固増、瑪娜茶金の旅2017  
  美しい花々と悪路 

 中国彝族の写真家である烏里烏沙氏の旅行についていった時の記録です。6月25日は東京から成都…26日は石棉まで。  27日は雨季なのに晴。



今日は九龍県洪壩自然保護区の往復。 はじめは谷ぞいで未舗装の良くない道。急峻な谷で山は大きい。 かなり登ったら突然舗装道路。 九龍県に入ったからだという。 

 向こうに集落が見えてきた。   目的地は集落の左の山で、集落から未舗装の道路を上がるのだそうだ。  上がる道がわからないので集落の入口にいた青年に案内を頼んだ。 烏里氏と同じように鼻が高く立体的な顔で、典型的な彝族の顔である。 烏里氏が従兄弟だという。 村の人々全部が烏里姓なのだそうだ。

 烏里氏の探していたMeconopsis(青いケシの仲間)はすぐ見つかった。 背が高く、青のかかった藤色の種類である。 左はその花を写す烏里氏。 別のMeconopsisもあった。

 透き通るような紫のケシである。 日本ではほとんど見られなくなったアツモリソウがいくつか道端に咲いている。

 同行の千葉盈子さんがチベットアツモリソウという和名があると教えてくれた。 花は大きいがこんな感じであまり美しくない。   右はTrolliusシナノキンバイの仲間で、日本のものより背が低く、花つきが密である。 

    小型のシャクナゲで、ヤクシマハイヒカゲツツジとヒカゲツツジの中間のような感じだ。   帰りは同じ道を下ったが、日本の田舎と同じで親戚が来たらそのままでは済まない。

 村長さん(烏里氏の従兄弟)に昼の食事を世話して頂いたほか、彝族の舞踊をみせて頂く事になった。 祭りのための練習なのだが、我々が帰るまで時間をずらせてくれたそうだ。 場所は村役場の前の広場である。  


 女性の回転は普通の速い回転だが、男性のほうは地面に手をついての回転があり、普通の日本舞踊よりずっと動きがある。

 音楽のほうはは現代的に編曲されているので記録しなかった。 
日本の舞踊は筑紫舞を除いて跳んだりはねたりする速い動作がないようだ。
 踊っている村人の顔は立体的とは限らず、普通の中国人つまり漢族とかわらない顔の人々もいる。  烏里氏によると、革命前に戦士階級だった黒彝は黒彝同士で結婚するが、農民・奴隷階級だった白彝は捕虜になった漢族ほかの人々の血が入っているそうだ。黒彝の人々はモンゴル人種としては特異な顔つきで、日本のアイヌ民族と似た感じの人が多い。昨年の烏里氏計画旅行では雲南省の彝族集落で有名な萱野茂氏(アイヌ民族)にそっくりな人を見た。
 DNAが他の中国民族と大きく異なる。 アイヌ民族ともかなり異なるが、われわれヤマト民族や中国内他民族よりはアイヌ民族に近いようだ。   

 村の踊り手と写真家、みな烏里さんである。  帰りはまた良い道から悪い道になったが、道路ぎわの急斜面に極彩色の鳥が居た。雉の仲間であろう。

 
高山植物は4000m以上の寒冷地にあるが、ここは1000m程度でギリギリの亜熱帯か温帯である。 南方系の植物から見て霜や雪のない地域であろう。











 28日は冶勒自然保護区に行って西昌泊まりである。保護区に入る道には門があり、地元の人に開けてもらわないと入れない。 門のそばの小さい流れに黄色のアヤメが多数咲いていた。  Iris forrestiiであろうか。 

そこから少し登るとほとんど平らになり、多数の花が咲いている。 

 真ん中は壮大なウバユリの仲間。その右は青いケシの仲間

チョウジガマズミの仲間(大変香りが良い)とParochetusブルークローバーである。 ブルークローバーはネパールで見たし、アフリカのケニア山でも見たが、中国でははじめて見た。 ピンボケだが写真が一枚しかないから仕方ない。  年のせいで、同じ写真を何枚も写すという習慣がない。 フィルムが高価だからと一枚しか写さなかった習慣が電子写真になっても続いている。 一番安い方法だと長い事エクタクロームの映画用を切って使っていたくらいだ。 現像を自分でしなければならないが、現像薬キットはあまりにも高価だから現像薬は処方調合であった(価格は数分の一)。

