生徒の個性をのばし本人に誇りを持たせることは、「契約」という自主管理能力をつける方法の繰り返しと並び無競争集団主義の柱である。 「互いの個性を尊重して平等」の実現だけでなく、「自分に誇りを持つ者の集団」が援け合うようになり、全面発達が実現して指導要領準拠のテスト成績まで高くなる。

この指導に対する問題点の一つは多くの親と他教師が「平均的成績を大切にし、個性的努力を軽視または敵視する」ことであり、生徒がその影響を受ける事であろう。
 実際には、クラスだけで実施すれば、3学期成績はたいてい学年1位であり、学年全体で実施すれば例年より成績が良い(都入試得点全体の分布と校内受験者分布を比較)。 計算しなくても、校内テスト得点の低い生徒が少ないから結果は誰にでもわかる。要 するに能力はあるが不真面目、非行で成績が低いという生徒が激減する。
 しかし親・他教師・塾教師の悪しき常識と対決するための調査があれば指導は楽になるから調査を行った。またその指導を極力プログラム化して誰でも指導ができるようにした。

「有名高校にゆけば、有名大学に入りやすいか」の調査は、生徒に支持される一連の行事改革の発案者・最初の実践者である酒井一幸氏と二人で計画し、東久留米市各中学の進路担当教師と4つの地元都立高校教師、卒業生の協力を得て、エスカレーター信仰が事実とあわない事を示した調査である。 
有名高校から有名大学に多数の合格者が出る事は事実であるが、難関高校の生徒は中学卒業時に受験用学力が高いのであるから、「陸上競技(駅伝)でいえば選手たちのスタートが先だからゴールでも先」という事を示しているに過ぎない。
 難関高校に行く事が難関大学に入るのに有利かどうかは、スタートが同じ生徒での比較が必要である。 つまり「中学卒業時の成績が難関高校に入れるだけの高さがあるのに地元の高校に進学した生徒」と、「難関高校に入った生徒」の進学先大学の合格難易度を比較しなければならない。 調査結果は「高校の合格難易度は進学先大学難易度と無関係」であった。 難関高校合格のために個性を伸ばす時間をなくす事は誤りである。

 結果はすぐ京都府教組に送られたが、京都でも調査をすれば、高校入試制度改悪に反対する運動の支えになったであろう。 再調査の場合、一般には統計学専門家の協力が必要である。
 また「部活動をやめると成績はどうなるか」という調査を東京都練馬区の2中学で行った。 テスト成績が平均以下だと、部活動が問題だと騒ぐ親は少なくない。 また部活動は特別うまく熱心な生徒だけでたくさんだという顧問もいる。 田柄中、関中とも結論は同一で、「部活動をやめると大多数の生徒は成績が下がる」という事であった。 ただし「生徒会役員や学級委員なら成績は下がらない」
 以上の事実を親に話すと親の指導がまったく違う。

 田柄中の調査では「部活動を2年生の時にやめた者の1年あとの通信簿数字合計が
   上がる 10 同じ 5  下がる 29
である一方「転部した生徒、生徒会役員か学級委員になった者」は
   上がる 4 同じ 3 下がる 4
となった。 だから「本人の生きがいを保障しない場合」は引き算すると
   上がる 6  同じ 2 下がる 25 であり統計的に「成績は下がる」と判定して良い。 しかも上がるほうは全員1か2であるが、下がるほうは7までほぼ均等に分布し、そのうち非行が教師に知られた生徒が6人。 25人中6人とは異常に高い数字である事があきらかだろう。
 生活が面白くないとヤケ酒という大人はかなりいる。学校生活が面白くないとタバコや酒に手が出るという子供がかなりいて当然であろう。 そこまで行かずとも真面目に勉強する気がしなくなる。 
 親には部活動を保障する事が受験用成績に重要である事を伝えると同時に、「浪人は社会不安のもと(東京都教組北多摩支部東久留米地区協議長だった中田利郎氏の名言)」「問題のある生徒ほど部活動を続ける事が大切」という事を学年教師会で確認するようにしたい。
 関中でのデーターが「片付け能力は3歳的知能」のために発見できていないが、まった く同様の数字になった事は確かである。

