暴力阻止の有志生徒運動が成立する条件としては、生徒運動が成功する力関係つまり「有志生徒運 動参加者の友達グループのほうが、いじめっ子集団やタバコ・暴力集団よりはるかに人数が多い」事 が絶対条件です。暴力を恐れる必要がないから運動が可能となり、しばしば運動が自然発生するので す。 まず富士山タイプ(一人のリーダーが頂点)の例から。

 「K君は学級委員であり,学級で1番良い生徒ですが,一番悪い生徒でもありました。要するに良 い事も悪い事も先頭になってやるのです。
 例えば,小学校時代いじめられつづけていたAさんを守り,他クラスからいじめにくるのをやめさ せるといった良い事の先頭に立つのはK君ですが,クラスでガラスが割れた事件があればその主犯も K君です。雨の日に教室でバレ−ボ−ルをして遊ぼうといいだしたのはK君ですから主犯そのもので あり,学級委員が正座。
 正座回数は学級委員が一番多く,次が生活委員。 座席を決めるとき,生徒希望の完全自由座席は 授業中うるさくなるからダメと担任がいったら
「うるさくならない方法があります。」「うるさい4人 を選挙で選び,前に並べてあとは自由にすれば良いと思います」 そこで担任も「よし。やってみろ」。  ところがいざ開票がはじまったら開票する学級委員君が「K。チキショウ。またか・・・」とうとう 学級委員のK君がめでたく当選。 前に並ばされてしまいました・・・。
   ある日珍しく朝早く教室に出てみたら勉強の苦手な某君を5−6人がかこんで何か教えています。  実は1ヶ月も前からK君が中心となって某君を教える会をつくり、朝15分早く登校しよってたかっ て教えていたのでした。
 3学期のテストの後にクラス対抗球技大会があります。 卓球,バレ−,バスケットだったと思い ますが,全員がどれかに出るのです。試験2日前まで練習をしているのはわがクラスだけ。前の日だ けは練習禁止(職員会議決定)にしましたが,その日の午後20数名が生活指導主任に近所の広場で 「逮捕」。練習をしていたのです。 つかまらなかった連中は卓球組で別のところで全員集合し練習し ていたのだそうです。 やはり主犯はK君で彼の指令で全生徒が練習に参加していたのでした。それ でもクラス成績は1位。 
 K君は皆に勉強もちゃんとやれと指令したらしい。 K君自身は成績中位でしたが,勉強不足と授 業中騒動のためらしく,高校では真面目にやって立命館大学(東京の早慶位の難しさ)に合格したそ うです。

 大多数の中学1年生はK君についてのこの文章を読ませると、理想的な学級委員だと評価します。 雨の日は運動場で遊べないので室内で遊びたいというのが大多数の子供たちです。そこで学級委員 のK君が悪役を買って出て仲間の夢を実現し、代表として罰を受けるのですからK君は皆のために罪 をかぶった英雄という事になる。トランプ遊びなど雨の日の遊びを保証する指導をしていなかった 初期の例ですが、この指導法で生ずる生徒集団の特色がわかるので採例としました。
 K君は「小グループ利害の調停者」でもある。授業中騒動を制限するという前記の例では教師が 優等生と騒ぐ生徒の間の調停者ですが、友達グループ間の利害の調停は生徒でもできます。全部の 友達グループから学級委員のK君は自分勝手なところがない公平な調停者だと認定され、最高指導者 として推戴されるようになったと思われます。
 そのようなK君が指令すれば、他クラスから出張してくるいじめっ子達から仲間を守る行動から、 テスト前日の球技練習まで、全員が従う事になります。

   このような場合に説教は原理的に無意味で生徒の反発を喰らうだけですから問答なしの5分以下
正座など痛くも痒くもないという形式的体罰を採用する事になっていました。 その形式的体罰は伝統的生活指導・伝統的道徳教育に熱心すぎる教師たちを納得させるための必要悪 だという事を大多数生徒が理解する事になります。


