写真はアイスランド国で
1958.11ですが2014年に1/4ほどの書き換え。
1958当時は「現代音楽」「前衛音楽」と称する閑人マニアック音楽がプロの間で大流行していました。
科学的に考えれば「不協和音中心の音楽」は「協和音+不協和音の音楽」はもちろん、
「協和音だけの音楽」に比べて原理的に表現範囲が狭い」事になります。
なぜなら不協和音---濁りが大きい・・・その相互の印象の違いはもともと小さいのにひどく不協和な和音とその和音の入る和声進行を嫌う。
ですから絵で考えるとはっきりした白黒を嫌うことになり、「中間的な明るさの濁った色ばかりの絵」となって、表現範囲が限られてしまう。
協和音は協和性(濁りの程度)の違いが大きいだけでなく、学習/条件反射のための
印象・色彩を伴いますから、協和音の表現範囲は大変広いのです。
協和音の印象に学習/条件反射の要素が大きく関係している事は次の事実でわかり
ます。
幼児にとってはDF♯AとDFAの識別が難しい・・・つまり彼らには2つの和音の印象の差が少ない
のですが、我々にはこの2つの和音の印象差が大変大きい。 その理由は前者が長調の印象、後者が短調の印象と
条件反射で結びついているという以外にないでしょう。
ですから、良い作品の生まれる可能性ゼロではありませんが、可能性は大変小さく、できたものは表現範囲が狭いために
高級ムード音楽(富裕インテリしか理解しない)になるでしょう。
ここでは「目立ちたがり屋の音楽」「全音音階の音楽」「2度中心の音楽」を取り上げ、それらの後に「変奏だが茶化した
音楽」と「あーあ退屈だねエと冷やかす音楽」を加えました。 最後は猫がピアノ鍵盤の上を走り回るという音楽です。
変奏としてはマニアック諸「理論」を考慮しません。 彼らの「理論」は机上で作られ、人間がどう感じるかという
心理と無関係です。 不協和音の印象は音の高さ、高低差、運動・・・などで直接決まるのですから、それらが似ていれば
印象も似、変奏と言ってよいと思われます。
「作品一覧へ」
「幼稚園時代前半」 1943
「幼稚園時代後半」 1943と44
「君を愛す」 1954
この続きの3曲も「愛の歌」をはじめ順次入れなおす事にしました。今使用のMac版logic9,10ではWin用logic5やnotatorで入力した楽譜が読めない(楽譜は画面に出るだけで印刷できず、音もでない)
ので入れなおす事になります。
「愛の歌」 1955 58修正
「別れ」 1956 58修正
「再会」 1958
「朝礼」 1954
「メーデー」 1954
「ソナタ一番第2楽章」 1955
「砂川の思い出」 1958/2016最終修正
「高原の夕暮れ」 1961/2016修正
「深夜の行進」 1961
「ソナタ2番第一楽章」 1961/2012修正
「ソナタ2番第二楽章」 1961
「ソナタ2番第三楽章」 1961/2014
「夏山・登山口にて」 1963
「夏山・針葉樹林の登り」 1963
「夏山・霧と這松」 1963
「呑気な人々」 2014
「6つの前奏曲」1956--2015