実践を
1 典型的実践 2 様々な問題を抱えた実践
の順に記す。 後者の実践例は成功例を書くのでなく、各種困難例の最後の実践を挙げたのだから、後記のような厳しい判定基準では失敗に数えられるものもある。

典型的実践

 最初の2回の実践(1年生)は問題児均等配分であり、成見学級再現が可能かどうかという実験とした。 
 成見学級も今村学級も、前記のように個性を育てる方法は不十分であり、教師の個性的能力や偶然も支えになって自主管理が成立したと考えられる。

   毎回自主管理クラスを実現するためには、個性を育てる方法を改良しなければならない。 また誰が担任でも自主管理を実現するには、主要な指導がプログラムとして客観的に記述されていなければならないと考えられた。 
 また結果と方法の関係をはっきり示すためには、理論以外の指導を全くしないようにしなくてはならない。 3分以上の話をしてはいけないし、班ノ−トや作文をもとにした話し合いもいけない。 生徒との話し合いの場合も、以下のように定型的な発言をし、それ以外の発言をしない。 絶対に「正義」やそれに類した言葉を吐かず、演説に類する行為は厳禁、理論にある進路指導以外の説得もしない事とした。 教師の立場を示す発言は視点を明確にするため必要であるが、教師の考えや立場をわからせるだけで、生徒の説得を期待しないから3分以下の話で十分であろう。

   今村氏は話上手で「神通力」に類する能力さえある。 生徒・卒業生だけでなく、他教師たちの人生相談も少なくなかったという。 しかし成見氏はかなり口下手で、「神通力」「教師として個人的な指導力抜群」「名人芸」に類する能力は全く感じられない。 だから指導の大部分はプログラム化容易なはずである。 
       個性養成のためのプログラム教材
 別項。 授業は入学式の次の日の2時間目学活でそのプログラム通り行う。  この指導は極力早くはじめないといけないので、普通のクラスでやる自己紹介とか、作文の時間のカットが必要とした。 生徒自己紹介はなしとし、担任自己紹介も2分程度とした。   2日目の学活の最初の時間は「みなが仲良くするには、自己紹介より遊ぶほうが良いと先生は思う」「だからトランプをやろう(それ以外でも遊びなら良い)」という事で1時間遊ぶ。 もちろん前の日に予告し、トランプを学活の時間以外(休み時間)にやらないという指導を教師主導でしておく。 契約でなく指令である。
   親善という理由で出席簿順の臨時班毎にやる事にし、じゃんけんに負けた者がトランプを用意する事にした。ただし忘れる者がいるから教師が2組用意した。

   次の時間がリンクの進路教材である。
無競争集団主義の進路指導(リンク)
 
 その次の時間に「人間のクズでなく、立派な人間になるため、何か良い事に努力しよう」という事で全員200字原稿用紙に目標を書かせた。
   しかし初回の実践でも2回目の実践でも、大多数の生徒は「部活にがんばる」とか「勉強にがんばる」といった曖昧で実質的には空文にすぎない内容しか書かなかった。 それまで「目標」とは飾り、お題目のようなもので、テキト−に書けば良いものだったからであろう。 つまり普通の指導で目標を考えさせる時には実質的に偽善・誤魔化しを公認している。 偽善にならないという具体的方法なしなら、目標はないほうが良かろう。
   つまり具体的にして実現がかなり確実な目標以外はなしとする。したがってクラス目標とか班目標はない。 学校目標の掲示は不要・有害として貼らなかった。 
   僕は「クラス目標を決める学活」で担任が席をはずした時の討論を見た事がある。 担任が席をはずしたとたん、成績優秀にして運動も得意な生徒会長君が立ちあがり、「も うイイカゲンにどれかきめようぜ。どうせ真面目にやる気は皆ないもんナ。」

   そこで次の時間、全員にトランプやフル−ツバスケット・ハンカチ落としなどのゲ−ムをやらせ、一人づつ廊下に呼び出して個人面接を行う。 ただし同じ部活動に努力するという内容で、運動能力・成績(小学校指導要録抄本)に大差がないと思われる場合は3人程度一緒の場合もある。

   そして目標を次のように具体的にして実践可能なものに変えるよう指導した。
  「部活動に3年間努力し、遊びや塾の都合でサボらない。」
      1週間1回の部活動の場合は「あわせ技」としてらくな他目標も考えさせる。皆に尊敬され、本人が誇りを持てる内容にすれば良い。たとえば「部活動のない日は30分旅行の日でも勉強する」「そろばんを習う」など。
 
「同じ委員会に3年間立候補し、遊びや塾の都合でサボらない。」
   「定期的な手伝いに努力し、遊びや塾の都合でサボらない。」
  「勉強に努力し、学校や塾のレベルを無視して、1年以上先に進む事を目標とする。」
  数学が最も容易で、1年のうちに3年まで終る生徒は珍しくない。 当時は文教出版の教科書を用い、わからないところを担任か数学の先生に聞く事とした。 もともと数学が得意なのだから問題は半分でわかるとして半分カットという方法であった。 よくわかっ たという自信のない場合だけ問題を全部やる。 後期の実践では麦の芽出版会の自習書を用いた。1年で中3まで終わる生徒は中学時代のうちに微積分を勉強すると考えて良い。
 次に容易なのは帰国子女の外国語である。 ほっておくと半年でほとんど外国語を忘れ てしまい能力がムダになる。 本人の精神年齢に合うと思われる対訳書を本人と家庭に推 薦した。 それを読むことが目標である。 よく英語の教師が推薦する絵本は、単語を忘 れた場合辞書が必要になるから、忠実な訳本がある時以外は好ましくないと考えられた。 辞書はできるだけ使わず 和文・英文(独文、西文…)を比べて大体わかれば良いとする。 ただしよく出てくる単 語は辞書を調べてその説明と用例を全部読むようにという指導である。

  「真面目である事に努力し、病気や家庭の都合で以外の遅刻をせず、チャイム着席違反をせず、授業中先生に叱られないようにする」
  …・その他、皆から尊敬されるような努力なら何でも良い。 皆から尊敬されるようになり、自分に自信を持つ生徒が、その事を互いに認め合う集団つまり中心グル−プを作る事が目標だからである。
   すぐ目標が決まる生徒もいるし、なかなか決まらない生徒もいる。 しかし大半の生徒で目標が決まると、クラス雰囲気の変化のため、決まりにくかった生徒も次第に決まるようになる。

   大多数の生徒は「何事もイイカゲンにやり、好きなことでも努力がなかなかできない」子どもである。 何か努力を始めれば、生活改善の橋頭堡ができた事になる。
 だらしないイタズラボウズで授業中よく騒ぎ、忘れ物も多いが、委員の仕事だけはまじめといった類の生徒が多数出現する。

   あとは生徒同士を近づければ、つまり遊ばせれば「類は友を呼ぶ」原理で、中心グル−プが形成されるであろう。 そして自分の努力を他人に認めさせるため、他人を援ける行動が自然発生し、援けあいと共に関心の範囲も広がって全面発達がはじまるという仮説である。
   だから学活の時間の半分を遊びとした。 後記のように「グル−プ代表会議」をリ−ダ−会議とすると、クラス討論は短くても十分な意見一致が得られる一方、教師は演説をせず(立場をわからせるだけ)、説得・折伏・洗脳を放棄するから時間は短くて良い。 無競争集団主義では教師が生徒を直接指導・説得するのでなく、生徒が自力で進歩する環境をつくるのである。 理科授業でいえば、教師が理論を教えるのでなく、生徒が自力で理論を再発見し、教師はそれを定式化するだけの授業に相当する(仮説実験授業や科教協の名教師である中原正木氏、玉田泰太郎氏らの授業はそのような授業)。

   親にもこの指導の話はする。 「好きなことで努力できる」段階に達することが「勉強で努力できる」段階に進むために必要という理屈はよく入る。 また前記の教材も多数に支持される。 親の半数も平均以下の成績だったからである。
   先行実践でクラス成績が学年1であった事をつけ加えたから、当然文句は出なかった。 
   生徒の目標の確認は家庭訪問の時、親の前で行った。 その目標を達成すれば、本人にとっては大進歩なのだから、欠点(成績を含む)があっても本人をほめるように念を押しておいた。
   この指導をすると、対問題児でごく普通にみられる関係つまり「××と話すときイコ−ル××を叱るとき」という最悪の関係ができない。 ふだんほめているから、叱っても信頼関係は崩れにくい。 ほめる点の見つからない生徒がいない。