 八ヶ岳型(頂上が複数)の例を示します。
 「また例によって,1番良い生徒は1番悪い生徒,2番目に良い生徒は2番目に悪い生徒,3番目 に良い生徒は3番目に悪い生徒というクラスです。男子で成績1−3位もこの3人で,張り合って勉 強し,張り合って授業中騒ぎ,張り合ってイタズラの先頭に立ち,仲間を守る集団登下校・集団トイ レ*も先頭・・・その3人が学級委員,生活委員,体育委員!!! 
  小さいD君が他クラス問題児にスポ−ツ店から「〇〇〇を万引してこい」と脅かされた事件で遊び仲間を守るための集団登下校・集団トイレが実行されました。
 また授業中騒いだというので呼び出すと自分たちのほうから正座して,ボクは真面目でしたがこの 二人が騒いだのです・・・・三人とも同じ事をいいます。 反省文を書かせると,ぼくは真面目でし たが学級委員がなっとらん・・・・生活委員が先頭に騒いでいる・・・体育委員がまじめそうな顔で 実は一番悪いのです・・・。
 まず学級委員のH君は,練習の厳しい男子バレ−部(テスト1週間前・テスト期間は大抵休みだが その他は正月3ケ日とおおみそかだけ,地区優勝は当り前で全国優勝1回)で夜はスイミングクラブ, 水泳大得意というモ−レツ生徒。
 同君発案のイタズラで有名なの飯盒炊餐のとき,男子が一人を除いて全員いなくなった事件。 少 し遠くにいって泳いでいたのです。みな水泳パンツを用意してきていて,ハダカ族出現というところ。 残っていた一人は泳げないのでありました・・・・。
 体育委員のS君もモ−レツ・バレ−部。 S君発案のイタズラの傑作は,目覚まし時計事件。 い つも延長戦をやる某先生,チャイムが鳴り終っておもむろに教科書をとりあげて授業を再開したとた ん,放送用スピ−カ−の上の目覚まし時計がチリチリチリ!!!。皆笑ってしまい先生も笑って授業 はチョン。
しかし最大の豪傑は生活委員だったM君でしょう。もちろんモ−レツ・バレ−部員。 2年のとき 学級委員になりましたが,新任のS先生がきびしい指導方針をクラスで発表したとき,「先生!! そ れでは生徒がついてきません!!」
あまりにきびしい約束は生徒が守れないというのです。 それで先生がどの位ならいいのかと尋ね たら,堂々と自分の意見をいったらしい。
 若い先生ですから,M君の言いぶんを認めたそうですが,そうしたら大変張り切り,番長候補とい われた某君とつきあう運動(家にまでいって一緒に遊ぶ)を仲間6人(もと同じクラス)と勝手(教 師の指令命令なし)にはじめ,グル−プから引き抜き,2年の終りには某君は良いほうで活躍するよ うになりました。
 M君はそれからイタズラ・授業中騒動をやめ,生徒会長になりました。 

   子供たちの夢を実現しようと活躍するリーダーが3人いる例です。3人ともK君と同様トムソーヤー であり佐倉惣五郎でもありますから、人気を三分する事になりますが、当然三人は仲良しです。
 1年3月現在では学年の番長候補が3人考えられていたのですが、そのうち体格の良い二人が2年 になってそれぞれのクラスを暴力支配するのを防ぐために、このクラスから7名づつ男子が送りこま れました。対暴力訓練(1年のときの集団登下校・集団トイレ)ができているから、番町候補のクラス暴 力支配が不可能という理由です。もう片方の候補も3年になって非行をやめます。残りの候補が番長 になりました。

   なお新任の先生の発表した指導方針は、教職員組合の一部で流行した「教師が学級委員を指導し、学級委員が班長の先頭になり、班長が班員の先頭に」という方針だったと思われます。
 酒井氏発案の行事では、全生徒の本音・意向が一致していますから、学級委員・班長が先頭になるという方法は生徒の力を結集するのに大変有効だと考えられます。  しかし授業中騒動のように生徒たちの間で本音が一致していない問題で学級委員や班長が先頭になろうとすれば,討論では「建前論」がカラマワリして本音は別という事になってしまいやすく、「団結」は教師の頭の中に存在するだけで実際には生徒間対立が進行する事になるでしょう。リーダーA子はその指導を「偽善」と評していました。

