学校時代はみそとしょう作りだけ一生懸命だったそうです。
担任は田嶋先生という技術の先生で,教科書糾弾大会の計画者になり,著書も何冊かあるという名教師でした。 当時の練馬区で使っていた教科書は6本指の人間がドライバ−を持つ絵をはじめ,絶対鳴らないラジオや絶対動かないメ−タ−など田嶋先生によれば100以上の間違いがあったのです。
補注 当時練馬区で採用の理科教科書は67箇所の誤りだったから、技術教科書は更にひどい事になる。電気回路は筆者も理解できるから、田嶋氏の指摘どおりである事がわかった。
その先生の影響でS君はラジオやアンプを作るようになり,はじめは全部の部品がセットになっているものを買って組み立てるだけでしたが,自分で部品をあつめるようになり,そのうちに自分で設計したいといいだしました。
そのためには数学の勉強が必要です。 S君は私の理科と田嶋先生の技術では良い点数だったので頭は良いのに勉強しないだけだと2人は判断しました。 そこで数学の復習をすすめ,1年終りの通信簿は理科と技術が5,数学が4になります。 そのうちに最高級ステレオアンプを作ると言いだしました。
補注 仮説実験授業や中原式授業ではクラス最高得点で、授業が面白ければ
良い得点となる事がわかっていた。 筆者の悪趣味でテストには塾の先生を困らせるための難問(受験術では手に負えず、本当に基礎がわかっていなければできない)が10点分ほどあるのだが常に正解…本来の能力は大変優秀な事がわかる。
最高級ステレオアンプの設計には高校2年終了程度の数学が必要です。やります」。そしてわからない所は私に質問するという形で数学の自主勉強が始まりました。 そして3年夏にはついにそのレベルに到達し,もちろん数学が5になりました。 勉強の習慣がついたので,他もほとんど4です。
ステレオアンプも完成。 私と田嶋先生の測定で,十分な性能が出ています。 高校進学後が期待されましたが,高校でまた「好きな事しかやらない」くせが出て高3時に遊びにきたとき,私がテストしてみると数学・理科は東大合格クラスの実力だが,英語は高校1年程度の実力しかありません。
高校で適当な指導者にめぐりあえなかったため,そういう状態になりましたが,数学1から5,高校2年レベル(高校では大学教養レベルになり,勉強不足の高校教師を苦しめているという話を聞きました)に達した事は,素晴しき生徒の資格を十分みたしていると思いますがいかがでしょうか。
補注 筆者の錯覚。卒業の年の春休みにはパルス回路の学習をしていたから、初等微積分と簡単な微分方程式を勉強したはず。筆者のところに質問がなかったので記憶がいい加減だったのであろう。
素晴らしき生徒列伝 6 O伝
O君はこれまで見た自主勉強のチャンピオンで,中3では大学レベルの物理,数学に到達しました。 宿題などやってこない。 先生にあてられた瞬間できてしまうからです。
卒業時には音楽,美術,体育が4であと5という成績になり,都立西高から東大,東大大学院と進学したO君の1年1学期成績は4が5つ3が4つという成績でした。しかし,仮説実験授業のような面白い授業をしている時のテストの得点はクラス最高で頭が大変良い事がわかります。 教科書にそった授業では並の点数しか取らない。 要するにイタズラボウズのチャンピオンで,毎日のように仲間とあばれては職員室の前に立たされ、勉強とはほとんど縁がないのです。もっとも悪名高いのは金魚のエサを給食に入れた事件。興味のない授業では授業中騒動の仕掛け人。
10月に腎臓病になり,体育禁止。 もちろんあばれる事はできません。
そこで,好きな天文学をやるために数学自主勉強をはじめました。そうしたら物凄く「出来る」のです。 中1のうちに中3突破。 最終結果は先の通りです。人間的にもすっかり自信を持ち,優秀リ−ダ−とされるようになりました。 数学の時間など,生徒が出来ているかどうか見まわる先生(担任)助手です。