   9月に点検を行う。 部活動が続かなくなるのが夏休みあけという事が多いからである。 つづかない者は、その部が一番本人に適当という場合は続けさせる指導をする。 親、友達、先輩の力を総動員するから、1年生でただやめた例はない。
   部活動が本人に1番向いているとはいえない、または向いているかどうか不明の場合は体育教師の意見を参考として転部させる。 特に親しい友達がいれば、その友達と同じ部に移ると続きやすい。
   たいていの生徒は9月の点検…面接は5-10秒で終る。 しかも同じ部の生徒は一緒である。 「部活動(委員会)はちゃんとできてるかナ」「ハイ、大丈夫です。」「では次の人を呼んで。」  これだけで(本当は酒井式行事・契約・グル−プ代表者会議の効果があっただろうが当時の筆者の意識では)初回には10月頃自主管理が成立した。 1学期にはテストのクラス平均が学年平均よりやや下であったのが学年1位となり、グル−プ数は男子1女子2(一つのグル−プは2人だけ)となり、遠足での午後のクラス遊びでは他クラスが男女別であるのに全員の遊びになった。 中心グル−プの人数は半分位で成見学級とたいして変わらないが、その他の生徒もある程度は何かに努力しているという事で共通の雰囲気、共通の話題を持っているから、次第に中心グル−プの傘下に入ってしまい、3学期には全員1グル−プ(真面目女子2人を除く)になってしまった。
   授業中騒動を制限する契約をしていないので、つまらない授業ではリ−ダ−層が音頭 を取って大騒ぎし、それでも平均点は学年1位(成見学級と同)になった。その騒動に批判的な女子が二人いて、楽しく騒ぐのを認める女子の大多数と別のグル−プになって いた。

 クラス座席は自由(期間は1)だが、誰が誰と並んでもおかしくなくなり、食事の座席は毎日変化、座席は毎月大変化するようになった。 もちろん問題児はいる。 生活委員君が他の中心グル−プメンバ−男女数人とやってきて 「先生。某君がポケットにタバコを入れていました。 僕達の力でやめさせますから、先生は何もいわないで下さい」と言ってきたのが9月であろう。 中心グル−プが十分強力だと思われるので、それを認めた。 某が学年のタバコ・暴力グル−プと中心グル−プの両方とつきあっている事はわかっていた。 3月には某の通知表は数字合計が7も上昇し、本人が踊りあがって喜んだ。

   中心グル−プが強力である事は、次の年に生徒会本部役員、前期後期学級委員、部長・ キャプテンの半数を彼らが占めてしまった事であきらかであろう。全部で6クラス。
   またクラス分解後1月あとに、もとクラス生徒の一人(中心グル−プでない。努力は中 途半端なほうであまりしっかりしていない)がタバコ・暴力グル−プ(4人だった記憶) に校内で(昼休み)脅されたとき、旧中心グル−プがそれを見つけて動員をかけ(18 あつまる)、恐喝加害者たちがあきらめた事件がおきる。

   10月には担任がデクノボウとなり、クラスは普通の教師の考えるような「生活指導」から解放された。 他クラスで何がおきようとクラス内は無風であった。 あとは勝手に生徒が運動し、成見学級の特色がすべて再現された。 そして問題児とつきあう運動や暴力阻止の運動は教師の知らぬ間に自然発生した。 教科書通りの間違い説明に納得しない生徒の質問事件(僕は成見学級で懲りていたので他教師)も2件発生し、良い授業では討論の質・量とも抜群でつまらない授業ではリ−ダ−統制の大騒ぎをするところも同じであった。 先生に捕まり叱られている生徒たちの中に成績優秀なリ−ダ−たちがいて、主犯である事が少なくないのも同じであった。

   2回目の実践でもほとんど同じであった。 小学校3年の時から半数以上の生徒にいじめられている生徒がいたが、7月には「クラスでは誰もいじめないし、他のクラスからいじめに来ると、皆が守ってくれると申しております」という親の話。 もちろん僕はいじめの話をした事がなく、運動は自然発生である。
   やはり、一部の授業では学級委員を先頭にさんざん騒いでテスト平均は学年1となった。 9月のグル−プは男子が2、女子は3だが、3月段階では全員1グル−プと言っても良い状態、つまり昼食の座席は日替わり、授業座席も1月に1回の席替えのたびに自由座席で近くに座る者が大きく変動し、座席希望の予測ができないようになった。 間違い教科書での質問事件が無い事が唯一の違いだが、これはこのクラスでは帰国子女の語学以外の自主勉強努力者がいなかったから、やむをえない。

   3月の球技クラス対抗のため期末テスト2日前まで練習をしているのはわがクラスだけ。 前日も練習するから居残りを許可しろと生徒たちが言うので「馬鹿いうな。 明日テストという日位勉強しろ」と僕が怒鳴ったら、その日放課後20数名のわがクラス生徒が近所の広場で練習しているのが生活指導主任に見つかり叱られたという。 次の日聞いたら捕まらなかった連中は卓球組で別のところで全員練習をしていたのだそうだ。
   驚いたことに、1回目の実践の時も生徒たちは3月の球技クラス対抗にそなえて前日に近所の広場で練習したという。 この時は先生に見つからなかっただけなのだそうだ。 前の日練習しても両方のクラスとも3学期期末テストの3教科テスト合計得点の平均は学年で一番高いのだ。 成見学級の諸結果は偶然でなく、この方法では必然として出現するとしてよかろう。 こういうクラスにしたい、といった演説・直接指導は皆無で自主管理が成立し、正義に類する単語を担任が口にしないが、生徒は中心グル−プが先頭になって勝手に正義の行動に立ちあがり、正義が実現された。 2回目の実践でも10月以後、クラス内では生活指導つまり補導の話題ゼロであった。 普通の教師がするような生活指導は中心グル−プ、グループ代表らが勝手にやる。

   筆者は子供時代友人が少なく、大人になっても子供と遊ぶのが大の苦手である(神経が磨り減ってあとで大変疲れる)ところが、子供大好きの成見氏や今村氏と違っている。 それでも11回の私宅開放で7割程度の生徒が遊びに来ている。成見氏の数字と大差がある(多分今村氏の数字とも大差)が、これは子供苦手のせいだろう。

問題児多数の実践報告

    春の大混乱から大変遅かった自主管理成立まで

   3回目の1年生実践も同様な結果であった。 恐喝被害者を集団登下校で防衛し(後記の素晴らしき生徒列伝)、また小学校3年からのいじめられっ子を実力で防衛し他クラスから出張してきた加害者を吊るし上げた事件が発生(後記の素晴らしき生徒列伝)した。  これらの良い事の先頭になる男子3人と授業中騒動やイタズラの先頭になってしばしば正座させられている3人は同一であった。  このクラスではまた授業中騒動を制限する契約をしていない。 もともと授業中騒動 の主が少ない場合は制限したようが良いのかしないほうが良いのか判断が難しい。 制 限すると他教師からの苦情はでないが、クラスの団結は遅くなるように思われる。    

女子リ−ダ−4人は品行方正そのもの、大変仲良しで、不幸を背負った生徒の面倒をよく見たし、いじめ阻止の実力行使でも活躍した。 やはり全員1グル−プに近くなり、誰と誰が希望座席で並んでもおかしくない状態となり、生活指導上の問題児ゼロであり、奇人変人タイプで友達が普通ならできずいじめの対象になりやすいと思われる問題児3(そのうち二人は僕の希望でトレ−ド)もそれぞれの個性を生かして活躍し、「面白い奴」として皆から認められた。 その一人で勉強の苦手だったM君の数学が5になった。 女子学級委員の岩田が言った。 「男子が皆違っていて面白い」。 1年の時の同窓会が2年のとき行われ、高3まで存続した。

 1年のときに恐喝事件が2回あったが、加害者グル−プの中に番長候補が3 いた。 彼らのうち体格の良い二人が2年のときそれぞれのクラスで暴力による裏支配をするおそれがあるというので、その担当1年クラスから男子7人づつを入れた。 彼らは暴力を実力阻止する運動の経験者(被害者の一人がクラスにいた)だからである。 彼らは暴力支配を阻止したのはもちろん、一人の強力問題児は非行をやめてサブリ−ダ−級の良い生徒になってしまい、もう一人も3年はじめに非行をやめてしまう。手当てのない一人が番長になった。

 この実践では「1月に1回遊びに来て良い日」をやめて、結果を見た。結果は変わらないから、私宅開放は必要ではないという事がわかった。 また自主勉強以外の個性指導(写真や山、電気工作など)も年齢の関係でやめた。  この実践を含めて初期実践の1年の3回のクラスはもともと「普通のクラス」つまり、シ−ドされた反抗的問題児は均等分配である。 ただし奇人変人生徒は筆者の希望で他クラスから2人貰い受けた。