 班を作るという考えは酒井氏より前に出ていますが、この「教師が学級委員・班長を指導し、班長が班員を指導すべきだ」という思想にもとづくものでした。徳目にそった「班競争」が行われ、一時は競争での成績が悪い「ボロ班批判」まで行われ、ソ連独裁者スターリンの「社会主義的競争」「人民裁判」に似ていると批判されました。  批判された人々の主張から、酒井氏は2つの点を取り入れています。1つは「小集団を基礎として生徒の力を結集する」という方法、もう1つは「集団を対象とした教育」という方法です。氏個人の思想全体は当時の西欧リベラル派心理学者の考えに近いと思いますがこの2つはその中にないと思われますから、そう判断すべきでしょう。
 一方その人々は「班競争」「ボロ班批判」などの方法を放棄したあと、酒井氏行事から「班行動行事」という形式を取り入れるが、生徒活動は教師の全面的管理下に置くという教育方法を考案採用する事になったと思われます。
 放棄のはっきりした理由も酒井氏実践報告も機関誌「生活指導」にはないのですが、
@実際に放棄されている
A酒井氏実践はすぐその人々にN氏から詳しく報告されている、B「班競争」「ボロ班批判」放棄と酒井氏実践のあと、班行動行事を推進するようになった、という3つの事実から以上のように判断すべきだと思われます。
 生徒活動全部を教師管理下に置くという考え方は「ソ連教育学」に由来するものでしょう…私から見るとロシア革命期左派の理想論であり、高度に発達した資本主義国日本でその理想論がどのような意味を持つかの検討不十分、理想実現の具体的方法は貧しく、理想実現の検証方法ゼロ、「教育思想」史に位置づけられるべきものですが…。
 スターリン独裁のソ連社会と「集団主義」指導で成立する生徒集団の類似は多数の人が指摘していますが、この方法は「革命政党の独裁でなく革命政権から独立した無党派統一運動に政権が頼る」社会に似ていると思われます。革命政権のもとでもさまざまな個人環境からさまざまな考え方が出現するはずですが、子供の場合も同様で意見の異なるグループがあって当たり前です。リーダーは、その利害調整をした上で生徒全体の意向ということで教師と交渉をする事になります。
 では「集団主義」が全くの間違いかというとそうではないと私は考えています。横暴な餓鬼大将支配・・・革命前の特権階級支配に似る・・・と闘うには有効だったという多数の教師報告があります。
 特権階級支配を終わらせるという大多数民衆の意向のもとでは、民衆の間の意見の相違がたいした問題でないからリーダーが先頭になり民衆を支配するという独裁政治となるのが普通という現象と同様ではないでしょうか。 イギリスやフランスの革命では革命後の安定政権は独裁(クロンウェル、ナポレオン)であり、ロシア革命のレーニン独裁、トルコ革命のケマル独裁・・・日本の明治維新でも大久保利通の実質的な独裁となっています。

 女子の例を示します。
 「前回は昔の腕白坊主チャンピオンK君でしたが,今回は現在大泉高校3年生のまじめな富野由紀 子さんです。 悪い事がないから実名でよいでしょう。
 富野さんは1年のとき,成績がわりと良いというだけで他は目立たない生徒でした。 小学校3年 から毎日のようにいじめられていたYさんを「守る会」にも協力はしましたがメンバ−ではありませ んでした。 ですから,富野さんの活躍は2年になってからですが、富野さんと一緒に先頭になって 良い事をした東條、植田、斎藤の合計4人は1年で同じクラスにいた生徒なので,列伝に入れても良 いでしょう。

