「つりあい」授業書から授業中騒動対策まで
 マクロな生物学や教育学で問題になる「主要因」と「副次的要因」
                  
         増山明夫 2017.12                                  

 「つりあい」についてまだ冬大会の混乱が完全にはおさまっていないと思います。 「科学者が法則を認定する基準」にまで問題を掘り下げて書くほうが誰でも納得で きる議論になると思い、これを書きました。もともとMさんのメールに答えるため に書いたものです。

 

  1. 「つりあい」抜きで生存競争を教える事は可能か。
 簡単な授業想定をします。
 食べるほうの動物Aと食べられるほうの動物または植物Bがある場所に存在した としましょう。 そこにAとニッチの酷似した動物A'が侵入したとします。
 その時「つりあい」を知らない生徒は、Bが全滅するかそれに近い状態までAも A'も生きられると考えるのではないでしょうか。
 「生存競争」を理解するには「釣り合い」理論を知っている…少なくとも「AとB は半永久的に共存するのが普通」という事を知っていなければならない。 しかし 「つりあい」抜きで、その事を教えるのは至難と思われます。

  2. 主要因と副次的要因
 生物学でも分子生物学や生物化学などミクロな分野は1つの現象を1つまたは少 数の要因で説明できますから物理・化学の考え方が通用します。しかし生態学や進 化論などマクロな分野では社会科学と同様に1つの現象を1つまたは極少数の理論 だけでは説明できない事が多いので、現象の理論的説明が複雑になります。
 このような科学分野の法則を理解する方法では、オスカー・ランゲが経済学理論 を説明している方法がわかりよいと思いました。 諸現象を主要因と副次的要因(偶 然的要因)という概念を使って説明するのです。
 ランゲは20世紀中葉ポーランドの経済学者。社会主義経済の「計画経済」には当時の ソ連のような国家中央指令経済だけでなく、もう1種ある事を示した最初の人物。
   ソ連のような中央指令型計画経済では、初期の貧しい間成長が速いであろうが、経済 計画が複雑な時代になると、計画と現場生産との矛盾が大きくなり成長が遅くなるとい う事は近代経済学者のハイエクが予言していました。 その予言が正しかったかどうか は北朝鮮以外の社会主義国が経済改革を行い、北朝鮮ではヤミ資本主義企業が栄えヤミ バスまで走っているという事実ではっきりしたと考えられます。
 素朴な計画経済のほかに「現場の自由生産と計量経済学にもとづく統計的な計画経済」 があり得る…労働者政権では少数の大企業・大資本家による撹乱がないから、計量経済 学の諸理論が現実とよくあうはずだという趣旨です。

 日本本土のシカの個体数が最近になって激増している事はよく知られています。
日光では高山のお花畑が消失し、植林した木の皮が食べられて木が枯れ、ササ原が 1.5-2mの密生した藪から、30cmほどの草原のようになってしまい登山靴ならどこで も歩けるようになっています。 僕の住む伊豆でも今年11月の2回の低山歩き(ハ イカーの少ないコース)で30分に1回ほどシカ(2-5頭)と遭遇したので驚きました。  そんなにシカが多い年は最初であり、伊豆でも日光なみの諸現象が見られる日が近 いようです。
 一部の学者がアメリカで実行されているオオカミ移入を主張しています。 オオ カミとシカのつりあいを実現し、シカの個体数をおさえようというのです。

 狂犬病対策でオオカミ絶滅となってから、日本のシカは「つりあい」がなくなっ たため急増したのでしょうか。 急増による林業被害、高山植物お花畑消失などの 現象はオオカミ絶滅から遥かにあと、最近になって問題になりはじめたのです。
 シカの個体数を制限する原因として冬の食料問題があったと考えられています。 もともと日本のシカは平原に住んでいましたが、人間の進出により雪の多い山地に 追いやられたと考えられています。しかしシカの脚は細く深い雪を歩くのに適さな いから冬は食料を見つける事が難しい。
   ところが地球温暖化のため、積雪が減って冬に個体数が減らなくなり、増え放題 ?になったのです。 

 では江戸時代はどうだったのでしょうか。 主にオオカミにより個体数が制限さ れていたのか、主に冬の積雪により個体数が制限されていたのか…・それは現在研 究困難でしょう。 どちらの要因が大きく働いたのか…という事は問題でなく、シ カの個体数が2重に制約されていただろうという理解で十分だろうと思います。

 片方は冬の多雪という地域的な要因であり、もう片方は世界共通と考えられる要 因です。
 このような場合、世界共通にあてはまりそうなほうを主要因と考え、地域的なほ うは副次的要因という仮説を考える事になります。 その逆ではすべての場合に個 別的説明をしなければならず、しばしばその個別的説明の正しさを検討する方法が ない。 その上で、その仮説を対立仮説と比較します。