   しかし23年の実践とか、1年でも問題児が特別多い場合はどうなるのであろうか。 小学校からの連絡がないので偶然問題児が多い場合もあれば、「問題児が多いと面白い」「この方法の限界をさぐる実験がしたい」という理由で、他クラスの2倍の反抗的問題児を引き受けた事(そういう年度のほうが普通)もある。
    学年教師会で認められる程度は2倍程度である。 それ以上引き受けたいと主張した事   は多数あるが、授業が大変だという理由で反対され実現しなかった。
   ここでは問題児が特別多い1年での実践報告を先にする。

 無競争集団主義では「教師の執権が確立している」という条件がないと成功しないと理論的に考えられる。 この学級では小学校からの指導要録抄本で行動の評定9のうち「C」が6つつき(学年2)「反抗的」という某君をはじめ、C5君が二人、C4君が一人、C2君一人、C1君二人…その中には非行歴のある生徒もいるという大変なメンバ−であった。 つまり無競争集団主義が成立するかどうかギリギリという条件である。 女子の「C」は一人であった。
 つまり無競争集団主義よりも、「最初は基本的に集団主義を採用し秩序が確立したら無競争集団主義に切り替える」という方法のほうが正しいかも知れないというギリギリの条件。実験として純粋な無競争集団主義を採用したのである。

 結果は授業困難、割ったガラス7(1年の平均は2.3枚、校舎はガラスが大変多い)という有難くない新記録を作った末、1月になってようやく自主管理が成立して授業中大騒動がなくなり成績も良くなる。 2年生(この章のはじめにあるクラスの学年、つまり1年担任が連続)のタバコグル−プによる「お礼参り」と実力で対決(3ヶ月の集団登下校、集団トイレとにらみ合い)し、勝ったクラスでもある。
 このクラスには「1年間の反省」という生徒作文がある。 生徒には作文を嫌う者が多いので例年は作文を極力書かせないのだが、この学年では学年教師会で書くことに決まったので書かせた。 全員に1年間の反省の作文を書いてもらい、それを数人の学級代表がまとめて1つの作文にし、3月の父母会で1年全父母、1年全生徒の前で読み上げるというものであるから、2-3人の生徒に書かせて誤魔化すわけにはゆかない。

 以下作文とその解説という形で実践報告をする。 生徒作文には解説にあるように、事実と相違する点があるが、原文改訂を要求しなかった。 生徒は文に書かれたように理解しているという記録であり、改訂を要求すべきではなかろう。 編集にあたった代表は7人で、そのうち一人は国語が得意という理由で選ばれたのだが、あとの6人はリ−ダ−で、そのうち3人の男子は「お礼参り阻止事件」でもガラス割りや授業中騒動でも中心、つまり良いことでも悪い事でも先頭になった生徒である。

     14組の一年間の反省」全文
 「入学した時期、私達1年4組は普通のクラスでした。しかし中には授業時間 45分がもたずに,35分位になると『わぁ−あ−ああ』などと叫び出す者もいました。」
 こういう生理的?に特別落ち着かない生徒がいる上、小学校時代大騒ぎした生徒が多いか ら、授業中騒動を制限する契約は無理と考えられた。契約は「仲間はずれ」防止だけ。
 「しかし,2,3週間もたつとみんなの仲がとても良くなりました。 具体例をあげますと,私達は昼食の時は好きな人達とグル−プを作って食べているのですが,その時,仲間はずれがでないという事です。 それに,昼休みにはだいたい全員が外に出て,仲良く遊んでいます。 Aさんの書いた作文の一部を読んでみます。」 
   昼の弁当の時間の座席自由は「仲間外れなし」という条件での契約なのだが,生徒 はこう感じているので無修正にした。 またみんなで外に出る運動も多少はあったが,3月現在努力なしにその状態なので,リ−ダ−諸君はその事を忘れたのであろう。 

「『4組の人はものすごく仲がよくて何をする時も一緒です。 けんかをしたな と思っていると,もう仲がよくなっていて,楽しい時も淋しい時もみんな一緒で す。仲間外れの人は一人もでません。』   
 このことからも4組の人達の仲の良い事が,おわかりいただけたでしょう。」
 この方法でできるクラスの特色の一つ。5-6月現在で男子2グル−プ、女子3グル−プ だが時間とともに融合が進んだ。 5グループ以外の生徒は存在しない。

 「私達のクラスは仲がよい代わりにうるさいのも人一倍でした。その理由はみ んの仲が良すぎるという事もありますが,つまらない授業が多いせいでもありま す。 授業がつまらないと,誰でも『あ−つまんない授業だな。 何か面白い事 はないかなあ。』と思います。 
 そのとき誰かが当てられてこっけいな失敗をしますとそれっとばかり誰かがヤ ジります。 そうすると我も我もとヤジが続き,ヤジられた者も負けずにヤジり かえし,そのうちにヤジだか叫びだかわからなくなります。 なにしろ一番小さ いB君が一番大きくて力がB君の3倍か4倍ありそうなC君をヤジるくらいです から,誰が誰をヤジってもおかしくないのです。

 ある男の先生は授業中あまりうるさいので出ていってしまいました。 ある女 の先生の授業の時,先生にうるさいと注意された男子が反対に,何を聞かれても 一言もしゃべらないことにしたので,先生は泣きだしてしまいました。 もちろ んあとで二人の先生にはあやまったのですが。」  
                   前記のように授業中騒動を制限する「契約」をしても守れない事が自明だから、その点で弾圧中心の形式的指導をしている。無理な契約をすると「契約」が守れないから契約の意味がなくなり,全面弾圧に追込まれ,自治成立は夢にもならない。騒動のはじまりがリーダーである事は例年と同じだが、大切なところで騒動やめの指令を出さない。この方法では他クラスより早期に授業中騒動がはじまり、春の段階では学年1(5-6月がピ−ク)だから、このクラスの騒動は抜群にひどいものであったろう。
 しかし面白い授業(複数)では騒動が存在せず、C5君の羽ばたきもない。 大衆の要求水準が低いからリ−ダ−もそれに合わせているのでリーダー統制はあると考えられる。

   授業中がこんなですから私達のクラスのガラス割りは南中創立以来最多記録の 7枚です。 特定の人が割るのではありません。 みんなで教室いっぱいになつ てふざけているうちに誰かが割ってしまうのです。」 
 担任の眼からみると,主犯は特定の者で,その中にはリ−ダ−諸君の多くが含まれ ている。たとえばリ−ダ−の一人は3枚の主犯である。1年生のクラス平均は2.3枚であり、担当クラスでのワ−スト2位は喜入---蕚クラスの3枚である。

 「悪い事はそれだけでなく,そうじはまじめにやらない,教室中らくがきはたえないなど他にもいろいろありました。 D君の作文によれば,
          『特に汚かった時期は二学期から三学期前半にかけてで、黒板の下,床,廊下 が特に汚なく,ゴミがいっぱいあったので,そうじをやりなおさせられたりした。
 ほうきで野球をやったり,ほうきの先をとって弓矢のようにとばしたりした。』 
正にこの作文のとおりなのです。 ですから,いろいろな先生に「教室が汚くて, まるでブタ小屋だ。」などといわれていました。」

         イタズラ好きの腕白D君は3年間環境整備委員でその仕事「だけ」は大まじめにやった。

 「1年4組のもう一つの特徴は男子はスポ−ツが得意で女子は勉強が得意だということでした。 スポ−ツの方は前期の球技大会で男子が三種目のうち二種目優勝、後期は一つ優勝で一つ2位という輝かしい成績でしたが、女子は後期など全種目で一回戦負けというみじめなありさまです。 しかし,勉強のほうでは女子のほうが断然良く国語や音楽では平均で20点以上差がつくし,男子が得意なはずの理科や数学でも10点以上差がつきました。
 理科は僕の担当で当時は都立入試に理科がないため、授業は仮説実験授業と中原式授
(科教協の有力教師中原正木氏の授業と同型の授業)90%でガラクタ教材はほとんどやら ないから、当然騒ぐ生徒はいなかった。 例年ならテストは男女とも平均70以上になる (0点に近い知恵おくれの生徒もいるから、圧倒的多数の生徒が70点以上で平均70以上 になる、難しい文章題もあるから90以上は少ない)。それでも10点以上差がついた理由 は調査していない。ただし3学期には平均が男女とも同じ位の高得点になった。