 このアヤメは花が低い位置で咲いていたが同種だろうか。 湿地でなく普通の草原にあった。黒い紋があるように見えるが黒く見えるのはすべて昆虫である。

 Meconopsis chelidonifoliaだが、葉が変わっていてMeconopsisらしくない。

日本でも園芸植物になっているClematis montanaに違いない。


  下はフウロソウの仲間で、ハクサンフウロに似ているが、花つきが良い。  花の多いこの場所から急坂を登って4000m以上まで行ったが、針葉樹中心の森林が続き、美しい花は見られなかったので引き返した。 烏里氏計画の撮影旅行で「少人数でも実行します」というのは、烏里氏が行って見たいが、まだ行った事のない地域を含む旅行であるから、このような無駄もある。 その代わり、日本国には存在しない秘境中の秘境を旅行するという感じになる。 中国では標高4000mでも5000mでも、また寿命の短い道路しか作れない極端に悪い土質の場所でも自動車道路を作ってしまうから、このような旅行が可能になる。 ただし、土砂崩れで通行不可能になり、1000km以上遠回りになる事も珍しくないから、覚悟が必要である。



29日は塩原の町までの移動で泊まり。30日は山の中に入り固増という小さい集落を目指したが、近づくにつれて大変な道になった。 4m道路に径2mほどの水溜りなど普通で時には径3mとか4m!という巨大な水溜り。 たちまち車は屋根まで泥だらけ。 横のガラスからは外がほとんど見えない。 それでもその近くでは他に良い宿がないからここに宿泊するしかないという。 宿の個室にはトイレがあり、水と湯がでるから山の中の宿としては大変優秀だ。

 昼すぎについたので、そこから泥だらけのために歩行は困難という道を山に上がる。上がるにつれて急速に道はよくなった。
どうしてかといえば、あたりの地層はほとんど細かく破砕された岩石と泥からできている。だから大変崩れやすく実際に崩れている場所が多い。 浸食がひどいから谷は大変深い。  一方、崩れやすいが故に山は丸い。 だから尾根はなだらかでそこに良い道がある。

 

 尾根の近くでサクラソウ(secundiflora)が咲いていた。泥水 の小さい流れの前だから前景・後景は悪いが花は素晴らしい。  そこから少し入ると、アヤメの群落があった。 青みのある黒紫の上品な花である。   

 

これは家のロックガーデンで40年以上咲き続け、3年前に枯らして種再輸入となったIris chrysographes に間違いない。 イギリスの高山植物専門店から輸入したものだ。 弱いが良い香りのある花だが、現地の株の花は香りを感じられなかった。 ただしニッコウキスゲが大抵無香なのに有香株が存在する事を考えれば、香りのあるなしは種類を分ける基準にはならない。春蘭でも同様で大抵は極く弱い匂いなのに強い芳香を放つ中国産の株が選別され「中国春蘭」と呼ばれている。

このアヤメは森和男氏「雲南の植物」という図鑑にIris bulleyanaとあるものにそっくりでもある。ただしそちらは色が薄いようだ。 現地で見ると花色に変化があり、濃い黒紫から紫のかかった青まで普通に見られる。 斑紋の個体差も大きい。 素人考えだが同種に2つの学名があるのではなかろうか。 現地で学名をつけたのでなくイギリスで学名をつければ、変異に応じて別の名がついたという可能性があろう。

 30日に固増出発。 今日は瑪娜茶金の展望台が目的地である。 コンガ三山を公園とは反対側から見る景色が素晴らしいという。 コンガ三山は以前トレッキングで見た事がある。 亜丁から全部歩きだったが、3つとも6000m前後の雪山で主峰は幅広い貫禄のある山、あとの2つは鋭い三角錐であった。

      

 写真は昔写したコンガ3山。
 谷と中腹の大変悪い道を進む。 ところどころ斜面が崩壊しているから超スロー運転となる。   

写真を見ると、一見岩場が多い景色で、日本の妙義、西上州の山々、国東半島の山々などに似た景観のようだが、岩場のように見えるのは崩壊地で、細かい砕石に泥がまじったグズグズの斜面が崩れたものである。  写っている人物は大変なご苦労様運転の運転手氏。

 小さいサクラソウが道ばたの斜面にあった。





 2-3時間あと、道は登りとなり青いケシが現れた。   これは濃青の種類で素晴らしい花である。そこから先はお花畑が多く出てくる。 まだ亜高山帯だが森林がときどきとぎれてお花畑になっている








  見事なandrosace。 






















サクラソウの一種。

   黄色のStellera(クサジンチョウゲという和名をつけたらしい)、青いエンゴサク、のうぜんかずら科のインカルウィレア…綴りを見るとエンカルウィーユという人の名由来だから、こう読むのに抵抗を感ずるが…、

   ユリの一種lophopholum、イブキトラノオの仲間。

 しかし瑪娜茶金の展望台では霧しか見えなかった。 霧雨の中だから当然である。 雨季にくると花は多いが山の見えない日が多い。  展望台の近くに咲いていたCremanthodiumクレマントデュームの花には水滴がついている。

