写真は無関係で秩父鉄道の上長瀞駅の櫻。

1961年春ですが、1/4程度の大修正があります。 原曲が地味・貧弱なので、不協和音を少し多くすると同時に 3連5連・・・11連・・・を多く入れたら、かなり派手な曲になり、ラフマニノフ並みに演奏困難となりました。  

「退屈な音楽」記事の続き。今の音楽学は全体として前近代的な学で、そのゆきつく先は前衛音楽と称する 閑人マニアック音楽という事になります。 例えば「このような和声進行は適当でそちらの進行は不適当」という「理論」 (実際には主張)の論理性は家元の流儀と同レベルでしょう。 本来なら実験を行い「適当な進行」「主な不適当進行」の印象 を多次元座標であらわすべきです。 そうすればある進行が例えば「くどい」印象が強くて「普通は不適当」とさ れる場合、 その「くどい」印象が必要な音楽では「適当」となります。 そのような学問なら、作曲や編曲に役立つ 現代科学ということになると考えられます。  そのような実験をするにはプロ音楽家なみの音楽理解力と計量心理学の知識を持つ人が必要です。音楽的能力 が高くないと実験に際しての仮説を考える事が不可能に近く、何を測っているのか不明の実験計画しかたてられ ないから、結局数字が並ぶだけの無駄実験となるでしよう。

   「作品一覧」 「幼稚園時代前半」 1943   「幼稚園時代後半」 1943と44

 「君を愛す」 1954 この続きの3曲も「愛の歌」をはじめ順次入れなおす事にしました。今使用のMac版logic9,10ではWin用logic5やnotatorで入力した楽譜が読めない(楽譜は画面に出るだけで印刷できず、音もでない)   ので入れなおす事になります。 「愛の歌」 1955 58修正 「別れ」 1956 58修正 「再会」 1958

  「朝礼」 1954 「メーデー」 1954
   「ソナタ一番第2楽章」 1955 

  「砂川の思い出」 1958/2016最終修正 
「高原の夕暮れ」 1961/2016修正 
  「深夜の行進」 1961     「退屈な音楽」 1958 
         「ソナタ2番第二楽章」 1961     「ソナタ2番第三楽章」 1961/2014  

「夏山・登山口にて」   1963    「夏山・針葉樹林の登り」 1963     「夏山・霧と這松」 1963
 「呑気な人々」  2014   「6つの前奏曲」1956--2015

   



                   増山明夫
   ヤフー検索の方法が変わったらしく、増山明夫で検索すると音楽が出るようになってしまったので、変な感じですが論文と仮説実験教材リンクをつけます。



「新唯物論と古典唯物論」
 マルクス・エンゲルス・レーニン・初期毛沢東の著作に出てくる諸論理は現代自然科学論理と比較すれば粗雑であり、「十分小さい」「統計的論理」「混合方略」・・・などの論理・概念を用いるべきときに直観に頼っている。彼らの時代にはこれらの論理・概念が存在しないか極めて少数専門家のものであったから、論理が不正確でも彼らの責任ではない。 マルクスはあらゆる研究に時代に規定される限界がある事を明らかにしたが、彼らの研究も例外ではありえない。  より正確な唯物論では社会主義の経済的・政治的構造が一変するし、大衆運動論も大きく変化する。また教育学研究方法、教育実践論も大きく変化する。

「酒井一幸氏の中学行事改革」
「訓話や討論より先に生活のほうを変える指導」

物質が意識より第一義的という唯物論からすれば、生徒の学校生活を変えるほうが生徒の意識を変えるのには訓話・説得・討論の類よりはるかに有効なはずだ。 授業中騒ぐ生徒に対して「道徳」の説教や建前論のクラス討論より、授業を楽しいものにするほうが効果のある事は確かだろう。 授業に参加したほうが授業中騒ぐより楽しければ生徒は騒がない。
 酒井一幸氏は班行動遠足や班行動見学の創始者であり、それらの行事は現在普及している。 ただし内容に大差があり、氏の行事では「現在実現可能な範囲で生徒が一番楽しい方法は何かという話し合い」「その実現のために生徒の側ではどのような努力をしどのような規律を守る必要があるかという話し合い」という方法によって、行事での訓話・建前論での形式 的討論などをほとんど不要にしていた。 生徒は勝手に努力し勝手に規則を守るが、それが一番楽しいからだ。 北八ヶ岳や志賀高原での林間学園で5コース希望制・希望参加者の臨時班行動としても、一般山岳愛好者の登山より遥かに安全で無事故である。

 今村哲郎氏と成見克子氏は「現在実現可能で生徒が一番楽しい方法は何か」「そのために生徒はどのような努力をすれば良いか」明らかにするという方法をほぼ全部の指導に適用し、「道徳」や形式的討論を全面的に無用とした。 生徒は楽しさを追求するため勝手に真面目になり、勝手に努力し、勝手に仲良くなり、自主管理に至る。 反抗的生徒が教師の知らぬ間に急減し警察のご厄介になる生徒ゼロになるのが普通だし、「いじめ」も生徒有志市民運動の力で大抵教師の知らぬ間にゼロとなる。  原理がはっきりしている以上、具体的指導の大部分がプログラム化可能であり誰でも実行可能になっているから、「道徳教育」とか熱血教師の名人芸は不要ということになる。



「仮説実験授業自作教材」
 授業の5-6割が仮説実験授業というなら、指導要領消化は難しくなく、普通の指導要領準拠授業にある無駄な時間(具体的に記す)を省けばよい。 しかし8-9割を仮説実験授業にすると、標準的な授業書では指導要領消化が不可能である(理由を記す)。受験対策を問題とすれば指導要領に配慮した授業書が必要になる。しかし指導要領に配慮した授業書を作ると、指導要領の非論理性に対応した欠陥が必然として生ずる。 そのような欠陥対策はどこまで可能か。欠陥承知の授業書試作品集。 

「ロックガーデンの四季」