 例えば有名なオオヤマネコとカンジキウサギの年度による個体数変動のグラフを 統計学で解析すると「ウサギの個体数の多い年はヤマネコ捕食による個体数減少が 顕著」という仮説のほうが、「ウサギ個体数とヤマネコ個体数は無関係」という対立 仮説より決定的ではないがかなり有利という結果になります。
  しかしその有利さの程度は大学1-2年で習う理論だけでは記述できませんから小学生  ---高校生に正確な話をする事は不可能です。有利さの程度の数字は計算不可能でかなり  有利としか言えない計算結果です。 

 ウサギの数を規定する要因はいろいろあって例年は、主要因が飛びぬけた効果を 示すという事はない…しかし個体数が多くなると主要因の効果がはっきりするので す。 そのような研究が集まれば、「つりあい」の存在を認定してよかろうという事 になります。 日本で森林生活に適した小型オオカミを復活させればシカが激減す るはずという事になります。
 また天敵利用の農業では釣り合い理論が広く応用されています。 農薬のように 害虫を皆殺しにする事を目指すのでなく、天敵と害虫のつりあいによって害虫の数 を制限し(天敵と害虫は共存)、経済的損失を一定以下に抑えるというものです。  釣り合い理論の上に、「生存競争」、「棲み分け」、「適応放散」などの理論が作られ、 それぞれの理論は広く応用されています。

 そのような論理構造の上に「生存競争」「棲み分け」「適応放散」などの理論・天 敵利用などの生態的害虫防除方法が発展している…とすれば、決定的実験の存在す る物理・化学の仮説実験授業と同一構造の授業書が作れない事が明白でしょう。 実 験や観察一発で理論を検証する事が原理的に困難なのです。
 物理化学の方法だけ考えると懐疑論が生じるのは当然という事になります。 懐疑論 者は「釣り合い」を全面否定しているのでなく、大型動物の場合は否定できるとして理 由(ここでは省略)を示しています。 しかし小型動物の場合は研究が少ないだけであり、 「1つの現象に多数の要因が関係」する以上、大型動物の場合と同様な結果が出るはず であり、カイバブ高原の話(内容は怪しい)のような「キレイな結果?」が出る事はむし ろ例外的なはずです。
つまり個別の現象1つ1つはつりあい理論で説明できない場合が 存在して当然であり、それらの現象を根拠として理論を否定すると不可知論となります。  ですから「つりあい」は典型的仮説実験授業でなく思考実験で導入し、実際の複 雑な現象や人工的釣り合い(害虫防除)に入る事になります。

 その方法は原子論を教える時の方法と似ているかも知れません。  原子や普通の分子を電子顕微鏡写真で見る事ができたのは20世紀半ばであり、 それ以前は原子・分子の存在を直接証明する事ができませんでした。ですから20世 紀はじめまで原子論に対する懐疑論が有名学者の間にも存在したのです。しかし原 子論から発展した多数の理論が実験で正しい事がわかったために、原子論が勝利し ました。原子論が間違っていたら、それらの理論が実験ですべて肯定的結果となる 可能性は極めて低いから、原子論を正しいとするのが合理的という論理構造です。

 ですから板倉さんは「原子・分子の存在を証明する」教材を作っていません。そ んな教材を小学校・中学校で扱う事は原理的に不可能です。 板倉さんの諸授業書 では「原子論を押し付けた上で(原子論という仮説を示した後で)原子論で諸現象が 解釈でき、原子論から予想される現象が実際に見られる…事を教えるという科学の 歴史にそった教材論理構造になっています。
 「つりあい」の場合は諸研究が「正しい事がわかる」のでなく「正しいという確率大・ ただし確率が計算できない場合も少なくない」におきかわるので、このあたりの論理構 造がいくらか複雑ですが、基本的には同様です。 「絶対正しい」のでなく、「近似的に は十分正しく、正しいという可能性は増大中」というのが科学の法則です。「絶対正しい」 ではないから天才が現れ、今までの理論をさらに精密な理論に置き換える事がある。で すから唯物論では科学法則を「絶対真理」とはせず、「相対真理」とするのです。
   「釣り合い」も証明ぬきで導入し、そのあと実際の現象を挙げたり、天敵利用の 害虫防除の例などを挙げて理論の正しさを納得させる…という方法しかないという のが結論になります。直接の観察や実験一発では証明も否定もできないからです。

3. 授業中騒動の対策と主要因・副次的要因
 教育学も1つの現象に多数の要因のかかわるマクロな科学です。生物学以上マク ロな科学ですから、主要因の効果に比して副次的要因の効果が大きいという実例観 察結果は一層多くなり、しばしば多数派です。