 ベテラン教師なら常識であろうが、自分の学校で数字を調べておくと、親に対する説得性が増す。調べる方法は簡単で、部活動をやめてから1年あとの定期テスト5教科合計の偏差値か通知表数字の合計を比較する。 ただし後者の場合は5教科合計の学年平均を計算し、平均の数字の違いを補正する。
 田柄中ではほとんどの教師が54321の割合を基準どおりにしていたので、補正は不要であった。

自分を誇りとするだけの個性を育てるプログラム

この指導は極力早くはじめないといけないので、普通のクラスでやる自己紹介とか、作文の時間のカットが必要である。 自己紹介はなしとし、担任紹介も2分程度とした。
   2日目の学活の最初の時間は「みなが仲良くするには、自己紹介より遊ぶほうが良いと先生は思う」「だからトランプをやろう(それ以外でも遊びなら良い)」という事で1時間遊ぶ。 もちろん前の日に予告し、トランプを学活の時間以外(休み時間)にやらないという指導を教師主導でしておく。   次の時間がこの教材である。

T 「大学の教授は、もともと勉強の得意な人がなるのですか? それとも勉強の苦手な人がなるのですか?」 
  P 「得意な人」
T 「大学の教授というのはみな立派な人ですか? 」
P 「…・・」
T 「大学の教授にはピンからキリまであります。 立派な研究をしてみんなのためになる立派な教授もいます。しかし学生全部に逃げられた有名大学教授もいます。 教授になってから金儲けに熱心で勉強が足りないため世界の学問の進歩についてゆけず、あんな勉強していない教授の授業には出ても役に立たないと、全員が授業に出なくなったのです。もちろん研究もできません。教授には上と下があり、上のほうは立派な人ですが、下のほうは税金泥棒で国民のためにためにならない人です。」
T 「お医者さんに上と下はあるでしょうか?」
P 「名医、ヤブ医者」
T 「医者になる人は勉強のできた人ですか?」
T 「大学の医学部って入るのが難しいんですね。」
T 「医者になって努力のたりない人はヤブ医者になりみんなのためにならない人になる。 上のほうは多数の人間の命をたすける立派な人です。」
T 「大工さんには上と下がありますか?」
P 「上手な人と下手な人」
T 「努力が足りないと、素人とあまりかわらない下手な大工になり、みなに迷惑をかけます。上手な人は仕事をするとみなに喜ばれる立派な人です。」
T 「トンカツ屋さんに上と下はありますか?」
P 「おいしいのとまずいの」
T 「努力して上になれば、普通の家で作るよりずっとおいしいものを作る人になり、みんなに喜ばれます。」
T 「民主主義の社会では将来自分で職業を選びます。君達もどれかの職業について働きます。 その時、自分で選んだ職業で努力する人でないとそれぞれの下になってみんなに迷惑をかける人間のクズとなります。 反対に、努力する人はそれぞれの職業での上になり、みんなのためになる立派な人になります。」
T  「先生も努力して、面白くてわかる授業をするようにしなければいけないですネ。先生になって、つまらなくてわからない授業ばかりしている人は生徒に迷惑です。」
T 「大人になってから努力するのは難しいです。 子供の時から自分の選んだ事で本気の努力をする習慣をつけなければいけない。生徒にとって一番大切な事は勉強のできる事ではない。一番大切な事は自分で選んだ事に努力のできる事です。 勉強ができて教授や医者になってもそれらの下になったのでは困る。 勉強もできたほうが良いが、それは大切な事のうちの一つです。