中3夏には推計学や哲学の本も読むようになりました。かつてのイタズラ仲間(金魚エサ事件で逮捕された)と2人に家にきたとき,片方が「おい,オマエは最近凄く勉強するんだってナ。 どの位やるんだ?」。 答えていわく「日曜だと10時間以上かナ」「ええっ。 それじゃあ遊ぶヒマがねェじゃねェかよう・・」 さんざん遊びあばれまわったのですからその位勉強して当然かもしれませんね。
科学者というのは勉強ばかりしているのですが、勉強が面白いから科学者になるという人がいるのです。O君は中学でその段階に達したのです。
素晴らしき生徒列伝 7 T・O・S・M伝
T君は学級委員でとした。どんな学級委員だったかは、推薦されたとき「オーイ,やめてくれヨ−。 学級委員になったら悪い事ができネェじゃネェかヨ−」という発言でおわかりでしょう。 有名イタズラ・腕白ボウズです。
正座させられた回数は年間で50回位。 おそらく年間60回位のSa君,70回位のO君とは大の仲良しです。
冬に学級閉鎖をめざして仲間を扇動し,共に仮病になり,先生の目をごまかしてスト−ブで体温計の数字をあげるなど有名イタズラボウズそのもの。
こういうT君達ですが、皆とあそべない生徒を仲間に入れるよう努力するなどど良い行いもありました。 とくに良い行いは御礼参り阻止事件です。
10月にトイレで上級生3人がタバコを吸っているのをS君が見つけて先生に伝えましたが、塾で「チクリは1年のSらしい」と彼等が話しているのをクラス生徒が耳にしました。
T君O君Sa君ヤジ将軍3人と後期学級委員の三好君を中心に多数の男子が参加して「S君護衛隊」がつくられ,登下校からトイレまで同行します。 1月になってクラスに3人がきて「Sを出せ」
T君は作文に書いています。 「悪い先輩たちとにらみあっていた時間は5分ぐらいだったらしいが,僕たちには10分か15分くらいに長く感じられた。 先輩たちが退散したときはホッとしたような気持でいっぱいだった。」
この護衛の中心になってT君たちは、2年になってまもなく、生徒会副会長の岩永君、やはりリ−ダ−の山本君らと「同盟」をつくります。誰かが悪い先輩(10数人いる)に襲われたら全員が仲間を集めかけつける,というのです。 同盟のリ−ダ−以外でも仲間が被害者なら実力で守ります。
3年ではT君O君は持久走学年6位,1位となり,成績も上がって立派な生徒になりました。 先生がいなくてもT君O君ら(岩永,山本らも同じ)の指令でそれぞれのクラス全員がまじめにやるという自主管理リ−ダ−です。Sa君は小学校時代授業中の騒動と先生に対する反抗で大変な生徒だという事でしたが,地区大会優勝のバレ−部アタッカ−,副リ−ダ−となり活躍しました。
この学年が「ツッパリのいない学年」になりました。
素晴らしき生徒列伝 8 M・H・S伝
また例によって,1番良い生徒は1番悪い生徒,2番目に良い生徒は2番目に悪い生徒,3番目に良い生徒は3番目に悪い生徒というクラスです。 そして男子で成績1−3位もこの3人で,張り合って勉強し,張り合って授業中騒ぎ,張り合ってイタズラの先頭に立ち,仲間を守る集団登下校・集団トイレ*も先頭・・・その3人が学級委員,生活委員,体育委員!!!
* 小さいD君が,他クラスの悪い生徒にスポ−ツ店から〇〇〇を万引してこい、と脅かされた事件で。
また授業中騒いだというので呼び出すと正座したまま,ボクは真面目でしたがこの二人が騒いだのです・・・・三人とも同じ事をいいます。 反省文を書かせると,ぼくは真面目でしたが学級委員がなっとらん・・・・生活委員が先頭に騒いでいる・・・体育委員がまじめそうな顔で実は一番悪いのです・・・。
まず学級委員のH君は,練習の厳しい男子バレ−部(テスト1週間前・テスト期間は大抵休みだがその他は正月3ケ日とおおみそかだけ,地区優勝は当り前で全国優勝1回)で夜はスイミングクラブ,水泳大得意というモ−レツ生徒。こうなると教師のほうが尊敬しなければいけない感じです?