 授業中騒動は公立中学・公立小学校高学年ではどこでも問題になっています。  その対策として普通なのは1.「道徳教育」 2. 授業中騒動について討論 です。 どちらの方法でも結果は同様で、一時的に騒動はおさまってもしばらくす れば女性教師、年配教師、非常勤の教師などの授業から騒動が復活すると言ってよ さそうです。
 授業中騒動は教師と生徒との矛盾の一種ですが、教師・生徒の矛盾については複 数の考え方があります。

 昔組合で聞かされたのは「教師は労働者であり、生徒の多くも労働者の子弟だか ら、両者の利害は共通であり、教師が先頭になって生徒を指導すべきだ」という考 え方でした。 今でもその考え方は全生研機関誌を見れば見られるのではないでし ょうか。その考え方を極度に推し進めると、徹底的討論によって騒動を克服すべき だという事になり、ソ連独裁者スターリンの「人民裁判」に似た光景が出現する事 例が続出しました(この方法は短期で中止となりましたが)。
 上記の議論は主要因しか考えない粗雑理論です。 現実には「つまらなくてわか りにくい」授業を教師が強制されているという副次的矛盾があり、授業我慢が苦し いという生徒が多数いるから教師と生徒の対立が起きている。生徒のホンネを無視 してタテマエ論にそって討論したのでは、タテマエとホンネの異なる生徒、教師の いる時といない時の態度が異なる生徒を養成する意味しかないでしょう。

 この対策は「副次的要因の効果を弱くする」であり、十分弱くなれば主要因がは っきりしてくるはずです。
 この場合は我慢しやすくするという対策になります。 授業改革が根本的対策で すが、中学では担任がすべての授業をするわけではないから、「つまらない授業の我 慢」を肯定した上での対策しかあり得ません。 

 では具体的にどうするかといえば、1960年代はじめに今村哲郎教諭(東京都練馬区 立石神井中学)がはじめた「優等生もよく騒ぐ生徒も我慢できるという妥協的水準に ついて話し合いを行い、授業中騒動を制限する」という方法になります。 騒動が 一定以下なら、授業座席を自由化し、生徒が楽しくなるようにします。 我慢をし たほうが総合的には楽しくなるから、生徒はタテマエ論でなくホンネで賛成となり ます。 
 登校拒否については保健室登校や図書室登校といった問題児が我慢しやすい方法が普 及しています…。授業中騒動の場合も「問題児」が我慢しやすい方法を採用すべきです。  妥協的水準については「1時間内に3回以上先生に注意された者が2人以上、そのよう な時間が1日に2時間以上」の場合は座席を不自由にし、騒動がそれ以下なら座席自由と いうように機械的に決める方法と授業妨害にならない程度(月1回教師と生徒の話し合い で評価)という抽象的基準にする方法があり、一長一短です。 中1では機械的な基準、 3年では抽象的基準が良さそうですが…。

 同じようにすべての副次的要因の効果を心理的に少なくしてゆけば、主要因がは っきりする世界となり、「陰に陽に生徒が教師に協力」「校内暴力・いじめ・非行な どを教師管理下にない生徒有志運動でゼロにする」「勉強その他の努力が当たり前 で、成績抜群生徒によるタダ塾が出現」…というクラスや学年になるのです。熱血 教師の名演説は不要であり、教師が科学的に合理的な指導を機械的に行えば自然に いつのまにか主要因の効果で上記のようなクラスや学年が成立する事になります。

 最初にこの方法を事実上発見した教師の一人成見克子氏は当時大学院生だった僕 の質問「どういう指導でこのクラスができたのですか?」に対し、「どうしてこんな に面白いクラスになったのかしら」。生徒に理想的クラスの話はしないし、もちろん 自主管理の指導はしないが、教師の知らぬ間にもともと目標としていなかった自主 管理が成立したのです。
  例えば「学級目標」の討論はホンネで守る気がない目標について話し合うシラケル時間 だから1-2分で切り上げます。そのあと学級集団遊びや班遊び(トランプなど)をすれば、 車が増えて道路で遊ぶ事ができず、塾通いで遊び時間が減っているという現代矛盾の1つ の効果(これも副次的矛盾)をかなり打ち消す事が可能です。 教師と学級委員が「原案」 を作り、クラスで「それでいいですか?」と学級委員か学級議長が言って終り…あとは遊ぶ …が、副次的要因の効果を弱める科学的指導だと考えられます。

 昔組合で宣伝された方法の場合は副次的要因の無視でしたが、主要因のほうを無 視すれば道徳教育というホンネ抜きのタテマエ論説教となり、生徒のホンネ(苦しい 授業の我慢はつらい)はそのままですから目的にそった効果がない上、生徒が窮屈さ と退屈さに苦しめられ、面従腹背の「反教師派」が次第に形成される事になるでし ょう。 

         「主論文へ」

      「目次へ」