第一章 「楽しいから勝手にまじめな努力をする」教育方法が学校教育で発見される
第1節 学校行事をこの教育方法に切り替えた最初の中学教師(1958)
中学一年春の遠足を考えます。3つの方法のどれを子供たちは希望すると思いますか?
1 全員1列という行列で低山を登るという遠足。
2 生徒5-7名を「班」とし、班ごとに自由な速度で低山1コースを歩くという遠足。
3 コース自由・道草自由で班ごとに低山を歩くという遠足。
具体的にはオリエンテーリング競技(ただしポイント発見得点だけで速度を競う事はない)か、または地
図にある山中のポイントを自由コースで回るウォークラリーとなります。
子供は大人より冒険が好きです。私が子供の頃には高い木に登ったり塀の上を歩く子供が多数い
ました。親や先生に「危ない」と叱られても子供は冒険がしたいのです。
生徒全員が3に投票すると言ってよい。低山でのコース自由・道草自由遠足つまりオリエンテーリング競
技やウォークラリー遠足は自由でスリルがあるから楽しい。
しかし「そういう遠足にしたらどうなるか」と教師代表が学級委員会で言えば、「迷子が出る危
険がある」ということになり、「あいつは危ない」「あいつはどこに行くかわからない」…という「問
題児」の名が次々に登場する話し合いとなるでしょう。
でも学級委員たちもコース自由・道草自由遠足をやりたいのですから、結局「迷子の危険を避け
る規則を決めれば良い」という事になります。そこで次のような規則を作ることにします。
「1.班が分解しない」
「2.班員の意見がまとまらない場合は、考えが深く親切な班長に従う」
「3.班長が道を間違えても班員は文句を言わない」
2.の規則は冬山登山やヒマラヤ登山での「メンバー全員の意見を出したあと、知識・経験に富む
リーダーの決定に従う」「それが最も安全」という規則に相当します。
他に「誰が捨てたかわからないゴミ」を拾う美化係、消毒薬をもつ保健係と水を持つ水係、時計
係といった班員の仕事分担や、山の中の自然トイレでの同性の見張り、という規則も決められます。
地図と方位磁石は班長に渡されます。
学級委員が「迷子がでないよう、この規則を守って面白い遠足をやろう」という提案をクラスで
すれば、たいてい満場一致となります。これで規則違反はゼロ。「問題児」も安全で面白い遠足を
やりたいから、規則を決めるのに本音で賛成するのです。
「土日の昼は寝ころんでテレビをみながらカップラーメンを食う」といった子供たちも、この遠
足をすれば「場合によっては規則があったほうが良い」と考えるようになります。つまり自然に少
しまじめになるのです。
また班長として「お人よし」「いじめられっ子」「変人とされている子」などが選ばれている例は
ごく普通ですが、この遠足をすればたいてい班長改選となり教師が理想とするメンバーと班長がほ
とんど一致するようになります。
班長の仕事が教師の手伝いだから、お人よしやいじめられっ子を班長に選ぶ事になるのであって、
班長にふさわしい仕事を与えれば理想に近い子供が班長に選ばれます。班長選挙にあたって「教師
の訓話」「建前論での討論」などをするよりずっと効果がはっきりしていますから、それらの指導
は不要となります。
ついでに書いておきますが、他の遠足方法ならこの方法より安全だ、とはいえません。例えば1
の行列遠足をすると、個々の教師や子供の体力に大差があるという理由で行列が切れてしまう事が
あり、切れたところよりあとの教師や子供が集団迷子になりやすい。私も遠足集団迷子事件を知っ
ていますが怪我人がなかったので教育委員会に報告しなかったと思われます。
この「コース自由・道草自由遠足」を考案したのは東京都保谷市(現在は西東京市)ひばりヶ丘中
学校の酒井一幸先生で1959年のことです。実際に行われたのは1960年。
ここでは話を簡単にするため完成された指導法を示しています。問題のある最初の氏実践の詳細な報告は章末
の注にあるWeb論文「酒井一幸氏の中学行事改革」をご覧ください。
では夏休みの林間学園での山登りについて酒井先生はどのような提案をしたと思いますか?