  帰りは固増でなく、コンガ三山、亜丁に近い水洛という集落を目指す。 

水洛にはホテルと称するものがなく、中国高度成長以前からある「招待所」のようなものしかないが山奥だからやむを得ないとする。

 共同トイレは屋外にある昔の中国式トイレで外から内部便器が見える。 水はトイレの隣の部屋、つまり屋外にあり、たった1つしか蛇口がない。 はじめて中国のトレッキングに行った30年前(大姑娘山登頂)はそれで当たり前であった。 今は立派なホテルがいくつかあるという日隆でそうだった。

 次の朝車が不調で修理となり、その間する事がないから、集落の写真を写していた。













左は水溜り。右は集落の粗末な家とテレビアンテナ。 貧しい山奥にもテレビが普及したという事だ。 。  

 亜丁(近い)を目指したが、この通りがけ崩れで 進めず固増に引き返す事になった。 画面の程度なら進めそうだが、車の通ったあとがないから、先に通過不可能な場所があるという事だ。 これにて旅行の前半終了。 後半は亜丁にゆけないので瀘沽湖にゆく事になった。



















    

固増・濾沽湖・シャングリラの花の旅

道の崩壊で目的地が変更になった後半の高山植物見学旅行である。

  7月3日。固増の景色はかなり良い。 谷底の宿は展望なしで山中の小集落という感じだが、少し上がると谷は深く山は急峻で山水画に似た景観となる。  ただし、良い地点で止まる時間がなく、感じの出た写真は写せなかった。

 左は崩れた場所を車道が通っている様子。 いたるところ崩れていて、そこが遠くから見ると岩のように見える。 本物の岩があると岩とその下の部分だけ雨に耐えて残り、まわりにあるグズグズの部分は流れて消えてしまうから、 巨大な岩が突っ立っているように見える。 それが右の景色である。 固増は断層に沿った谷にあるのではなかろうか。

尾根に上がると、なだらかな地形となり、良い道路が通っている。  やがて幹線道路に出た。 





しばらくして濾沽湖への表示があり、良い道を走っていたらがけ崩れに出会った。 例によってグズグズの破砕された岩・砂礫まじりの地層だ。 

スチール写真では表現できないが、右上から大小の岩、砂礫が2-3秒ごとに流れ落ちている。 当分開通は 望めないから数キロ戻って別の道を行く。    

ヤマボウシの仲間だが、花つきが大変良い木である。 右は道端の小さい岩に登って撮影中の烏里氏。  個性的な人物だから絵にしやすい。



 彝族の夫婦が化学肥料をまいている所に出会った。  赤土であるから多分痩せ地で、化学肥料なしでは農業がなりたたないのであろう。  草原の中を少し掘り下げてそれを畑にしている。そうしないと水分が足りないのであろうか。  あたりにはエーデルワイスの仲間もあり、かなり標高が高いところだと思われ、苦労の多い農業で あろう。











 丁度学校の授業が終わったらしく、子供たちが多数歩いていた。 普通の洋服の子供より、民族的デザインの服の子供が多い。







 やがて急流にそった道となった。









  日本では、茶色の川が台風のあとしか見られないから、日本人には珍しい眺めでかなり迫力がある。

 夕方になり、やっと湖についた。 建物が中国式で、われわれにとっては異国的な感じのところである。








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7月4日。僕は濾沽湖がはじめてであるが、一晩泊まっただけでシャングリラに行くという。 そこで早朝の散歩となった。湖岸に遊歩道があり、それを歩く。 中国式建物がところどころにある。  

 豆の仲間の潅木があり、またトチカガミに似た水草があった。 湖岸近くに多数生えていてボートのまわりの白い点 はみなその花である。  湖の一部は湿原になっていた。



 朝の出発のとき、増山さんははじめてだから、遠回りだが湖を回ってくれるという話になった。

 天気が悪くてまわりの高峰は見えないが、かなり良い景色である。 宿泊地点の丁度反対側のあた りで止まってもらい、写した。

 

 シャングリラの町についたが、中甸と同じ町には見えなかった。 近代的ホテルがある。以前梅里雪山トレッキングで中甸に来たときは、インナーシュラフ持参など防寒対策をしていなかった人は寒くて眠るのに苦労したようだった。 山の中のさびしい町であった。

 今回は立派な建物が林立し大庭園まである。 千葉さんは驚いたという話を何回もしていた。  中国経済大発展のため山中の小さい町が近代的観光都市になったという事のようだ。  次の日は北の郷城までの旅で、山越えのとき、多数の高山植物が見られるという。

 その峠の登り口のところで昼食となったが、その店の子供たちが可愛いと皆で写真を写した。
峠近くの湿地には今までと同じように、アヤメとサクラソウが生えている。サクラソウPrimula secundiflora はどこにでもある、という感じだがこの株は立派なので写した。