同君発案のイタズラで有名なの飯盒炊餐のとき,男子が一人を除いて全員いなくなった事件。 少し遠くにいって泳いでいたのです。みな水泳パンツを用意してきていて,ハダカ族出現というところ。残っていた一人は泳げないのでありました・・・・。
体育委員のS君もモ−レツ・バレ−部。 S君発案のイタズラの傑作は,
目覚まし時計事件。 いつも延長戦をやる某先生,チャイムが鳴り終っておもむろに教科書をとりあげて授業を再開したとたん,放送用スピ−カ−の上の目覚まし時計がチリチリチリ!!!。皆笑ってしまい先生も笑って授業はチョン。
しかし最大の豪傑は生活委員だったM君でしょう。もちろんモ−レツ・バレ−部員。 2年のとき学級委員になりましたが,新任のS先生がきびしい指導方針をクラスで発表したとき,「先生!! それでは生徒がついてきません!!」
あまりにきびしい約束は生徒が守れないというのです。 それで先生がどの位ならいいのかと尋ねたら,堂々と自分の意見をいったらしい。
若い先生ですから,M君の言いぶんを認めたそうですが,そうしたら大変張り切り,番長候補といわれた某君とつきあう運動(家にまでいって一緒に遊ぶ)を仲間6人(もと同じクラス)と勝手(教師の指令命令なし)にはじめ,グル−プから引き抜き,2年の終りには某君は良いほうで活躍するようになりました。
M君はそれからイタズラ・授業中騒動をやめ,生徒会長になりました。
補注 1年3月現在では番長候補が3人考えられていた。そのうち体格の良い二人がそれぞれのクラスを暴力で支配するのを防ぐために、このクラスから7名づつ男子を送りこんだ。対暴力訓練(1年のときの集団登校集団下校集団トイレ)ができているという理由である。もう片方の候補も3年で非行をやめた。 残りの候補が番長になった。
素晴らしき生徒列伝 9 岩田・渡瀬・国分・犬井伝
男子の腕白大将3人組が大活躍をしているとき,女子のほうでは岩田・渡瀬・国分・犬井の4人組が活躍しました。ここでは国分さんの活躍をのせましょう。
クラスには小学校時代いじめ続けられたA君がいました。 クラスでは女子4人組,男子3人組が先頭になっていじめをやめさせていましたが,9月現在まだ他クラスから出張してくる者がいじめていました。その日はA君が掃除当番でしたが私が廊下をちょうど通りかかったときです。
掃除の最中に他クラスから出張してきたB君が,掃除をしているA君にからみはじめた時,国分さんを先頭にあとの5人がかけつけました。 女子3,体の小さい男子2人はホウキをふりかざして大きなB君をベランダのすみまで追いつめて何かいっています。 私が「ありがとう」と5人にいってB君を受けとり,それで終。 皆の前でほめる必要などないからやらない。
家庭環境が大変悪く,みなから孤立しがちのCさんと班をつくるのは女子4人組のうちの誰か2人です。 Cさんと一番よく遊ぶのもこの4人です。Cさんの気持を理解して仲間に入れ,学校だけは楽しい生活ができる所にしているのです。 国分さんは成績も良くなり保谷高校(大泉高校級)に合格しました。
素晴らしき生徒列伝 10 H伝
HさんはT君、N君、K君などと同じクラスの学級委員でした。学級委員ではあるが勉強はきらいで、1学期中間テストの結果は女子のビリ。それより下に男子が6人いましたが…。
好きなのは運動でこれは得意です。女子としてはヘヴィー級ですが、走るのは速くそれだけ体力、運動能力がある。女子バレー部に入りそキャプテンになりました。多摩大会4位。
Hさんが勉強をはじめたのは、女子バレー部で体育を教える福間千鶴子先生を見て、わたしもそうなりたいと考えたかららしい。1年後半から勉強をはじめ、1年の3学期には中より少し下というところまで成績が上がります。
球技大会のときは、K君のときと同じく担任・職員会議を無視して、テスト前日でも近所の広場で練習。この時は、先生に見つからなかったので半年あとまで僕は知らず。 なにしろ女子バレー部員が一人なのに、多いクラスは5 人もいます。 父母が体育大学学生を有料でコーチに招くシステムなので、部の技術水準は1年でも3学期になればかなり高い。よほど練習しなければ優勝できないと考えたのでしょう。
Hさんが熱心に技術指導したせいか、バレー部一人で5人のクラスとの決勝戦に勝利。 Hさんは喜んで泣き,その写真は今でも保存してあります。 勇気に富み,おどされた友達(女子です)をかつての仲間を集めて守った事件もありました。 成績は次第にあがり,卒業時にはかなり上になり,高校・大学でもがんばってめでたく体育教師になりました。