   それに百人一首大会では女子が奮戦し,女子二名が上位に入り総合3位になり ました。 Eさんの作文を掲げます。 
 『四組は全体的に勉強よりスポ−ツの方が得意な者が多いほうで、百人一首大 会ではあまりよい成績は望めないと思っていましたが,三位をとれたという事にはおどろいてしまいました。 他のクラスに比べてそれほど練習をしたわけでもないのに,多くとれたという事は,一人一人が一生懸命に練習した成果のあらわれではないかと思います。』」
 男子の中には百人一首大会に興味のない者もかなりいる。 練習時間を多数意見より短く設定し,その代わり無駄な時間をつくらず一生懸命やれというのが,いつもの指導である。いい加減なら多数意見時間まで。まじめなほうが楽しいという原則に従う。全部で7クラス。

 「Fさんの作文からも四組の特色が良くわかります。 
 『先生方から男子はうるさく幼稚だ,それにひきかえ女子は成績も良くまじめだと言われつづけ何度も男子生徒の事で増山先生をはじめ,クラス全員で考え,又父母会でも話題になりましたがなかなか解決はできませんでした。そんな男子も球技大会や持久走大会では,人が変わったかのように力をあわせてがんばり学年で一番エネルギ−のあるクラスとして認められていました。』
 持久走大会では男子の一位も二位も四組であり,十位以内,二十位以内にいる男子が大勢いましたからエネルギ−があるのもあたりまえです。 」
  
男女の間の意識の差が大きいので男女混合の中心グル−プが形成されないと考えられる。  2学期期末テストまで女子の平均点は7クラス中1-2位で男子はビリかその次。

 「こんなわけで,毎日多くの者が正座させられ,職員室でお説教を聞かされ,おしりをたたかれ,時にはビンタやゲンコツをもらう者も出ましたが,ぼく達は正座にもめげず,お説教にもめげず,しりたたきにもビンタにもゲンコツにもめげず,毎日元気に騒ぎ,楽しくイタズラをし,面白くらく書きをやって,ゆかいな日をすごしていました。 これは女子の一部もそうで,ガラス7枚のうち2枚半は女子が割ったのです。」
   「正座にもめげず…ゆかいな日…」の雰囲気はどのクラスも同様でこの方法の特色だろう。 「素晴らしき生徒列伝」参照。 女子2枚半の主犯は一人。

 「こういう悪いことばかりしていた僕たちですが,正義感がぜんぜんなかったわけではありません。たとえば,「お礼参りを退散させた」という事件がありました。   十月のある日,G君が4階の男子トイレで先輩たちがタバコをすっているを見つけて先生に伝えました。 ところが,先輩に「Gがつげ口した」といううわさがひろまっていることが,ぼく達の耳にはいりました。 そこで,ただちに「G君の護衛隊」が結成され,登下校の時いっしょについて歩き,校内でも一人歩きをさせないで,必ずだれかがつきました。 こういう事を毎日のようにくりかえしていました。」
 普通は対暴力の集団行動のとき、担任に相談などない。 相手が上級生(男子では学年 1つ上だと平均的体力の差は4割もある)なので、自信がないから相談に来たのであ ろう。
 グル−プ代表者会議となり、僕が問題のタバコ生徒3人と同じ学年の毛利君たちが暴 力と闘った話(列伝にあり)をした。 毛利君は生徒会長だからみな知っている。
 彼らは「やろう」。 皆しばらく下を向いて無言。 そのまま会議終了。動員は生徒 たちでやったので、担任は具体的なことを何も知らない。相談がなければ、対決事件ま で担任は何も知らない事になるし、対決事件がなければ何も知らないで終る。それが 無競争集団主義ではふつうである。 知らなくて何も困ることはないから、生徒に報 告を要求した事がない。 またこの件でのクラス討論などない。

 「三学期になって一月の終りごろ,タバコを吸っていた先輩3人が僕たちの教室にきてにきてG君を呼びだそうとしました。 しかしぼく達はG君を守りました。 I君の作文を読みます。
   『ぼく達が先輩達とにらみあっていた時間は実際には5分ぐらいだったらしい が,ぼく達には,10分にも15分にも長く感じられた。はじめはどうしたらよいか迷ったけれど「Gを守る」というのを思いだし,少しこわかったけれどがんばって守った。 先輩たちが退散した時は,何ともいえなく「ほっと」した気持でいっぱいだった。』」

   「やはりお礼参りを警戒していた女子のしらせで先生がかけつけたのは,悪い先輩達が退散してから何分かあとでした。 ぼく達は正しいことをした友達をぼく達の正義の力で守ったことをほこりにしています。

 三学期になって少しづつまじめになりました。 たとえばベランダにあつまって何となくはなしているとガラスの話題になりました。 あんまり割りすぎているので,「こんど割ったやつはなぐる」というきまりをつくったら,それをみんなが守ってくれたので割らなくてすむようになりました。それ以後ガラスを割った人はいません。
 また勉強の方でも変化がでてきました。
  国語で毎週金曜日に漢字テストをやっていましたが,5点以下の不合格者が男 子約1ダ−スと女子一人は必ずといってよいほどいたものでした。 それがある 日大変な予想違いの事がおこったのです。 その回の漢字テストでは,全部で三 人という記録を作りました。 その次の週も同じでした。」          
 生徒自主管理が成立し、担任教師がデクノボウになったのである。

 「それからというものクラス全員が波に乗ってきました。 男子生徒にもほめられる点がでてきて,本格的に勉強の方にも力をそそげるような気持になり,三学期には1科目学年トップというような結果となりました。 女子も増々意欲をもやし,前の評判どおりの状態で二年生になれるようにがんばっています。 あと少しですががんばりたいと思います。 」                  

 この学年は2年で「タバコ上級生の暴力を仲間を集めて阻止するというリ−ダ−同盟ができ、1クラス30人程度を動員する体制が作られる。 理由は問題児に3年の悪いのがついているから、同盟がなければ怖くてつきあえない、という事であった。
多分5月はじめに岩永君(後に生徒会長、1年の時佐野学年主任のクラスで、すぐ暴力を振るうC7君…Cの数学年最大…の面倒を見、暴力を振るうときは実力で抑える中心になった)、滝君(作文のI君、有名イタズラボウズ・腕白タイプのリ−ダ−)、村上君(真面目派のリ−ダ−)3人が相談に来た。 学級内の問題児君が3年のタバコ・暴力組とつきあっているため、「問題児とつきあう」事が危険だがどうすべきかというのである。 僕は「他クラスのリ−ダ−達に呼びかけ、リ−ダ−同盟を作って、「お礼参り事件」の時と同じように暴力を阻止できる可能性があると話した。 17クラスのうち5クラスで生徒運動があったから、可能という判断。 その3年とつきあっているという問題児君は残り2クラスのほうの出身である!
 彼らは問題児とつきあう運動を「列伝」の毛利君らと同じようにやって、問題児を自分たちのグループに入れ、学年問題児集団を消滅させる。
 3年担任教師を決める学年会で学年主任の佐野氏曰く「これは正直いってどう も担任したくない、という生徒がいないナア」。 私立をシンナ−で退学・転校とな った某君についてゆく生徒はゼロで、3141となり、シャツのボタンをはずすなど「カ ッコつける」生徒は34月現在で4人、9月には(その転校生を除いて)ゼロとなる。
   卒業の時は教師側が「謝恩会」という名をやめるように申出たのにも拘らず,父母の側の意向で,「謝恩会」の名のままとなり全体・学年・クラスと3回になってしまった。

 この例は集った生徒の関係で、極めて低い統一のレベルから出発した典型例といえるであろう。 C6君やC5君も本音で賛成支持できる地点から出発し,彼等に指導統制の力があればリ−ダ−として認めるのが無競争集団主義なのである。
 前記したように、この例は適用の限界を超えていて、集団主義で秩序を確立してから移行すれば、そのほうが早い時期に混乱少なく自主管理が成立した可能性も高い。しかし同じ実践を繰り返すことはできないから、現在もどちらが良かったかわからない。
 この学年教師集団構成も有利に働いている。23年では佐野育男学年主任をはじめリベ ラルな指導をするベテラン3(もう一人は組合の地区協議長をしばしばつとめた永井静二 )と「生徒とよく遊ぶ」(そういう教師は少ない!)20代教師だけの学年だったからである。 

23年での指導…中心グル−プなしの場合の生徒運動

 23年の場合は、個性を伸ばす指導が困難になる。 23年から部活に参加しても、自分に誇りを持てるようには大抵なれないからだ。 1年の場合はプログラム通りの指導をすると半数の生徒が努力目標として「練習の厳しい部活動参加」を選ぶ。 だから練習の厳しい部活(例えば月月火水木金金で休みは正月と大晦日、テスト前一週間だけ)の部員の過半数が担任クラスになってしまった事もあった。 