A. 教師と生徒が一列になって山を登る。
B. 全員同じコースを5-7名の班ごとに歩き、山を登る。
C.「鍛錬」「地形観察」「植物観察」「写真」「絵」「文学(詩や俳句)」など3以上のコースを設定し、
それぞれのコースの希望者が臨時班を作って山登りをする。
当然ながら「鍛錬」では1コース山登りの他校コースより1-2時間長く厳しいコースとなり、「絵」
では所要時間の大変短いコースとなります。「山と仲間」誌(1986.9-10)に連載された例では「鍛錬」
はバスもリフトも使わず蓼科牧場から蓼科山に登る事となっていました。他校ではバス・リフトを
使うのです。また「絵」では白駒池から高見石までの歩きであとはバスによる移動です。目的別臨
時班行動という形式になります。
そもそも1コースでは体力に優れた生徒には冒険にならず面白くないし、体力に劣る生徒には難
行苦行となってしまいます。 2コースにして体力差の問題を処理すれば「格差」がつくと生徒に
嫌われます。3コース以上なら、体力はコースを選ぶ条件の1つにすぎないから「格差」が生じま
せん。「全員同じ事をするという平等」でなく、「個性を認めて平等」という教育になります。
3は生徒が自分の個性に合うコースを選べますから、生徒の100%が3を支持すると言って良い。
3の方法では班長が「夏山リーダーとしての最低限の知識」を学習し、班員がその指示に従うの
でなければ安全とは言えません。また「鍛錬」では「高く厳しい山に挑戦しよう」という子供の冒
険心に依拠したコースとなり中学2年女子の限界に近い体力が要求されますから、女子の荷物を減
らし男子が持つようにしなければ安全ではありません。
班長は夏山リーダーの知識についての特別授業に出席しなければならず、班員は班長指示に絶対
に従う、女子の弁当や雨具を男子が持つという厳しい条件を明らかにしても生徒たちは3を支持し
ます。
前記実践では東久留米市教育委員会が心配したようで現場に職員が派遣された年がありましたが、生徒が班ご
とに整然と宿舎に帰ってくるのでその職員は驚いたそうです。山岳雑誌(「山と仲間」)の連載記事・写真はその時のもので左の写真がそれです。北八ヶ岳の三つ岳/第2鍛錬コースの途中です。
「大多数の教師は夏山リーダーとしての知識など皆無に近い」のですから、それだけでも3の方
法は1.や2.より安全だと考えられます。生徒のやる気が出にくい方法では規律違反が多数出て当た
り前ですから、ますます事故の可能性は大きくなります。
草津白根山の1コ−ス行列登山で重大事故発生の例があるという話を酒井氏から聞いています
が、事故報告書の確認はしませんでした。遠足の場合と同じく列が切れて集団迷子が発生し、一部
の教師と生徒が有毒ガス濃度の高いところに出てしまったそうです。1回だけ「実地踏査」と称す
る多分天気の良い日にそのコースを歩いた経験しかない先頭教師に頼り、あとの教師や生徒が地図
も方位磁石も持たず100人、200人一列で歩く。最近は山岳ツァーを催す会社があるようですが、
初心者100人、200人の行列という危険登山のガイドを請け負う会社はないでしょう。教育委員会
は教師対象の夏山登山講習会を行うか学校登山に計画段階から地元山岳会の協力を得るといった
対策をとって行事の安全性を高めるべきだろうと思います。
酒井氏の最初の実践および完成され定型的指導(プログラム)となった実践の詳細な報告、特別授業に使うプロ
グラム教材(教師発言が規定され誰でも同一指導)も前記Web論文に記載してあります。ただしそれは北八ヶ岳や
志賀高原用ですから、「谷ぞいの道」「霧だと道がわかりにくい箇所」など他種の危険のあるコースについての内
容はありません。地元山岳団体の有力メンバーに、その学校で登る山での危険について聞き、別の危険があると