 君達にお願いがありますが、将来人間のクズにならず、立派な人になるため、何かに努力する習慣をつけてもらいたい。部活動に本気で努力しても良い。 その場合は病気でない限りサボらず、一生懸命練習をしなければいけない。 委員会で努力しても良い。整美委員会や図書委員会に3年間立候補してがんばっても良いし、学級委員として生徒みんなの意見を通すために努力しても良い。また家の手伝いに努力し、料理や御菓子を作るのが上手になっても良いし、将棋や碁が強くなったり、ピアノやヴァイオリンがうまくなっても良い。 また特別キチンとしている事で努力する方法もある。では来週までに自分の目標を考えて下さい。 先生は、君達全員が将来立派人間になり、一人も人間のクズにならない事を期待しています。

 後期の実践では「素晴らしき生徒列伝」(のもとになったもの)の一部を生徒の前で読んだ。初期の実践では成見学級の生徒の話。
   これは大多数の生徒にとって都合の良い思想であるから、実践なしの話(理科授業でいえば実験・観察抜きの授業)でもかなり生徒が理解すると考えられる。
 生徒は進学競争・成績第一主義に苦しめられている。 点数第一主義・競争主義では一握りの生徒しか自分に自信を持つ事ができず、大多数の生徒は劣等感に苦しめられる。 その苦しみの原因と対決する思想であるからだ。
 そして誰でも人々に尊敬される優れた人間になれるという希望を生徒に与えることができる思想でもある。

「競争主義」を批判する教師や学者はごく普通である。では競争主義と対決する思想と実践を提起するかというと、何もしない。 文部省・自民党・経団連というサタン(悪魔) がいるから実践はうまくゆかないのだ、自分に責任はないという主張はスタ−リン的に聞こえるがどうであろうか。 悪い事をすべてサタンのせいにするのでなく、自分がどう対 処したか示し、悪い結果ならそれが必然という立証をする必要がある。
 スタ−リン式社会主義の「労働が尊い」という考え方では、官僚主義のもと多大な労力を投入して粗悪な製品を作る非能率的労働も尊い事になってしまう。 人々の役に立つ労働が尊いというのがこの教材である。 第一「労働が尊い」では労働者になれば良いのだから、生徒の努力目標にならない。

 次の時間に「人間のクズでなく、立派な人間になるため、何か良い事に努力しよう」という事で全員200字原稿用紙に目標を書かせた。
 しかし初回の実践でも2回目の実践でも、大多数の生徒は「部活にがんばる」とか「勉強にがんばる」といった曖昧で実質的には空文にすぎない内容しか書かなかった。 それまで「目標」とは飾り、お題目のようなもので、テキト−に書けば良いものだったからであろう。  そこで次の時間、全員にフル−ツバスケット・ハンカチ落としなどのゲ−ムをやらせ、一人づつ廊下に呼び出して個人面接を行う。 ただし同じ部活動に努力するという内容で、運動能力・成績(小学校指導要録抄本)に大差がないと思われる場合は3人ていど一緒の場合もある。

 そして目標を次のように具体的にして実践可能なものに変えるよう指導する。 「部活動に3年間努力し、遊びや塾の都合でサボらない。」
    1週間1回の部活動の場合は「あわせ技」としてらくな他目標も考えさせる。皆に尊 敬され、本人が誇りを持てる内容にすれば良い。たとえば「部活動のない日は30分勉 強する」「そろばんを習う」など。
「同じ委員会に3年間立候補し、遊びや塾の都合でサボらない。」
「定期的な手伝いに努力し、遊びや塾の都合でサボらない。」
「勉強に努力し、学校や塾のレベルを無視して、1年以上先に進む事を目標とする。」
 数学が最も容易で、1年のうちに3年まで終る生徒は珍しくない。 当時は文教出版の教科書(水道方式)を用い、わからないところを担任か数学の先生に聞く事とした。 もともと数学が得意なのだから問題は半分でわかるとして半分カットという方法であった。 よくわかったという自信のない場合だけ問題を全部やる。 後期の実践では麦の芽出版会の自習書を用いた。1年で中3まで終わる生徒は中学時代のうちに微積分を勉強すると考えて良い。
 次に容易なのは帰国子女の外国語である。 ほっておくと半年でほとんど外国語を忘れ てしまい能力がムダになる。 本人の精神年齢に合うと思われる対訳書を本人と家庭に推 薦した。 それを読むことが目標である。 よく英語の教師が推薦する絵本は、単語を忘 れた場合辞書が必要になるから、使えそうな訳本がある場合以外は好ましくないと考えられた。 辞書はできるだけ使わず和文・英文(独文、西文…)を比べて大体わかれば良いとする。 ただしよく出てくる単語は辞書を調べてその説明と用例を全部読むようにという指導である。
「真面目である事に努力し、病気や家庭の都合で以外の遅刻をせず、チャイム着席違反をせず、授業中先生に叱られないようにする」
  …・その他、皆から尊敬されるような努力なら何でも良い。 皆から尊敬されるような生徒が、その事を互いに認め合う集団つまり中心グル−プを作る事が目標だからである。
 すぐ目標が決まる生徒もいるし、なかなか決まらない生徒もいる。 しかし大半の生徒で目標が決まると、クラス雰囲気の変化のため、決まりにくかった生徒も次第に決まるようになる。