 また前記のように、3回目の実践よりあとでは自主勉強以外の指導(藪と岩の山とか写真、電気工作など)の指導をやめてしまったから、成見学級より条件が悪い。
 だから、23年では「自分の個性に自信を持ち、援けあう生徒の集団」である中心グル−プが形成されないのが普通となった。 だからいじめを無くす運動も、暴力阻止の運動も、非行生徒とつきあう運動も自然発生しないほうが普通である。
 生徒運動はたいてい教師の助言のもとに成立する事になる。 ただし、「契約」の効果で、普通のクラスより雰囲気は前記の典型的クラスに近い。 その近さの程度は1年のとき、担任をした学年かどうかに支配される。

   1年のとき担任したクラスでは、もと担任の生徒が生徒有志市民運動の経験者であるから、彼らが中心グル−プに似た存在となり生徒運動が自然発生する事さえある。 自然発生にしても教師のすすめで運動をはじめるにしても運動は5月からはじまる事が多い。 非行克服(前記のように「問題児が有力リ−ダ−のグル−プに移ったと親や有力生徒リーダーが判定し、通知表の成績数字合計が担任期間中に4以上上昇という2つの客観的基準を同時に満たすかどうかで判定)の率は5割をかなり上回る。
   1年の時担任をしていないと運動発生は10月頃になり、非行克服率も1/4強であろう。 学校での付き合いが10月であり、それから自宅に押しかけての付き合い・好きな事を一緒にやるつきあい…となるのだが、時間が不足で前記の厳しい基準に達しない場合が多い。

   生徒グル−プが問題児とつきあう運動では、常に学校だけでの遊びという段階からはじまり、家に押しかけての遊びとなり、部活動の参加や同好グル−プの結成という段階を通る。 
 つまり非行の問題になる問題児が良くなる場合には常に「争奪戦」の段階を経過する。 つまり問題生徒がタバコグル−プと「つき合う運動」のグル−プの両方と遊ぶ段階を通る。 遊び友達がタバコグル−プだけでは、校外で遊ぶときは常に喫煙となるからタバコがやめられない。
   だから学校で遊ぶだけの段階では、非行生徒がこの基準で良くなった例を知らないが当然であろう。 つまり問題児が積極的反抗をしなくなり、「荒れ」は解決したというレベル以上にならない。

 有力リ−ダ−のグル−プに移ると知恵遅れでない限り成績が上昇する。 遊び友達が二重になった段階で成績上昇がはじまる事もある。 通信簿数字が4以上あがるという事は、新しいグル−プに移ったあとの生活が安定したという事であろう。
   その基準に達していないと非行が再発する事が多い。 進級、または進学で問題児を取り巻く力関係が変化するからだ。 進級によって問題児を良くするクラス内グル−プはなくなる場合があるが、問題児のグル−プは常に存続するから問題児を良くする力と悪くする力の関係が逆転しやすい。 また普通のクラスでは「マジメ」を軽蔑し反社会的行為を容認する生徒が多いので、運動の弱体化は免れない。

 中心グル−プはなくならない。 クラス分解あとで被害者防衛に集まった事件は前記したが、「素晴らしき生徒列伝」の毛利君の例でも、クラス分解後に旧担任生徒7人が団結して、番長候補君の暴力支配を防ぎ、候補君とつきあう運動をして良くしてしまう(候補君がサブリ−ダ−になってしまう)。 ただそのような大成功は「普通」のクラス指導をせず、運動が弱体化しなかった場合に限るようだ。 

   毛利君の場合は、新卒の新担任が毛利君の反対で自分の考え(集団主義支持)を撤回し、毛利君らの言い分を認めた(つまり無競争集団主義を認めた)ために、クラス内部で反教師派、 反社会的行為を容認する生徒が激減してしまい、毛利君らがクラス雰囲気を作るよう      になって運動が弱体化しなかったと推定される。この運動は担任も旧担任も知らないうち  に行われ、番長候補がいつのまにかサブリーダー級の良い生徒になるという驚くべき結果 が出てはじめて教師は運動の存在を知った。
 雰囲気が旧クラスに似る事は、クラス参加式文化祭で担任が「11(毛利君らのク ラス)そっくりだ」と苦笑いした事に示されている。 「原人展」と称する展示を教室で 行うのだが、絵や文章だけという普通の展示ではない。 古代住居に似たものをつくり、 生徒たちが男女とも原人の扮装をして演技をし、また廊下をその格好で練り歩くのである。  「カッコ良さ」「軽薄な流行」の反対の「蛮風」であろう。 蛮風は自分に自信のある若者 に支持されるのではなかろうか。

そういうわけで23年の実践では1年のとき担任をした学年であるかどうかで経過も結果も大きく異なる。 であるから例としては、1年担任をした場合の2年、担任をしない場合の2年・3年、大荒れ3年で過去に授業での付き合いさえなかった生徒たちの場合の実践合計4例とする。 例はそのような条件での実践のうち一番あと(最近)のものであり、特に成功した例ではない。 当然後の例ほど結果が悪い。

1. 1年担任での2

 素晴らしき生徒列伝の3に登場するクラスである。 そのクラスでは旧担任生徒が男子1、女子4であった。

   自分に誇りを持つという指導は困難であるが、契約は可能である。 方法は1年生徒の場合と全く同一だ。 その効果で、5-6月のグル−プは男子3、女子3となった。 もちろん一人でも1グル−プに数える。 女子の旧担任生徒4のうち二人が学級委員と生活委員になった。彼女達は旧クラスでは学級委員でも生活委員でもなく、リ−ダ−でもなかった。 素晴らしき生徒列伝の4のクラスだ。   男子の問題児君は二人で一人は反教師的反社会的傾向ありとされた生徒、一人は幼稚イタズラボウズで特別落ち着かない者であった。 この二人は幼稚イタズラ・腕白グル−プの一員になってしまい、ゴミを散らかす名人・授業中騒いで叱られる生徒ではあるが、同類項が多数いるので仲間との差は量だけという存在になってしまった。 
 反教師的、反社会的な生徒がただのイタズラボウズ、腕白に変わる例は多い。「契約」の効果であろう。 この二人は小学校6年崩壊クラスの出身。 その学級では担任が授業不可能になり、他教師が交代で授業をしている。  意図的に大声で騒ぎ授業妨害をする学年1の強力問題児君が、授業中に質問をして目立つという方針に切り替えた例もある。 反教師路線では大衆生徒の支持がないので方針を切り替えたものであろう。 契約の効果である。

 あとの2グル−プはまじめで幼稚なグル−プ(ほとんど小さい生徒)、大人っぽいグル−プ(体格の良い者が多い)である。 遊びの種類の違いでグループがわかれていると思われる。
 女子の問題児も二人で一人はタバコ常習で体格・運動能力とも優秀であり、1年のときに二人の強力問題児とされた生徒(5月には隣の学校の問題児たちと乱闘を演じている)の一人、もう一人はそのグル−プに参加しはじめた生徒であった。  その二人に旧担任生徒4が教師の指導無しに近づき、食事座席、班、授業座席、学活中トランプのときの仲間になった。 
 問題児の側から言えばトランプのとき二人では面白くないから、6人または3+3でトランプをする事になったものであろう。他の女子生徒は強力問題児を恐れて4-5月前半段階ではほとんど話をしなかったらしい。 

 問題児とつきあう運動はいつも学活中トランプからはじめた。
 その他の女子は別グル−プだが、契約をすると反教師的反社会的行動を認める生徒が激減するという効果で、旧担任生徒4人との距離が小さい。 その事は次の現象でわかる。 体育の時間27組は「奇数・半端」クラスとして、合同クラスでなく単独授業なのだが、体育教師が緊急の電話呼び出しで席をはずしても女子の実技(競技ではなく跳躍実技である)が学級委員、生活委員の指示で整然と行われている。 この学校は前年秋、生活指導主任が「忠生中なみ」と職員会議で発言した学校で、警察 に呼び出された3年生徒が学年生徒の2割、校内暴力日常茶飯事という荒れ方であったから、 上記の現象は体育教師の指摘どおり注目すべき現象なのである。
 職員会議で決めた「朝校門を定刻までに通過しない者は校庭3周」などの体罰校則の効果であろう。 当時練馬区で このような典型的体罰主義が公然と行われていたのは、この学校と隣の学校の一部学年だけだっ たと思われる。 親が自衛隊と中小企業・商店という保守の強い地域で、体罰が問題になら なかったのであろう。 組合も弱体で数年間、君が代日の丸が職員会議で問題にならず、普 通の学校では学級活動に化けている道徳の時間にテキストを使って道徳の授業を行っていた。