きはその話を追加する事が必要になります。 伝統的行事に比べて教師の負担が大きいように見えますが、後記
のように効果絶大で、「説教」「説得」や造反生徒叱責が激減し、非行やいじめが自動的に減少する事を考えれば
負担は軽くなると考えられます。クルマ通勤で脚力の衰えた教師は「絵」コースを担当すれば難行苦行なしです。
酒井氏は自己紹介で「わたしは馬鹿田大学山岳部の出身です」と言っていましたが、早稲田大学
理工学部の出身でした。名の通った山岳部だろうと思います。
でも有力山岳部の出身ならこのような工夫ができるとは言えないでしょう。
酒井氏はワンダーフォーゲル部を指導していましたが、それ以外にも個人的に生徒希望者を夏山
や冬のスキーに連れてゆく教師でした。卒業生たちとも長いこと個人的につきあっていました。
つまり子供たちの気持ちや考え方に通じている事が山岳の面白さをよく知っている事と重なり、
「現在可能な方法で一番楽しい方法を生徒に知らせ、生徒はその方法の実現に必要な努力をする」
という方法の考案につながったのではないでしょうか。「子供の希望をできるだけ生かしたい」
「山登りの面白さを子供に教えたい」という人間的な考えから、それまでの「教師が生徒に押し付
ける面白くない行事」を否定したのです。
氏の綽名は「オッチャン」と「仙人」で、前者は生徒に親しまれる事から、後者は山での歩行ス
ピードが生徒から見て驚異的である事と写真のような風貌から名づけられたと思われます。
氏は常識に反していても合理的と考えられる事は実行するという人物でした。典型的な例では
「ナンキンマメ(と緑茶)だけで生きられるか」という実験があります。
夏休みに一人で南アルプス悪沢岳(3141m)に登るのですが、登山道をゆくのでなく谷を遡るとい
う計画です。ワルサワダケという名は、沢が悪い、つまり谷が急峻で水中歩きだけでなく連続する
滝相手の岩登りや藪との格闘に苦しめられる、その谷の奥の山という意味でしょう。
テント・寝袋や食事用意のためのコンロ・灯油が必要で、一般的な登山より荷は遥かに重く、重
いとそれだけ滑落しやすく危険になります。
そこで酒井氏は考えます。食料だけでも何とか軽くしたい。食品の栄養分析表を見るとナンキン
マメは完全栄養食に近く、塩つきで炒ってある市販品なら料理の必要もない。
ナンキンマメ(と緑茶)だけで人間は生きられるはずだから、食料はそれだけ持ってゆく事にしよう
…でも何だか心配だから、東京で一週間ナンキンマメだけ食べて過ごす実験をしてみたといいます。
「それで死ななかった」から、南アルプスで実行してきたそうです。氏は当然ながら冬山リーダー
や多雪地域スキー旅行リーダーの務まる実力者でもありました。氏の数学的能力を生かした教育現
場研究については二章で扱います。
では文化祭について職員会議で酒井氏はどのような提案をしたのでしょうか。
1. 文化部発表と夏休み宿題作品、技術家庭科での生徒作品などを展示する「学習発表会」
2. クラスでテーマを決めて、展示や実演を行う「クラス参加式文化祭」
3. 自由グループが参加して展示や実演を行う「グループ参加式文化祭」
答えは明らかですね。
大学の文化祭はみな3の形式ですが、それを公立中学で採用するのです。もちろん生徒支持は圧
倒的に3です。林間学園・移動教室での山歩きと同じく生徒一人一人の個性と興味が生かされ「個
性を認めて平等」の教育となっています。
この方法の問題は「お化け屋敷」「金魚掬い」「売店」「凄まじい音量のストレス発散音楽」など
の企画が生徒から出たらどうすべきかという事です。
酒井氏は生徒代表と話し合うとき、「公立学校だから遊びに税金を使う事はできない」「だから
何か勉強になるものだけが許可になる」という条件をつけています。ただし勉強の意味は広く解釈