 クラスにはタバコを吸う体格・体力抜群のAさんとそれにひきずられて授業サボリをした事のある Bさんがいました。その中学では家庭環境に問題のある生徒がS中の何倍もいます。学級委員になっ た富野さん,生活委員の東条さんら4人は2人とつきあう事にし,道徳や学活のときのトランプは一 緒にやる事にしました。
 7月にはAさんBさんが4人と遊んでいても,誰も不思議と思わないようになっていました。また 2学期になると富野、東條の二人の指揮で先生が見ていなくても体育実技課題をキチンとやれるよう になっていました。
 生活指導主任が「忠生中なみ」という大荒れの学校でそうなったのです。
   忠生中は当時大荒れで多数の新聞や週刊誌に校内暴力事件が報道された学校です。
 担任が4人に尋ねました。2人は悪いグル−プから抜けて良い生徒とつきあうようになるだろう か・・・富野さんは答えました。Bさんは大丈夫だと思いますがAさんは無理です」。 Aさんはも う一人の体格抜群さんと1年のとき同級仲良しでタバコ常習であり,一緒に他校女生徒タバコグル− プとけんかもしているから,無理だというのです。
 それからBさんの家にもゆくし,Bさんを家に呼ぶつきあいとなり,秋にはBさんが真面目になっ てタバコグループとつきあわなくなりました。
 冬になり他クラスのもう一人の体格抜群さんはどんどん悪くなり,家出して生活費かせぎに恐喝約 40件。かつての仲間Bさんも金を要求されました。富野さん達は男子の正義派リ−ダ−黒川君らと 協力し40日の間,5グル−プ交替の集団登下校でBさんを守りました。他クラス他学年の被害者は 親が送り迎え。40日目に守る必要がなくなりました。
 Aさんはタバコをやめませんでしたが、恐喝に参加せず,校外ではケンカしているのに校内では暴 力をふるいません。良い生徒とも付き合いがあるから,仲間を襲わないのです。 富野さんは塾にい っていなかったが成績はどんどん上がってトップクラスになり,ゆうゆう大泉高校(コンピュ−タ− による合格確率99%以上)に合格しました。 

   やはり友達グループ全部が二人の指揮下にありますから、暴力生徒を恐れる必要がないのです。い ざという場合は1年のときの仲間(次の例)も頼みとなるでしょう。女子のほうが男子より大人ですか ら、女子リーダーは男子リーダーのようにイタズラや授業中騒動の先頭に立つ事はありませんが、や はり友達グループ間の公平な調停者であり要求・要望実現の先頭に立っているから支持絶大なのだと 考えられます。
 もう一例を示します。まだ富士山や八ヶ岳になっていない段階、自主管理集団形成期の例になります。

「 前回登場の富野さん・東条さん・斎藤さん・植田さんの4人と同級の生徒で現在高校3年の関口 さんと出牛さんです。 2人は中1のときは陸上部でした。1年はじめの勉強成績は全体として普通 でしたが,運動・体育が得意です。
 クラスには小学校3年の時からいじめられつづけているBさんがいました。
   男子の大部分と一部の女子はBさんがくると「バイキンが来た!!」とよけますし,男子の一部は ときどきBさんの机を蹴りたおし,「気持悪い,お前なんかいなくなれ!! どこかにいっちゃ え!!」
 いままで先生に言っても効果がなかったせいでしょう。 先生にもいわず一人で泣くだけです。す べてに動きが遅く皆と同じ行動ができないため,気持わるがられるのです。 
 学級委員,生活委員になった仲良し2人が中心になり親切な男子の高木君,安田君も入れて6月に 6人の「守る会」ができました。 いじめをなくす運動がはじまったのです。 会の活動は教師に見 えず,教師命令でない活動に報告などありませんから,いついじめがなくなったか,はっきりした事 はわかりません。
 しかしBさんが,1月ほどたってから「先生。みなはいじめませんが,授業クラブの時先輩がいじ めます」。ですから関口さん達の運動がクラスを制圧した事は確かです。 Bさんが「いじめがなくな る事がある」経験をしたから訴える気になったに違いありません。 
 球技大会のバレ−ボ−ルで,Bさんが3試合合計4点のサ−ビスエ−ス。女子全員がそのたびに拍 手。 成績最低なだけでなく運動能力も低いBさんにとってボ−ルを相手の陣に入れるだけでも難し い事で得点するためには,物凄い練習と指導が必要だった筈です。 その指導は運動得意の2人がし たとしか考えられません。 男子でも特別不器用なC君をやはり運動得意の安田君,高木君らが特別 指導した事がわかったので,推定は確かでしょう。
 Bさんは何でも一生懸命やるようになり掃除は最後の始末を進んでしますし,+−計算や分数、一 次方程式解法も完全に覚えました。しかし悲しい事に計算時間が普通の生徒の5倍−10倍かかり, 計算間違いも大変多い。 これは医学の問題で生徒の努力・協力ではどうしようもない事です。 2 年のときもBさんは関口・出牛組に守られ,援けられ,クラス1真面目な生徒になり3年途中で転校 しました。2人は成績も良くなり,部活動にもがんばって地区大会で入賞しました。