   その道徳徳目教育を行っている学校、文部省に忠実な教育をしている学校が大荒れなので ある。 道徳授業には基本的矛盾があり、まともな授業として成り立つようなものでなかろう。
   現在の実践に関係ない道徳徳目教え込みは、理科授業でいえば実験抜きで結論を教え込む という、生徒の大嫌いなつめこみ授業であると同時に、教材筆者の信ずる道徳・大人の常識 を押しつけるという生徒に抵抗のある授業でもある。 押しつけはは良くないという民主的 態度だと理科授業と異なり一つの結論に生徒を誘導する事ができないから、曖昧な結論しかでず 大多数の生徒にとってわけのわからない授業になる。 
 道徳授業とは天皇や神仏の後光とか、革命的雰囲気に頼って、一つの考え方で押さなけ れば原理的に成立しない授業であろう。 
 前記報告の「シンナー常習者が転校してきても3141の学年」(生徒の学級委員会は「ダ イヤモンドの学年」と自称した)の学校(職場には組合地区協議長を交代でつとめる中田利郎、 永井静二、淺川光一の3氏がいて先進的実践がしやすい)から転勤したので、組合立学校?から 文部省立学校?に移ったような気がした。

 「素晴らしき生徒列伝」にあるように、女子問題児の一人はグループから抜けて4人の遊びグループに移ってしまう。 しかしクラス内では相変わらずもう一人の問題児を含む6人でトランプをやり、班を作り、座席は6人が近くになっている。 問題児同士の気まずくなったような印象はない。

 1年のときの体格抜群女子問題児二人のうち、片方は教師に対する態度が急速に悪くなり問題児仲間とばかり話しているが、クラスにいるほうは学校サボリがいくらか増え喧嘩にはもう片方とともに参加し近隣のタバコ生徒とのつきあいもあるが、クラスでは大変平和的でトランプ他の遊びには普通に参加する。 教師に暴言を吐く事はない。 学校をサボリで早退するときは、僕に捕まらぬように遠距離から大声で挨拶して帰る。
 2学期末にもう片方は家出し、全く学校に来なくなり、生活費を恐喝と女生徒相手の辻強盗で稼ぐようになった。合わせて41件。 かつての仲間だったクラス女子生徒も金を要求された。
 被害者は登校下校に親がつきそう(親に言う)事に職員会議で決まったが、僕のクラスでは例外を認められた。 生徒が護衛するのである。
 加害者は普通の体力の女子2-3人では相手にならないほどの体力の持ち主で、隣の学校の 女子問題児("スケバン")との喧嘩で相手の腕を折っている。 だから女子だと5-6人以上で なければ護衛が成立しない。

 例の4人に相談すると「先生が言えば大多数のクラス生徒は参加するのではないか」という意見。 そこでグループ代表者会議を開いた。
 そこでも「護衛は必要である。 しかし先生から言ってほしい」「そうしたら遊びグループ単位で日替わり護衛をする事が可能だと思う」という事になった。
 授業をつぶした緊急クラス会で、護衛が満場一致で決議となり、男子問題児二人(小学校6年のときは担任に反抗した生徒)も男子腕白組の一員として護衛に参加した。 加害者は寝坊であるから登校は安全という事で、帰りだけ自宅の見えるところまで護衛し、電話で入り口に出ている親に引き渡すのである。 だから女子だけの護衛のときと、男子主力の護衛の日があった。
 警察出動まで40日護衛が行われた。
 このようなクラス決議は参加しない自由を否定するので好ましくないと考えられるが、生 徒の意見に従った。 管理教育・暴力的弾圧中心指導のため生徒全体の積極性が不足でやむを得ないであろう。

1年時担任なしの3

 クラスの中のタバコ生徒は男子二人、女子一人であり、男子のうち一人は学年で一番大変とされた生徒、女子は3位とされた生徒である。 他の問題児は女子二人。 一人は代表的いじめられっ子(つまり半数かそれ以上が小学校時代から本人を仲間はずれにし、本人が来るとわざとよける)だが、食事の自由座席のとき、女子の中の親切組4人が中に入れてくれ、トランプでも一緒になり、それからは公然といじめられる事はなくなった。
  5-6人がつけば安全と考えたが、この時は4人でも大丈夫であった。 偏見は存在するが4人を敵にまわさないよう配慮するのである。 契約のために、生徒の感ずる不満、ス トレスが減るから、いじめようとする動因が弱くなる効果もあり、そのため、2年の時代過半数がいじめに参加していたのに、4人で保護できる力関係ができたと考えられる。

 3位嬢は2年のときの担任で、学級議長もやり、グループ代表者会議にも出ていて、学校で他の問題児と一緒にタバコを吸って捕まる(つまり常習でニコチン切れが我慢できない)が成績は普通であり、苦しい立場に追い込まなければ担任を困らせる事はない。
 問題は男子の一位君である。 2年の3学期には1/3しか登校していないし、来ても毎日遅刻プラス早退で、いつのまにか現れいつのまにか消える。 もちろん成績も最悪だ。 しかし1年のときの成績はかなり優秀であり、本人は高校に行きたいという話だし、高校で学ぶ能力は十分ある。

 そこでまず怠学対策からはじめる事にした。 本人は高校に行くには学校に出るようにすべきだという事ぐらい今までの担任や生活指導担当教師の話で十分承知しているはずだ。 しかし登校が我慢できないのであろう。 かつての優等生、「出来る良い子」が今はわからない授業に出るのだから、授業のつらさは大変なものであろう。
   まず本人との話し合いができる雰囲気をつくる必要がある。 そこでタバコグループとも話し合いのできるリーダー(つまり良い事でも悪い事でもリーダーになるが悪いほうは一線を越えない)春日君と2年のときの問題児君(つまり担任した生徒)にわけを話し、彼らと一緒に一位君を私宅に招待する事にした。 あらかじめ二人に話したように、肝心の怠学の話はしない。 適当な話をし、遊ぶだけである。 僕が一位君にある程度…つまり肝心の話が後にできる程度の信用ができれば良い。 二人の協力で一位君は私宅に来た。

 次に学校で本人を捕まえ、高校進学の希望を確認した末 「現在我慢可能な線から高校進学までの、過渡的段階をはっきりさせる」 事にした。
   本人が我慢できるギリギリの線は「毎日登校、1時間授業に出る。ただし授業態度を問わない。 いつ登校してもいつ帰っても良い」という線だという。
 これでも毎日来る、1時間授業に出る、という2つの点で大進歩で本人の努力は大変なものであるから、担任はこれを認めることにした。 そして「2学期には3-4時間、3学期には完全登校する」という過渡的段階もはっきりさせた。
 毎日の登校に慣れてから次の努力をするという、この方法なら「我慢できるかも知れない」と本人はいう。 これで本人にある程度の希望を与えた事になる。

 次に家庭訪問をし、本人との約束(過渡的段階を含む)の話をし、この中身通りであれば、家族は絶対に本人に小言を言わず、褒めるように約束してもらった。 本人と親が同席で、約束をしたのだ。 
 また親に、学校では当面1時間しか登校しない上授業態度は最悪と考えられるから、家庭教師を依頼するしか高校合格の可能性はない事を伝えた。本人は「オレは頭が悪いのでなく、まじめにやらないからデキナイ」事を示さないと授業中の自尊心が保てないし、またかつてはよく分った授業がわからない辛さもあるから、授業態度が良いという可能はゼロに近いはずだ。 また塾も自尊心の関係で続きそうもないと話した。 以上の理由で本人の希望である都立普通高校進学には家庭教師が絶対必要と断言。

 以上はカウンセラーのやる事と同様である。 差があるのは過渡的段階をはっきりさせた事ぐらいであろう。 しかし教師はカウンセラーと違い他教師と多数生徒の協力を得る事ができる。
 学年の教師でサッカー部顧問である加藤氏が生徒を動員して、一位君をサッカー部に誘うことになった。 サッカー部には他のタバコ生徒もいるから、入りやすいのではないかと氏はいう。 そして少しでも生活を規則的にするには役に立つのではないかと氏はいう。 問題児が練習を真面目にやらないとさっさとやめさせるという教師と違って氏は真の教育者であるという事だ。 もちろん氏とサッカー部員の協力をお願いした。