 大多数の生徒は「何事もイイカゲンにやり、好きなことでも努力がなかなかできない」子どもである。 何か努力を始めれば、生活改善の橋頭堡ができた事になる。 だらしないイタズラボウズで授業中よく騒ぎ、忘れ物も多いが、委員の仕事だけはまじめといった類の生徒が多数出現する。
 あとは生徒同士を近づければ、つまり遊ばせれば「類は友を呼ぶ」原理で、中心グル−プが形成されるであろう。 そして自分の努力を他人に認めさせるため、他人を援ける行動が自然発生し、援けあいと共に関心の範囲も広がって全面発達がはじまるという仮説である。
 親にもこの指導の話はする。 「好きなことで努力できる」段階に達することが「勉強で努力できる」段階に進むために必要という理屈はよく入る。 また前記の教材も多数に支持される。 親の半数も平均以下の成績だったからである。
 先行実践でクラス成績が学年1であった事をつけ加えたから、当然文句は出なかった。 

 生徒の目標の確認は家庭訪問の時、親の前で行った。 その目標を達成すれば、本人にとっては大進歩なのだから、欠点(成績を含む)があっても本人をほめるように念を押しておいた。
 この指導をすると、大多数の教師が無意識のうちに製造する「問題児と話すときイコ−ル問題児を叱るとき」という関係ができない。 ふだんほめているから、叱っても信頼関係は崩れにくい。
 9月に点検を行う。 部活動が続かなくなるのが夏休みあけという事が多いからである。 つづかない者は、その部が一番本人に適当という場合は続けさせる指導をする。 親、友達、先輩の力を総動員するから、1年生でやめた例はない。
 本人に1番向いているとはいえない、または向いているかどうか不明の場合は転部させる。 特に親しい友達がいれば、その友達と同じ部に移ると続きやすい。
 たいていの生徒は9月の点検…面接は5秒-10秒で終る。 しかも同じ部の生徒は一緒である。 「部活動(委員会)はちゃんとできてるかナ」「ハイ、大丈夫です。」「では次の人を呼んで。」

有名高校にゆくと有名大に入りやすいか   

            都教研発表,都中進「進路指導」581号発表。 

             はじめに
   もとの論文形式では数学の苦手な一般教師(教育学者も)は全く理解できないという悪評がひどかったので厳密な議論は小さい字として読まなくても大意はわかるようにし、統計学の公式を覚えているだけというレベルでは意味のわかりにくい図表も一部カットした。   
   「有名高校から有名大学に多数進学」は事実である。しかしそれは「有名高校に行くと有名大学に入りやすい」とイコールではない。「長距離走でスタートが先(高校入学時の受験学力が高い)だからゴールでも先にいた」のは当たり前であり、受験業者や多数の親の常識が正しいとするためにはスタートを同一にしなければならない。
 「中学生時代の成績が同程度で難関高校に進学した生徒とやさしい高校に進学した生徒の進学大学合格難度を比較する」
のが正しい調査方法である。

