ここで扱う水泳大会方法は酒井氏発案ではないと思われ、新唯物論の問題でなくマルクス唯物論とスターリン唯物論の違いが問題なのだが、生徒支持が左右される問題なので書く事にした。 最初に工夫したのが誰か未調査である。  

多数の学校では種目が全部教師決定で、出る種目だけが生徒選択である。
 「民主的」と自称する教師が多いと、種目は生徒討議にかけられる。 しかし 多くの場合は教師独裁の場合と大同小異の種目群となってしまう。 その理由は 学級委員や体育委員、水泳大会委員の多くが体育得意であり、彼らは水泳の苦手な生徒を代表していないからである。

 教師が委員会で次の視点を明らかにすべきだ。  「生徒にはいろいろな人がいます。 水泳の得意な人は大会で活躍するのが楽しいから水泳大会は水泳の得意な人が活躍するものでなければいけない。 でも水泳が苦手でほとんど泳げないという人もいます。 君たちはそういう生徒の代表でもある。そういう人も楽しい大会にしなければならない。 どうしたら良いでしょうか。」

 生徒の出す結論は競泳と泳ぎが下手でも参加できる競技の組み合わせになる。  最後の実践では、クラスから選出の選手による競泳と「水中バスケットボール」ともいうべき全員参加の競技の組み合わせとなった。 ゴールは大型バケツで一人の生徒がそれを持ち、水中を泳いでも歩いても良いという規則である。 バケツを動かして味方ボールを受け取って良いが、ゴール係が足を移動させると反則となる。

 視点を明らかにしなければ、形式だけ「民主的」でも実際にはそうならない。
 マルクス唯物論と静的なスターリン式唯物論との違いの例もう1つ…授業中騒動対策のときに学級委員や生活委員たちにただ討論させると、たいていは授業中騒動の主を弾圧し生徒分裂をもたらすような結論がでる。 彼らは「つまらない授業を静かに聞くのは苦しい」という多数の生徒を代表していないのが普通だから、静かにするのが苦しい生徒たちの事も考えろと担任が言って授業中騒ぐ生徒を討論に参加させるべきである。

酒井一幸氏の中学校行事改革
コース自由道草自由の遠足
林間学園・登山
文化祭
訓話や討論より先に生活を変える指導