 5月のクラスは、男子が一位君を除けば2グループであり、女子には多数のグループがある。男子の半分は小林君を中心とした真面目グループであり、半分は鈴木君を中心とした腕白グループである。 従ってグループ代表者会議は男子2人女子5人となるが、その会議で一位君との約束の内容を話し、協力を要請した。 サッカー部入部の話は加藤氏が主になって(担任クラスのサッカー部員動員も含む)進めるのであるが、グループ代表には一位君の都立普通科合格をめざすという担任の意向を理解してもらわなくてはならない。

 あとは食事座席、授業座席とも契約で自由。 ただし一位君は授業態度で例外とするというグループ代表会議での決定。 悪平等でないのが、本人のためという事で代表は理解。 これがグループ代表者会の有難さであり、決定は口コミで全員に伝わるから、クラス会でその事を言う必要がなく、本人の面子を潰さないでクラス全生徒を動かす事が可能である。
 班長会…クラス会というシステムでは上記のようにはゆかない。 グループ代表者 会議の強みは、そこでの話し合いの結果はクラス会なしですぐ全体に浸透する事にあ る。前記の例ではクラス会をやって被害者実力防衛となったが、この実践の前の2 担任のときは、グループ代表者会議の決定だけで、問題児君とつきあう運動に小林(この実 践に名のある小林君)グループと中沢グループ(腕白グループ) 合計22名が運動に参加し ている。
 また一位君程度の重症だとグループ代表にならない。
 一位君はサッカー部に参加するようになった。 実技に参加していない事が多いが練習のとき出てきて他の部員と話すだけで良いという加藤氏の判断である。
 6月はじめの修学旅行のとき、新幹線の中で腕白グループの代表になっている鈴木君が話し掛けてきた。 彼はいう。
 「先生。 先生は僕たちを不良の仲間とか問題児のグループだとか思っていない?
そんな事はないと言うと、鈴木君は一位君についての相談があるという。
 一位君はロックが好きだが一位君を含めたバンドグループを作りたいという話であった。 参加予定者にはもと学級委員もいれば、今はタバコをやめているが以前は吸っていて「指導」されたという生徒もいた。

 もちろんそれを支持した。 問題は練習会場である。 宇都宮学年主任が音楽教師で、鈴木君の話を聞き防音してある音楽室を貸すことになった。 学年一の問題児のために超過勤務(練習日には管理責任があるから勤務時間を越えて居残ることになる)をしたのである。 加藤氏と同じく「生徒本位」の教育を目指す組合員の有難さであろう。
 宇都宮氏との話し合いで、一位君は音楽の時間は必ず出席する事になった。どの授業に出ても良い(どの授業をサボっても良い)という、4月段階より前進である。

 これで一位君をめぐる力関係は大きく変化した。 問題児仲間(他校生徒を含む)だけとのつきあいから、バンドグループやサッカー部員とのつきあいが成立した。 クラスでも腕白グループが話し相手、トランプのときの遊び相手になる。 鈴木君とサッカー部員の倉田君がいるからだ。 また小言だけいって本人がうるさがっていた親との関係も改善された。 担任や学年主任、サッカー部顧問教師など教師との関係も改善された。 担任や生活指導担当教師の説教だけというそれまでとは本人を良くする方向の働きかけが桁違いになり、働きかける場面は本人の生活の場の多くをおおっている。 また授業に出る方向も確立した。
要するに規範を押し付けるのでなく、問題児が進んで行動する点から出発し、目標までの過渡的段階を明らかにすると同時に、本人をめぐる力関係を変えて良くなる方向を確立する。 あとは期間内にどこまで良くなるかという問題があるだけだ。 

 一位君は予想どおり授業中は寝ているか机に落書きをしていたが、約束は守って1学期はだいたい出席(欠席は多分5日、ただし全部の日で無断遅刻か無断早退またはその両方)、音楽の授業は全部出席となつた。 2学期は毎日3時間出席した。3学期には普通に登校し、大掃除のときはじめて掃除を多少だがやった。
 都立入試では内申点の悪さにもかかわらず、当日の得点のおかげで合格した。

 この場合はバンドグループとサッカー部であるが、他の部活動や委員会、趣味・遊び の例も多い。 ともかく友達を二重にし、できれば部活動や委員会で規則的な生活をは じめさせ、親の小言でない協力、クラス全体の協力を確保して、力関係を一変させる。 
 この実践は前記の基準をクリヤーしていないので成功率の計算では失敗に数えている。 1年担当なしだと生徒運動の力が違うのである。

7 23年での指導…大荒れの3年で

 「ダイヤモンドの学年」が卒業したあとは、また3年所属だが、同じ3年でも天地ほどの差のある学年であった。 「3年の悪いのに襲われたら仲間を集めて暴力阻止」「問題児集団を分解させ、反抗的生徒ゼロ・カッコつけ生徒もゼロ(転校生を別として)」という前記の学年に対し、「2年のとき一部授業が成立せず、授業中トランプをしている生徒たちがいる」「15人ほどがタバコを吸いながら廊下を練り歩く」という荒れ方である。
   この学年は他の学年と違い、保守派教師が優勢で、「生徒を張り倒す教師がいる(生徒は実際に吹っ飛び、倒れる)」「ガラスを割るなどの失敗に対して、割った時の様子について何回も演技をやらせ、生徒を侮辱する学年主任がいる」「職員室で正座させられている生徒に対して、多数の教師が入れ代わり立ち代り説教」「班行動遠足などの改革行事は一切拒否し、行列遠足など古式?の行事だけという教育方針」であった。 つまり典型的な力の指導で自治能力育成は無視している。 彼らは言う。 最初が肝心だ。最初キチンとさせる事が最後の良い結果につながる。
 1年のときは、授業態度や朝礼時整列の悪い「ダイヤモンドの学年」に対し、授業態度が良く整列も速い、全体として良い学年とされていた。 しかし2年の2学期後半から生徒の大反乱となったのである。
 しかし1年の時から反乱がはじまっている事が、酒井一幸(本論にある酒井氏)・小山喜栄子・筆者の共同調査で判明した。  持久走の記録を調べると、この学年は女子見学者が異常に多く、男子記録分布は下のほうが異常にふくらんでいた。  つまりまじめに走らないという生徒が1年の時から多数いたのだ。  持久走のコースは校外で、走るのを教師が見ているわけではない。教師が見ている場合だけ良いのが「力の指導」の特色だろう。

1年女子持久走大会2000m
935-1003秒 ** 2
   --10 30  **** 4  
   --11 01  ************** 14
   --11 32  ************** 14
   --12 04  *******************  19
   --12 39  *********************************** 35
   --13 14  *************** 15
   --13 52  ************** 14
   --14 31  *******  7
   --15 12  **  2
   --15 55  ***  3
   --16 40  0
   --17 27  *  1
   タイム不明 **  2
   前日までの怪我と病欠 * 1
   見学    ***************************  27

 1年上のデーターは6 3 12 17 16 40 19 12 7 5 0 0 4 1 0 1 前日までの怪我病欠2 見学6 またタイムの遅い1人は転校してきたばかりの生徒。   見学人数276ではあまりにも差がありすぎ、データーは異常事態を示していると 考えられる。タイム不明とは時間記録が終わってから帰ってきた生徒で、途中棄権とみなしてよい。

1年男子持久走大会40001640--1727秒 ***  3
    --18 16  **********  10
    --19 08  *******************    19
        --20  02    *****************************  29
        --20  59    *************************   25
        --21  38    *********************  21
        --23  00    *******   7
        --24  05    ****************   16
        --25  13    ******   6
        --26  25    *****   5
        --27  40    **   2
        --28  58    *****  5
        --30  20    0
        --31  45    ***   3
    タイム不明 **  2
   前日までの怪我と病欠  *  1
   見学     ********   8

 1年上のデーターは3(1640秒以下) 6 15 16 29 25 24 16 9 3 それより遅い者 1名 前日までの怪我・病欠 ** 2 見学3 途中棄権2 である。 比較するまでもなく、低いほうが異常に膨らんだ分布で、まじめに走らない生徒が多い事が明らかである。
23学期には勉強のほうでも同じようなグラフとなり、下が異常に厚くなった。 高 校進学が危ないという業者テスト「偏差値43」以下が1クラス11-15人という驚くべき 結果。   最近の小学校学級崩壊の場合は1年で、そのようなテスト結果の異常なグラフが見ら れる。 普通1年のテスト成績の分布は山の形か、高得点ほど多い山半分の形であるが、 下だけ平らな分布(真中の山がなく平らに下のほうまで大きく伸びる)になる。  僕の経験では「できない子」の半数は回転の遅いため授業についてゆけない生徒で、 半数は「やる気がない」「興味がない」ため点数が低い生徒であったが、現在は後者のほ うが、多数派であろう。 
 ただし他学年は荒れているどころか、生徒の自治能力が大変高い。 だから生徒会の力は強い。