 「競争が激しいから勉強する」「学力に合った授業がある」という効果と「中学時代は優等生と持ち上げられたから勉強したのであり、優等生の地位を失ったらもともと嫌いな勉強をしない」「自信がなくなる」という効果はどちらが大きいのであろうか。
 大学の合格難度をしめす数字として東京地区では駿河台予備校と並び代表的な予備校とされる代々木ゼミナ−ルの発表している合格基準偏差値を用いた。駿河台予備校の数字も調べたが大同小異である。私立大学の場合は,合格基準偏差値をそのまま用い,国立大学の場合は次のように計算した値を用いた。関東地方国立大学または学部,学科,科類で選考が別のものはそれら毎に,2次試験の合格基準偏差値と共通一次試験結果の一次回帰直線を作り、一次の結果を二次試験偏差値に換算し二次の得点との重み付け平均を行った。
 −−−共通一次得点は次の式で,二次偏差値に換算した。
             二次偏差値=a+共通一次得点×b
 a,bの値は,文科系が1.7,0.07560,医,理系が1.0,0  .07574,農系が19.9,0.05024,工学系が14.6,0 .05713である。 2次科目数によって2次試験との重みつけ平均 の重みをかえる。 ( グラフ省略)。
 合格した大学の学科の記録が高校側にも中学側にもない場合,その学部に属するすべての学科の合格基準偏差値の平均を四捨五入したものを合格基準値とした。一部の短大は代々木ゼミナールももう1つの大予備校駿台予備校も合格基準を発表していないが,それらの合格は容易とみられるのでかりに39とした。
浪人,推薦,私立と国立   浪人合格についての板倉のデ−タ(1)では,東大理1の1浪で25点,2浪で40点の増加がある。当時の東大理1の合格ライン得点と満点の差と,現在の東大理1の合格基準得点と満点との差の比から計算すると「補正は1浪で1,2浪で2」となる。浪人合格者は合格大学の合格基準から1浪で1,2浪で2を引く。その基準の大学なら現役合格したと考えられるからだ。 また推薦と国立の場合はグラフ中の記号でそれらを示す。 ただし,偏差値50以下の大学と短大の場合は示さない。 

       中学時代成績   都入試−校内定期テスト−業者テストがほぼ同一の「実力」を測定しているという証明がある(2)(3)。これらの相関は相関係数0.90-0.93程度であり、また校内定期テスト同志、業者テスト同志でも同程度の相関だからである。だから業者テストで中3時代に行なったものの偏差値の平均を中学時代成績とした。校内テストの結果を保存していない中学が多いので、校内テストと業者テスト全部の平均を用いる事ができなかった。3年になってからのテスト偏差値の変化は大変小さく、都入試得点との相関がもっとも高いのは、3年になってからの校内テスト・業者テストのすべての偏差値平均である(2)。

                     結果1

                                                                      市立南中53、54年度生が4名以上進学した都立高または学校群について,それらの高校(群)出身生徒の進路を第1表に示す。
         第一表 中学時代の優等生数と有名大学合格者数 
             