アヤメは黒紫も青に近い青紫もある。

 枯魯柯峠は4708mあるそうで花の種類が多く、写真に写さなかかった種類も多い。

 小さい写真はイワベンケイの仲間、、黒いクレ マントデューム、イブキトラノオの仲間、タカネウスユキソウの仲間。

   黄色のは一番普通のサクラソウであるsikkimensisである。 峠には多数の高山植物が咲いていたが、風が強くて花が止まってくれず、撮影が大変であったから、咲いている花は大変多いが写真は少ない。  出してあるPrimula sikkimensisは合成写真である。 花がぼけて写ったので、別の写真の花と入 れ替えた。 写す角度が少し違っているが、同じ花を写したのだから、見た花そのものに近くなっている。 

 峠を越えると、少し天気が良くなりまわりの山々が多少は見えるようになった。 高さは4500m前後と思われる岩山が多くかなり良い景色である。  

下に白い壁の家ばかりの集落が見えるがこれが郷城だそうだ。  道は急降下となり集落のある谷間に入ったが、なかなか ホテルにはつかない。 集落は大変細長く、集落に入ってからの道も悪い。 しかもところどころ工事中だから大変な時間がかかる。中国では建設業者が威張っているようで、日本のように道路工事は半分づつとし、もう半分のほうで車を通すというのでなく、道路工事の時間は道路閉鎖になってしまい、工事を中断したとき に車を通すようになっている。 だから待ち時間は1箇所で1時間以上というのも普通となる。  道路工事を軍がやっていた時代の名残りであろうか。 今は工事を民間業者がやっているというが…。  



次の日は朝の出発が9時でなく7時半ころであった。 峠の上まで往復してから、シャングリラまで行くから時間がかかるという。
 大雪山峠は素晴らしいお花畑で、多分花の種類が今までの中で一番多い。 四川省雲南省の高山は世界一高山植物の種類が多いと思われるが、そこの代表的お花畑の1つであろう。

Androsaceと水玉。

青いケシの仲間 ムラサキ科の花 Anaphalis イブキトラノオの仲間 Soroseris Silene  これらの他にも種類多数。 郷城に戻って昼食。

 街道を戻ると工事中の道通過に何時間かかるかわからないというので、地元の人に聞いた道を行く。 至るところ工事中の細長い集落を通るのでなく、すぐ山の上に出る道である。

山の上に出てすぐ烏里氏が車を止めるよう指示。 見ると素晴らしい花である。 キンポウゲではニュージーランド、ヨーロッパに美しい種類があるが、それらに劣らない美しさであろう。

まわりの山々は、日本アルプスと同様、目立つような氷河はなく、カールがある。標高は4500m前後で高木限界は4100m程度であろうか。   峠からの下りは順調であったが、あと1-2時間でシャングリラという場所でまた中国名物?に遭遇してしまった。 止められた時間は2時間以上。 ホテルについたのは夜10時。  

 次の日は皆疲れたし、運転手は前の日二日分働いたから休養すべきだというので、植物観察はなし。 千葉さんは烏里氏と一緒に市場に行った。僕は買い物に興味がないので、宿で勉強。 最近は数学・ 物理の復習をしている。当日の学習はガロアの理論。 昔と違い、学んだ事をすぐ忘れるので、何回 も同じ事を復習しないと前に進めず、60年以上前と比べて数倍の時間がかかる。 理数全体で大学2 年程度の水準は保持したいが、頭が悪くなっているので保持が難しい。

 最終日はシャングリラに接している4000m級の山にロープウェイで登った。 

 天気は相変わらず悪く、雨が降ってはいない、という程度である。  少し遊歩道を進むだけでサクラソウの花が4種類あった。

シャクナゲの花は3種類あったが、1つは散る間際だったので2種だけにする。

Cassiope イワヒゲの仲間があった。

  中国のロープウェイには何回か乗ったが、これほど性能が悪いのははじめてである。 乗るとき降りるときにあまり遅くならないので、乗り降りのときスリルがあり、特に降りるときは慣性のための転倒に用心が必要だ。  それに料金が馬鹿高い。 手軽に高山植物を見られるのが取り柄だがお勧めできないようだ。

時間が余ったので、シャングリラ近くの 湖をまわり、湖岸近くの花を見に回る事になった。  

Androsace ユリ Onosma である。 他にもIncarvillea(背が低く花の大きい種類)があり、また咲いていないがイワタバコの仲間の株が多数あった。 イワタバコ科というと熱帯・亜熱帯や暖地に多いという感じだが 高山にも少しはあるという事のようだ。 家のロックガーデンにはRamondaがあるが、寒さに強く暑さに弱い 高山植物である。   「目次(ピアノ、論文、雑文)」
 
「増山元三郎伝説集」
 
「ロックガーデンの四季」
「増山良夫伝説集」