 上の学年は「ダイヤモンドの学年」だから当然だが、下の学年も強い。 次の年3年でたった一人カッコつけている某君が生徒会室に呼び出され、どうしてオマエだけまじめにやらないのか、とお説教された「生徒会本部役員暴走事件」が発生。 問題の学年が大荒れで智恵遅れの生徒やいじめられッ子の学級委員さえ2年後半に見られたのと、あまりにも大差がある。

 生徒会が強い原因は今村氏実践の場合と同じく生徒会が契約の主体であり、全校行事はほとんど酒井式であり、また一部の行事(クラス対抗球技大会)が生徒会本部主催であるからだろう。

 また学年教師は一変した。 ガラス割り生徒の指導では毎回演技を4−5回やらせ生徒を侮辱した学年主任(のちに自民公明推薦の市長候補) 生徒を張り倒す教師、班行動に大反対の教師という生活指導担当教師3人を含む保守派が転勤して改革派が学年教師の多数派となり、地区協議長を何回かつとめた中田利郎氏(後に東久留米市議会議員)が学年主任になった。 新しくその学年担当になった教師は3年担当が2年つづきであった。 つまり「ダイヤモンドの学年(生徒学級委員会自称)」「ツッパリのいない学年(教研集会発表)」の教師が過半数を占めた。  

 中田学年主任は最初の学年会で演説する。 
「この学年ではワルがロビンフッドになっている。 オレは進学があるから言えない事やれない事をよくぞ言ってくれた、やってくれたと思っている生徒が多数派になっている。」
「だから政策で生徒大多数を味方にし、ワルを孤立させるべきだ」「孤立すれば、彼らも大暴れしにくいから、それだけでも改善がある」
「孤立したワルに対しては、教師、親、生徒会の総力をあげて対処する」
 中田氏はいう。反抗的な生徒がいれば、その何倍かの与党がいる。その与党に支えられてワルが反抗するのだ。与党がいなくなればワルの力は急低下する。

 最初の政策は修学旅行の計画やりなおしであった。 それまでの計画はもちろんバス見学のパック旅行である。 タバコ・暴力生徒が多く班行動は京都での喧嘩事件の発生する危険が大きいが、生徒多数の支持なしでは前途が暗いから、6月第一週の修学旅行を班行動に変えなければならない、いかに忙しくとも今から計画を変える必要がある、と中田氏は提案した。 反対なし。
 また運動会を体育祭に変え、クラス対抗か紅白対抗かからはじまり、すべての種目について生徒代表と教師代表が協議して決める事にした。 決めた内容を職員会議と過半数のクラス会で承認したとき、それを実行するという事になった。 もちろん他学年は改革派が優勢だから、職員会議で反対意見はほとんどないはずだ。
 生徒代表が職員会議に出る方法が、日本全体の政治的力関係で採用できないとすれば この方法がもっとも民主的で生徒に支持される方法であろう。

 この学年では、無競争集団主義を全面的に採用する事はできない。 授業座席が自由で授業が成立する可能性はゼロに近い。 グループ代表者会議は積極的に教師との対立を煽る生徒たちがいるから成立しない。
 原則的には集団主義で行く。 ただし可能なかぎり「契約」を採用し、生徒の支持を得るようにし、「札付き」強力問題児を孤立させる。

 班と座席は原案を学級委員の意見を聞いた上で、クラス会で教師が次のような提案とした。
 「班と座席について、君たちがどう考えているか学級委員に聞きました。 このクラスには班と座席を希望で決めたい、自由にしたいと考える人が多数います。 しかしそうすると授業中うるさくなって受験が心配だという人も多数います。 そこで両方の人が我慢できそうな妥協的な方法を提案したい。」
 「班の半分、つまり男子同士、女子同士のほうは希望で決める事にしたい」「しかし男子と女子の組み合わせは "うるさくならない" ように片割れ代表の多数決で決めるという方法にしたい。 それ以外に希望も大切だし受験も大切だという両方の意見を妥協させる方法はないと思うがどうか。」

 そこで班片割れ代表の会議となったが、そこでは受験が大切という生徒がもちろん優勢であるから(班長会はもともと先進的生徒の代表という常識が生徒にもある)、男子ワルと女子リーダー、女子ワルには男子リーダーという組み合わせが予定どおり出来た。 それ以外の組み合わせでは授業中が大変だという理由である。 これで「うるさくなるから希望はダメ」と希望を一切無視してきた、2年までの学年教師の指導よりは生徒に支持される。
 大荒れの学年でなくとも、これに似た方法を(2,3年で)採用した事はある。 もともと今村氏の考案した方法で、まず上記のようなある程度管理的である程度自由でもある方法を採用する。 そして1月たったら、授業中騒動などの問題点の評価をし、基準をパスしていれば、もっと自由にし、パスしていなければより管理的にする、というものである。
 そして最後は「男子片割れ班、女子片割れ班の人数は2-4」とし、「その組み合わせは班片割れ代表会で決める」…つまり男女混合の好きな者同士の班とする。
 また座席も男女市松模様から出発し、最後は完全自由化として、男子同士、女子同士が並んでいようが、男女が並んでいようが自由とする。

 昼食の座席は契約である。 仲間はずれなしで自由。 班長会で論議して教師提案。 この契約は強力問題児も反対でないし、妨害もしないから、採用する。

 修学旅行では規律無視、傷害事件の可能性が極めて高いから、今のままで連れてゆくわけには行かない。 強力問題児たちと親と教師の会を夜に開いた。
 この地域では夜でなければ会議は困難。 家庭訪問を夜9時からにしてほしいという親が  何人かいた位である。
 そこでタバコを吸わない事、喧嘩をしない事、と服装が「標準服」(事実上は制服に近い、親が申し出れば標準服以外の服装も可)という約束をしてでかけたが、いざとなったら現地では班行動を守れない者のほうが多数。 そこで現地で会議となり、強力問題児で班行動が守れない者は「特別班」をつくる事にして体育教師荒木氏がつく事になった。
 以前この学校では問題児だけ清水寺のそばで集まり、他校の問題児集団が殴りかかってき て走ってバスまで逃げた事件あり、その事は問題児たちも知っている。
 京都ではこれで事件はおきなかったが、東京駅で他校問題児と目が合ったとたんに他校 のほうから殴りかかってきた。 こちらの番長は約束を守り「今日はしないぞ」と怒鳴っ たが、家来?の一人が挑戦したか挑戦に応じた。 教師が後ろからとびついて喧嘩は2.3 発で終わりとなった。

 それでも一部の問題児を抱えた班の班行動は大変で(届け出たコ−ス以外のほうに勝手に行こうとする)、女子リ−ダ−の平岩、金子の二人は特に大変だったらしい。  この二人と男子リ−ダ−の前田は、「素晴らしき生徒列伝」が1年生に限定されていなけ れば当然「素晴らしき生徒」としてのせたであろう。 無競争集団主義を実践すると、多 数の生徒の献身的努力があまりにも本人に負担で、いつも申し訳ないような気がしてくる。

 授業をサボってトイレにたまっている者を一人や二人で呼びにゆくのは大変なので、ほとんど全員が呼びに行くという体制をつくる。 トイレにたまる理由はいろいろあるが、「ただ授業に出る」のでは「ツッパリ君」の面子が立たないというのが最大の理由であるとも僕は班長会で話したが、大多数の生徒ももちろんそれを心得ている。 もちろんその面子の問題でいえば、「学級委員」といった役つきの生徒一人でもよいのだが、生徒多数のほうが呼びに行くほうは疲れないし、また問題児に対して大多数の生徒を動員する事それ自体に意義があろう。

 報告すべき事はその程度だろう。 あとは常に中田氏の説のように「政策」で大半の生徒を味方にするようにし、建前論をふりまわさないというだけだ。つまり大多数の生徒との統一戦線をめざす。
 これで、反抗的な生徒の数は次第に減少し、二軍と呼ばれた問題生徒の数は半減し、番長はじめ強力問題児も3学期には授業サボリがほとんどなくなり、全員行き先が決まって卒業式は事件も事件予告の類もなかった。成績不振生徒も半数 になり、例年とあまり変わらなくなった。
 それでも卒業式が終わったあとの職員室で、前の3年の学年主任佐野氏と前年担任(つまり両氏とも続けて3年担任)滝瀬氏が「今年は去年の3倍くたびれたよナア」「本当にそうですねえ。」

訓話や討論より先に生活を変える指導 
無競争集団主義の進路指導
トランプ
問題児とつきあう大衆的運動
座席
素晴らしき生徒列伝