全人数 偏差値60以上の大学合格
都立高校A群43
都立高校B群167
都立C高校255
都立D高校363
都立E高校 152

 人数あたりの難関大学進学者数は、難関高校ほど多い。 一見「常識」が正しいような気がするかもしれない。  
第二表 中学時代の優等生数と有名大学合格者数              
全人数60以上の大学進学中学時代65以上
都立高校A群43 4
都立高校B群16711
都立C高校255 5
都立D高校363 1
都立E高校152 1
 しかし、中学時代の成績が偏差値65以上の優等生の数を書き加えると受験業者宣伝や多数の親の常識は疑われるであろう。優等生と有名大合格者の比率をみると有名高ほど合格率が低い。
 ただしこの数字は有名高ほど不利という意味ではない。 中学校時代の優等生の数より難関大学に合格する者が多い高校が2つ存在する事からわかるように、高校に入って受験用学力が伸びる者がいるからだ。中学時代平均以下の成績で早稲田大学一部や法政大学一部に合格している者も存在する。
 表より情報量の大きいグラフにして見るとどの高校に行っても受験用学力が相対的に伸びる者と落ちる者がいて、どこの高校に行っても大学受験に「有利」でも「不利」でもない事が見て取れるであろう。
 第一図で白丸1つが一人の生徒を示し、高校ごとに上の段の白丸が中学時代の成績、下の段が進学大学(学部)の合格難度予備校評定である。
第一図  中学時代偏差値と進学大学偏差値の高校別比較    
           70     65      60     55     50     45   40
都立A群 o-o---o---o    
                 o-----o---o-----------------------------------o
都立B群 o---o-oooooooooo 
                o---ooo-ooo-o-ooooo-o-----------o 浪1
C高校        o-o-ooo-oooooooooo
                   oo-o-oo---ooooo-oo-o---o-o--------------------oo
                            浪2職2各1
D高校         o---o-o-oooooooooooooooo-o---o  
                   oo--o---o---oo-oo----o-ooo-o-o-ooooo----o------o
                            浪2職1各5
E高校                    oo---ooo-----ooooooo
                 o-o---------------oooooo--------o-------o------o
                            浪1職1各5

 例外的生徒はかなりいるが、全体としてはキレイに並行していて、 大学進学に有利でも不利でもないといえる。

 もう一つの調査は同年度東久留米市出身の全中学生徒で4つの都立高に進学した全生徒の進路を4都立高校の先生方の協力で調査し、中学に保存されていた成績と比較したものである。 グラフは省略し、表にまとめたものを記す。
 合格難度が高い順にQ高>R高>S高≧T高であるが、数字の上下を比較して上のほうが高いという傾向はなく、数字は高校の合格難度に関係なくばらついている。やはり高校レベルの効果は認めらない。
第三表 中学時代成績と進学先大学合格難度平均 
65< 62-6459-6156-5853-5550-5247-4947>
61.0 56.257.551.0------------
62.055.350.250.551.655.044.5---
------53.351.550.853.345.549.0
------53.5--- 52.049.5---------
 
高校合格難度はQ>R>T≧Sであるが,中学時代の成績また 浪人がQ高で多くT高S高で就職,各種学校進学が多い(有意)が, Q高では1浪が現役より難度の低い大学に入っており,R高では浪人 の中学時代成績が就職組・各種学校組より劣り(有意,他校でも低) ,中学時代成績−大学合格難度に+の相関があるという3つのことか らみて,浪人・就職・各種学校のデ−タを加えると結論がかわるとは 考えられない。    

都立高校と私立高校の比較でも難関高から「中くらい」の高校まで、 まったく差が見出されず、データーを5倍や10倍にしても差が見つかると は考えられないというデーターが得られた。 比較のグラフ省略。

1. 板倉聖宜 1963 理科学生の入試成績と教養成績 国立教育研究所紀要  Vol.38,p29−57.                    
2.酒井一幸,増山明夫 1982 都立高入試得点予想に際しての校内定期テ ストの有効性と業者テストとの比較」,都情報処理センター自由研修収録Vol.6 、1−38. 
3.岡本香児 1978 校内テストと学区偏差値の相関関係,保谷市教育委員 会研究紀要 p82−91.                                        

 中学時代の生徒成績の変動を練馬区の田柄中、関中で調査したところ僕がいない学年では1年→2年→3年と成績分化が大きくなる事がわかった。 つまり「成績の良い者はますます成績が良くなり、低い者はますます低くなる」5や4が特定生徒に集中し、2や1も特定生徒に集中するのである。
 多分高校でも同様な現象がおこり、たまたま良い成績の出た生徒は勉強するようになり成績が伸び、競争に遅れはじめると成績が急低下するのではなかろうか。 つまり受験業者の宣伝につられてギリギリのレベルの難関高校を受験し、幸運に合格すると、実際にはそのあとに不運が続く事が少なくないのではなかろうか。                    

訓話や討論より先に生活を変える指導
 さまざまな条件での実践 
 無競争集団主義でのトランプ指導 
 無競争集団主義での座席 
 素晴らしき生徒列伝