 運動がはじまった段階での力関係は、女子の2/3が関口・出牛の友達グループであり、しかも中心 にいる二人はいじめない…男子の半数が高木、安田が中心の友達グループでやはり二人はいじめない …という状態。
 だから関口、出牛が動けば、運動の成功は確実でした。 そして成功確実な事が関口、出牛にわか っていたから運動が行われたと思われます。教師の管理下にない運動ですから数学指導が誰だかわか りません。結果は教えるほうも教えられるほうも常識の範囲にはおさまらない努力があった事を示し ているでしょう。

 実力で校内暴力を制圧した対決事件も1つ示します。
 以下は1年生T君の作文です。
「…悪い事ばかりしていた僕たちですが、正義感がなかったわけではありません。とくに良い行いと しては『御礼参り』を退散させた事件がありました。
 10月にトイレで2年生3人がタバコを吸っているのをS君が見つけて先生に伝えましたが、塾で 「チクリは1年のSらしい」と彼等が話しているのをクラス生徒が耳にしました。」
 T君O君Sa君ヤジ将軍3人(つまり授業中騒動の主犯クラス)と後期学級委員の三好君を中心に大 多数の男子が参加して「S君護衛隊」がつくられ,登下校からトイレまで同行したそうです。 1月 になってクラスに2年生3人がきて「Sを出せ」。
 T君は書いています。 『…怖かったが、がんばって守った。悪い先輩たちとにらみあっていた時 間は5分ぐらいだったらしいが,僕たちには10分か15分くらいに長く感じられた。 先輩たちが 退散したときはホッとしたような気持でいっぱいだった。』」
 「悪い先輩」3人がクラスにはいってきた時はS君をベランダに逃がし、教室の窓側に男子集団が 人間の壁を作って睨み合いになったそうです。 
 女子も警戒していて、職員室に情報を伝えたのは女子だそうです。「悪い先輩」が退散してから先生 たちが駆けつけたのだそうです。
 毎日一緒に遊んでいる友達を見捨てるわけにはいかないでしょう。大多数の生徒が友達になり遊ん でいる事が正義の行動を可能にしたと考えられます。正義について説教したり正義についての討論を しただけで上級生の暴力と闘うのは無理ではないでしょうか。中学2年生の男子体力は1年生と比べ たとき平均で4割上なのです。

 トムソーヤー型のリーダーは悪い事も少しはするのですが、そのために「問題児」が救われている 場合が少なくないと思われます。家庭での暴力やいじめに苦しむ子供が学校でストレス発散のための 悪事を働く事がありますが、リーダーの傘下に入り一緒に少し悪い事をするとある程度ストレス発散 になり、その子供が大した問題を起こさなくなるという心理効果は無視できないと思われます。
 日本では教育関係者の多くがマークトウェーン以前の子供観を持っているのではないでしょうか。
「トムソーヤーの冒険」が発表されたとき、イタズラボウズを主人公にして肯定的に描くのは怪しか らんという人々が多数いて、著者は非難の嵐にさらされたそうですが…。
 「オマエラ子供はトムソーヤーでなく二宮金次郎であるべし」という説教は基本的におかしい。子 供の大多数は二宮金次郎よりトムソーヤーに近いのだし、中には親からいじめられている不幸な子供 もいるのですから、それを前提とした指導をすべきだと私は思います。

