増山明夫
 音感教育を受けた幼稚園時代・・当時の音感教育宣伝会の最後の見世物に出ていました・・・に作曲がはじまり (記録は数え年だけなので4才か5歳か不明)ましたが、戦災でピアノが焼失し、聞くに堪える水準のものはピアノを買ってもらった中学3年冬になってからです。

 はじめの「君を愛す」と「朝礼」は高校時代1954年。記憶が怪しいですが多分両方5-7月。  「朝礼」は不要な行事の矛盾を音楽でスケッチしたもの
「深夜の行進」は1961年11月の夜間青年デモ(学生・総評青年部・民青・社青同)の音楽日記。
 ソナタ2番はやはり1961年で季節は春。 第3楽章主要部は1961だが完成は2014。
「登山口にて」「針葉樹林の登り」「霧と這松」は1963年9月大学院生時代の木曽駒登山で組曲「夏山」の1.2.3番で、 1.は菅の台温泉近くの木製橋をわたるときの作。2.は日本の山ならどこでもある辛く長い針葉樹林の登り。3.は 尾根に出たときの作。 雨が降ってきたので急いで歩いたから頂上の作はなし。
 1958の「退屈な音楽」は「現代音楽」「前衛音楽」を茶化したり冷やかしたりする音楽。
「呑気な人々」は2014でまわりで何が起ころうが無関心で自分の世界だけで生きる人々を音楽で描いたもの。


   素人の悲しさでピアノを弾くとミスタッチが避けられません。実演では気にならなくとも録音で聞くと大変不快です。 ですから電子ピアノで弾いた後コンピューターで修正するかコンピューター直接入力となります。
 その場合困るのはペダルが使えないことで、知る限り電子ピアノ・キーボードのペダルはピアノのペダルとはまったく異質で使い物にならない。 ですから表現に限界があります。

コンピューターとソフトは半分が(logic platinum /Win XP一部はWin Me、古い半分ははNotator/Atari1024ST)で、最後音だしの機械はローランドSD50に統一したはずですが、使い方が十分わかっていないために、音質の違うものがあります。
2015以後はWin用のLogicが壊れたのでマッキントシュとlogic9の組み合わせです。 音出しをそちらからするのでピアノ音質は良くなりましたが、logic9(10も)はNotatorやWin用logic5に比べて大変使い勝手が悪く入力に3倍程度時間がかかります。 クラシック用途には不要有害な機能がついたためで、カタログ性能は良いが実際には良くない。 電子カメラで多数機能のあるものは我々素人に使いにくく、押すボタンやダイヤル位置を間違えるというのに似ています・・・。 入れた写真で電子式一眼レフやミラーレスカメラといった高級カメラで写したものはありません。




要望 ?があり、幼稚園時代の作品を入れました。    「幼稚園時代前半」 1943   「幼稚園時代後半」 1943と44

 「君を愛す」 1954 この続きの3曲も「愛の歌」をはじめ順次入れなおす事にしました。今使用のMac版logic9,10ではWin用logic5やnotatorで入力した楽譜が読めない(楽譜は画面に出るだけで印刷できず、音もでない)   ので入れなおす事になります。 「愛の歌」 1955 58修正 「別れ」 1956 58修正 「再会」 1958

  「朝礼」 1954 「メーデー」 1954
   「ソナタ一番第2楽章」 1955 

  「砂川の思い出」 1958/2016最終修正 
「高原の夕暮れ」 1961/2016修正 
  「深夜の行進」 1961     「退屈な音楽」 1958 
     「ソナタ2番第一楽章」 1961/2012修正     「ソナタ2番第二楽章」 1961    「ソナタ2番第三楽章」 1961/2014  

「夏山・登山口にて」   1963    「夏山・針葉樹林の登り」 1963     「夏山・霧と這松」 1963
 「呑気な人々」  2014   「6つの前奏曲」1956--2015