する…売店はだめだが、菓子作りの実演のあと出来た菓子を見学者と食べるのなら家庭科の勉強だ
から許可になる。 金魚掬いだけでは遊びだから許可できないが、「釣りの科学」の中に金魚掬い
があるのならば理科の勉強だから許可となる。お化け屋敷は他人の真似でなく親や先生も面白いと
思うレベルなら許可する…という事も知らせます。
生徒全員がどれかのグループに参加すると生徒会代表が請合う事になります。
遠足や登山と同じく「現在実現可能な範囲で一番楽しい行事の形を示し、生徒がどれだけ努力す
ればそれが実現可能か」を明らかにすれば生徒たちは皆まじめに努力します。アマチュア無線実演
の準備に夜9時まで頑張るといって教師を困らせるグループもあれば、体操部やバレー部の模範演
技もあり、サッカー部が1年から3年まで合同で演劇をやった例もあります。廊下を多数のサンド
ウィッチマンが練り歩く事になります。子供たちの個性的活躍があり、見る人々にとっても他の形
式より断然面白い。
「問題児」集団の「凄まじい音量のストレス発散音楽」の発表を禁止すべきだという教師は多数
います。それに対し酒井氏は次のように主張しました。
「彼らの生活で100%うしろ向きではない事といったら楽器の練習だけではないか。彼らの立って
いる位置を無視して教師の価値観を押し付けるのは教育的でない。中学生らしい服装と他企画妨害
にならないような音量制限という条件をつけて許可すべきだ。」
問題児の立っている位置から出発するという考え方はカウンセラーの指導と似ていますが、カウ
ンセラー指導よりはるかに有効な問題児指導法が酒井氏発言の延長上に発見されます。二章で記し
ますが、その指導法は誰の工夫でもなく、生徒達が教師の指導も助言もなく勝手に行った問題児指
導を定式化したものです。
他の中学行事改革としては運動会や水泳大会の改革がありますが、それらの発案者は酒井氏では
ないと思われ、誰が最初に考案実行したかわからないのですが、
「現在実現可能な方法で最も楽しい方法を示す」「その実現のために生徒がどれだけ努力すれば良い
のか示す」「個性を認めて平等」という方法論に従えば結論は明瞭と思われます。
愛します。「個性を認めて平等」という教育思想は当時でも西欧では心理学者の間で有力でしたが、
酒井氏の改革に対する直接的影響はないようです。
オリエンテーリングやウォークラリーは地図にある程度強い・・・カーナビなしでクルマを運転
できるレベルの教師がいれば、チェックポイント選定や旗つけ(オリエンテーリングの場合)が可能
で実際に行われています。 その時のオリエンテーリング地図は生徒、素人用でオリエンテーリン
グ競技者用ではないからと、読図が比較的容易なものが使用されました。埼玉県武蔵嵐山付近です。
道の表記が道幅の違いで3種にわけて表記されています。
酒井氏が学年教師会に提出した行事計画プリントで、このとおり実行されたそうです。
1年春の遠足が1コース班行動ですが、公立中学最初の班行動低山歩きなので酒井氏自身も不安があり、
道を間違いそうな場所には間違い道に警告をつけたそうです。2年の1春季遠足に班でコースという語句がありコース自由道草自由遠足となりました。以後の実践では1年春からコース自由道草自由遠足が行われています。2林間学園にある「クラブ」は目的別臨時班行動をさしています。3年秋の「教師はお客」は生徒計画
の遠足だそうです。

第二節「楽しいから勝手にまじめな努力をする」教育方法を学校教育全体に採用した教師たち
第三節 先進的教師たちの部活動
第四節 有志生徒運動の例と発生・成功の条件
第二章 第一節 この方法による個人の指導
第一節 部活動と勉強
第二節 エスカレーターコ−ス信仰は事実と合うか
第三節 楽しいから勉強するようになるという指導はどこまで可能か
第四節 勉強・努力の方法を考える
酒井一幸氏の中学行事改革