 有志生徒運動の成功条件は、
1. 運動をはじめる友達グループがいじめっ子集団やタバコ・暴力集団よりずっと大きいから、問題 児集団を実力制圧できる事が自明であり、暴力を恐れる必要がない。
2. 大多数生徒が「基本的には真面目」で、反教師的・反社会的な要素をもたないから、運動が大多 数生徒に支持される。
3. 酒井式の行事指導や第2章のような個人指導をされ、自分に自信を持つ生徒の割合が高い。
4. 酒井式の行事指導や第2章のような個人指導をされ、教師の指導なしで勝手に努力する習慣が身 についている。
だと思われます。

 これに対し普及している諸指導では、
1. 生徒の遊びグループが小さく、一人でもグループに数える方法でクラスあたり10かそれ以上が ごく普通なので、暴力集団の実力制圧不可能な事が自明。
2. 授業中騒動弾圧をはじめ教師が生徒を叱る場面が多いため、生徒に親教師派と反教師派が存在し、 大多数生徒はその中間となっている。
  「大荒れ」の場合はタバコ・暴力生徒が「高校受験を控えた自分には言えない事を教師に言ってくれる」という理由でロビンフッドにも似た人気を得ている事が普通です。
3. 自分に自信がなくすべての事に消極的で、何事もいい加減にしかやらないという習慣のついた生 徒が大多数。
4. 大人から指令・命令されて行動する習慣が身についている。
 ですから、有志生徒運動が生じないと私は考えています。

 生徒会役員選挙の際は、「優れた生徒を選ぶ」という指導でなく「生徒にはいろいろな考えの生徒がいるから,代表が真面目人間・優等生ばかりでは困る」という指導が行われる事になります。会長候補のK君が立候補演説で「生徒の意見を代表して職員会議と交渉する」「闘う生徒会にする」と発言した事がありましたが、そのような生徒が会長になるのが望ましい事になります。生徒の潜在的要求を引き出すために選択肢を作るのですが、教師が作る以上生徒の目から見て最も楽しいものになっているかどうか怪しいから生徒代表による厳しい検討が必要です。そのK君会長時代に次のような事件がありました。
 近隣の中学から10数名のタバコ集団が校門前に来て「番長を出せ」…K君は100数十人を動員してタバコ集団を威圧した上、「俺たちの学校には番長などいないから帰れ」と申し渡したそうです。