素晴しき生徒列伝 11 大畠ほか伝
中学生理科の授業で,ぼくが困って立ち往生した事があります。大畠君が立ちあがり,「質問! 砂糖水のほうの水分子はなぜ水のほうにいかないんですか? だって同じ水分子でしょう?」
ナメクジやカタツムリに塩や砂糖をかけると,体から水が吸い出されます。
セロファンの膜でも同じ事があり,片方が濃い塩水や砂糖水で,もう片方が真水やうすい溶液なら,濃いほうに水が吸い出される。
教科書では,セロファンの穴は小さく,水分子は通るが,大きい砂糖分子は通らないからだと説明があります。 しかし,大畠君のいう通りそれでは説明にならない。 砂糖水や塩水の水が吸い出されてもっと濃い砂糖水や塩水ができてもよい事になってしまう。当時の東京書籍の理科教科書は60以上の間違いがありましたが,全部訂正しなが授業するのは面倒だと、教科書そのままのゴマカシ授業をしていたのです。
−−−正しい説明はエントロピ−増大則による。直観的説明なら中学生に可能。
そこで,生徒の前で「実はウソを知らぬ顔で教えて大変申し訳ない。 実は大畠君が正しく,教科書の説明は間違いである・・・・」と平謝り。
このような教科書の間違いに納得しない生徒は,自主勉強をした生徒とほとんどイコ−ルで例外は少ない。 菊池君(素晴しき生徒1)・井上君の2人が,2年になってから「他教師の説明に納得できない」とぼくの所に来ましたが,やはり教科書の間違い(貿易風の原因)でした。 もちろん2人も自主勉強組。
自主勉強チャンピオンのO君などは,T東工大教授の大学教科書のウッカリミス(行列という数学での不完全な証明)に気付きました。
大多数の教師や大学生が気付かない間違いに,納得しない生徒たち。 実に素晴らしい生徒ではありませんか。
素晴しき生徒列伝 12 南家ほか伝
南家君は小学校ではまじめな優等生でした。先生に対しては礼儀正しく、言葉遣いも態度も実に品が良い。 名前のように貴族の血をひいているのかも知れません(藤原氏の血筋)。 そのためか1年の前期学級委員の選挙で落選。 おそらく真面目すぎると敬遠されたのです。
しかしすぐイタズラ天国の雰囲気にも慣れ、無冠のリーダーに。 南家君のイタズラの傑作は次のようなものです。 菊池君(1回,11回登場)、井上君(11回登場、成績中位からトップクラスに、学年委員長、菊池君とともに教科書説明の理論的誤りを2年のとき発見),野田君(後に剣道部部長、学年委員長、前2人とともに自主勉強組で教科書の別の理論的誤り発見)、並木君(後に体操部キャプテン、学級委員)、・・・などと相談はしましたが、主犯はやはり南家君です。
某先生からこのクラスはうるさい、と散々お説教をくらった彼等の考える事に「あの先生は静かならイインダロ。このクラスはうるさいかわり、授業中手を挙げる生徒も多いのだ。今度から絶対騒がないかわりに、絶対手を挙げない事にしよう。」
姫野さん(学級委員、10回登場、後にバレー部キャプテン)、後期学級委員で年間4日しか休まないバスケット部の青木さん、小説を読む事に努力し国語はいつも成績1位の阿部さん(後に生徒会会計、学級委員)・・・など女子リ−ダ−諸君も賛成し、次の時間にクラス全員が参加,実行。
ところが真面目なその先生はそのあと別のクラスにいって「あのクラスは自分が注意したら静かになった。お前たちも静かにしろ」と演説をぶったそうです。
イタズラ坊主やオハネ娘らはあてがはずれて皆ガッカリしたというお話。
補注)南家君、次の年にその先生の担任クラスになり、「とてもいい人なのにあの時は悪い事をしたなあ」−−−
クラス紹介の南家君作文「このクラスはうるさいのなんの,5本の指どころか1本の指に数えられます。」
補注)10月前半頃までは疑い無く一番うるさいクラスであった。その頃に自主管理と援け合いが成立したらしく、成績も行ないも急上昇してゆく。 ただし授業態度が改善され、校内暴力阻止体制ができてもイタズラ天国は不変。
「イタズラも手いたずらでは済まないのが特徴で、職員室との往来が絶えません。」
つまり毎日のように誰かが捕まっているというわけです。
南家君は2年のとき生徒会長になり、生徒会役員、学級委員、部長・キャプテンなどの半数を占めたかつての仲間とともに学年を支える力になりました。
補注)全部で6クラス。
訓話や討論より先に生活を変える指導
さまざまな条件での実践例
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