 ヤフー検索の方法が変わったらしく、増山明夫で検索すると音楽が出るようになってしまったので、変な感じですが論文と仮説実験教材リンクをつけます。



楽しいからまじめに努力する教育
「新唯物論と古典唯物論」
 マルクス・エンゲルス・レーニン・初期毛沢東の著作に出てくる諸論理は現代自然科学論理と比較すれば粗雑であり、「十分小さい」「統計的論理」「混合方略」・・・などの論理・概念を用いるべきときに直観に頼っている。彼らの時代にはこれらの論理・概念が存在しないか極めて少数専門家のものであったから、論理が不正確でも彼らの責任ではない。 マルクスはあらゆる研究に時代に規定される限界がある事を明らかにしたが、彼らの研究も例外ではありえない。  より正確な唯物論では社会主義の経済的・政治的構造が一変するし、大衆運動論も大きく変化する。また教育学研究方法、教育実践論も大きく変化する。

「酒井一幸氏の中学行事改革」
「訓話や討論より先に生活のほうを変える指導」

物質が意識より第一義的という唯物論からすれば、生徒の学校生活を変えるほうが生徒の意識を変えるのには訓話・説得・討論の類よりはるかに有効なはずだ。 授業中騒ぐ生徒に対して「道徳」の説教や建前論のクラス討論より、授業を楽しいものにするほうが効果のある事は確かだろう。 授業に参加したほうが授業中騒ぐより楽しければ生徒は騒がない。
 酒井一幸氏は班行動遠足や班行動見学の創始者であり、それらの行事は現在普及している。 ただし内容に大差があり、氏の行事では「現在実現可能な範囲で生徒が一番楽しい方法は何かという話し合い」「その実現のために生徒の側ではどのような努力をしどのような規律を守る必要があるかという話し合い」という方法によって、行事での訓話・建前論での形式的討論などをほとんど不要にしていた。 生徒は勝手に努力し勝手に規則を守るが、それが一番楽しいからだ。 北八ヶ岳や志賀高原での林間学園で5コース希望制・希望参加者の臨時班行動としても、一般山岳愛好者の登山より遥かに安全で無事故である。

 今村哲郎氏と成見克子氏は「現在実現可能で生徒が一番楽しい方法は何か」「そのために生徒はどのような努力をすれば良いか」明らかにするという方法をほぼ全部の指導に適用し、「道徳」や形式的討論を全面的に無用とした。 生徒は楽しさを追求するため勝手に真面目になり、勝手に努力し、勝手に仲良くなり、自主管理に至る。 反抗的生徒が教師の知らぬ間に急減し警察のご厄介になる生徒ゼロになるのが普通だし、「いじめ」も生徒有志市民運動の力で大抵教師の知らぬ間にゼロとなる。  原理がはっきりしている以上、具体的指導の大部分がプログラム化可能であり誰でも実行可能になっているから、「道徳教育」とか熱血教師の名人芸は不要ということになる。

「先進的な部活動教師たち」
「増山良夫伝説集」
「増山元三郎伝説集」
 「先進的な部活動指導教師」たちの章を加えた。 意識はしないが、横行するスターリン式粗雑論でない唯物論に忠実な実践をおこなったため、生徒や親の絶大な支持を得て常識的には困難な高いレベルの実践をした教師たちは前記二章で登場した教師とかなり重なる。



「仮説実験授業自作教材」
 授業の5-6割が仮説実験授業というなら、指導要領消化は難しくなく、普通の指導要領準拠授業にある無駄な時間(具体的に記す)を省けばよい。 しかし8-9割を仮説実験授業にすると、標準的な授業書では指導要領消化が不可能である(理由を記す)。受験対策を問題とすれば指導要領に配慮した授業書が必要になる。しかし指導要領に配慮した授業書を作ると、指導要領の非論理性に対応した欠陥が必然として生ずる。 そのような欠陥対策はどこまで可能か。欠陥承知の授業書試作品集。  「ロックガーデンの四季」
「固増・瑪娜茶金の旅2017(中国四川省)」
「釣り合いから授業中騒動まで」
 唯物論の基本なので入れました。 「主要因」「副次的要因」という概念を使い、マクロな科学の論理構造を記す。 「つりあい」懐疑論から心理学的な生徒指導まで。
      「音楽雑話」  
「音楽雑話2」  
「英語教育メモ」