 実力行動に全員がホンネで参加する事が確実でなければ、校内暴力阻止やいじめ阻止の決議はしないほうが良いと思います。暴力阻止行動に参加しない自由を認める。「今回は参加しなかったが、次回は参加しよう」と不参加者の多くが思うようになれば良いのではないでしょうか。
 またリーダー会議としては、多くの場合、友達グループ代表の会議が採用されました。「班長会」は先進分子の活動家会議とされていますからロシア革命のソヴェト会議をモデルとして考案されたと考えられます。ソヴェト会議はロシア革命を遂行するための活動家会議でしたが旧特権階級との闘いが終わり革命政権が安定し、日本の革命(明治維新)の場合と同じく多くの革命家が官僚になるとソヴェト会議は権力者・官僚の手伝いをする会に変質したと想像されます。「班長会」は、昔多かった暴力的餓鬼大将とかタバコ暴力生徒集団の暴力支配をなくすミニ革命?の際にはそれを遂行する先進分子の会として有用と思われますが、暴力支配がなければ教師の手伝いをする会に変質しやすいのではないでしょうか。当時は毎日のように生徒を張り飛ばす教師や生徒に1時間以上の正座をさせ何回も嘲笑するといった教師がいましたが、それら極右としか考えられないような教師も左派からはじまった「班」「班長会」を利用した指導をするのが普通でした。
 左右の伝統的指導から見れば、「子供グループ利益代表の公認とかその代表の会議」などとんでもないという事になりますが、大人の世界に存在する「政党」は「利益代表」と無関係なのでしょうか。 民主制議会は「利益代表」の会議と無関係なのでしょうか。 
 井原西鶴式に言えば、「子供も大人と同じく慾に手足の生えたもの」である・・・正確には「幼児期をすぎれば、次第にこのような存在になって行く」から「利益」を観念の上で否定無視し て教師の考えを押し付ける教育方法には原理的な無理があると考えられます。
 「子供の環境がさまざまである以上、子供のホンネ、子供の考える利益は教師のそれと一致しない場合があって当然」「子供同士で一致しない事も普通」という前提から出発すれば、教師は授業中騒動調停の場合と同じく「遅れた子供グループを説得する」のでなく「子供グループの利益がぶつかるとき調停をする」事になります。「説得」は「説得内容にホンネでは反対という生徒達が出現して生徒集団が分裂する」可能性のある危険指導ですから極力避ける事とし、教師個人の意見は立場を示す程度に抑えるのです。
一般社会の通念、教師の立場から見れば「自分勝手」な主張があっても、妥協したほうが大多数の子供にとってたいていは楽しくなるという現実がありますから、「自分勝手」な主張は次第に姿を消し、グループの話し合い、妥協が当たり前となります。
 6−7月になれば、教師のいないグループ代表者会議が自然成立し、生徒の間から調停者が出現するのが普通のようです。そしてその調停者はやがて生徒全体の最高指導者に推戴され、その意向により生徒の勝手な運動(校内暴力阻止などの結果が出るまで教師の知らない運動)が発生する事となります。校内暴力と対決する運動が発生する一方「○○チームを応援する会」のようにナンセンス?な運動も発生し、文学的に表現すれば「多様な生徒活動で学級(学年)が沸き立つ」ような雰囲気となります。
 友達グループ代表会議・・・初期には「担任が有力生徒を指名する」という方法でしたが、生徒遊びグループ毎に代表を出させる方法に変えられます。「班長会」や「学級委員・生活委員・学級議長の会」だと、代表がそれらの中にいないグループ生徒が「差別・えこひいき」と考える例が出てきた・・・「民主的に代表を選んだ」はずですが、実際には「班長や委員・議長になりたくない」生徒たちが「委員・議長や班長を自分達の代表と考えていないから形式的代表を選んだ」事を示す・・・のでリーダー会議として採用されました。

 この方法では「クラス目標」「学年目標」などを原則として定めません。「目標」は教師や優等生が考えておけば良く自分達に関係なしという子供が発生しやすく、そのような子供が多数派になっているクラスや学年のほうが普通でしょう。
   政治的に?目標を強制されたら、目標は極力抽象的で無意味なものにする。
 子供が目標を実現したくなるような環境を与えれば、目標はいつのまにか実現されますから、その現実を子供達が合理化し考えがも変わる。

   子供1人1人を見れば「教師から見て低レベルにとどまる自由」が存在し、微視的には子供が自由無方向に動くのですが、巨視的・統計的には子供の集団が一定方向に動くのです。
 子供個々の側から見た場合は無原則放任に近い主観的自由が存在する一方、子供全体としての厳しい規律・目標・・・それまでの道徳・生活指導のベテラン教師も実現できなかった厳しい結果の実現となるのです。


  第一章「楽しいから勝手にまじめな努力をする」教育方法が学校教育で発見される
        第一節「学校教育をこの方法に切り替えた最初の中学教師」
 
第二節「楽しいから勝手にまじめな努力をする」教育方法を学校教育全体に採用した教師たち 
第三節 先進的教師たちの部活動 
第四節 有志生徒運動の例と発生・成功の条件 
第二章 この方法による個人の指導  第一節 部活動と勉強 
第二節 エスカレーターコ−ス信仰は事実と合うか  
第三節 楽しいから勉強するようになるという指導はどこまで可能か 
第四節 勉強・努力の方法を考える 
酒井一幸氏の中学行事改革