学校生活で重要な部分を占める「部活動」でも、先進的教師たちは
「3年も2年1年も、上手な者も下手な者も部活動が楽しいから一生懸命やり実力向上」
「努力する自分を合理化するから、子供たちの考え方が変わる」
という指導をしています。まず生徒に説教をして考え方を変えてからという指導ではない。

 「富山南ロータリー」という地方出版物1982年12月10日号に増山三雄氏の「サッカーを通じて」 という一文があり、今村氏の指導方法がよくわかるので引用します。
 文を書いたときの増山三雄氏は富山県富山市の中企業である「米三」社長ですが、かつては文京区 立三中での今村氏の教え子であり、小石川高・教育大ではサッカー部に所属していました。今村氏に ボランティアのサッカー部コーチを頼まれたときの思い出です。
「…増山君、石神井中学でサッカー部を作りたいのだが手伝ってくれないか、の一言。…」

「聞いてみると、メンバーはいわゆる落ちこぼれ組、教室にも運動部にもはまりきらない生徒達でし た。酒、たばこ、女、暴力などで、学校では校庭の片隅にたむろする子供たちでありました。」
「…最初、今村先生よりその子供たちに紹介を受けたとき、子供たちが半身でこちらを向き、体は反 抗的で、目だけが人なつっこそうだったのが印象的でした。」

 「以来毎日、子供たちの授業が終わるのを準備万端ととのえてグランドで待ちました。ラインを引 き、ネットをはり、ボールに空気をつめ、今村先生が監視役で帰りそうになる子供たちを一人も逃が さずに全員練習スタート。 練習内容は、どの子も機会均等で
 「全力で走ること。」
「全力で蹴る事。」
「全力で相手にぶつかる事。」
「大声を出す事。」
でした。戦術としては全員攻撃、全員守備でした。 キックアンドラッシュの典型です。」
 「さて、この子供たちに一人一人の限界に挑む練習をさせますと、今までのヤッケル立場からヤッ ケラレル立場になり、怒りが表情にまで表れ、なかなかの迫力でした。たたくほど目を見開いてむか ってくるすばらしさです。」

「かなり緊迫感の高まったところで、すぐ対抗試合、今度は自由に思うままやらせました。最初の試 合は惨憺たるもの、ボールのあるところに石神井チームが密集して、うまく相手にパスでかわされ惨 敗、それでも蹴り返したボールに石神井集団がなだれ込み一点をあげる事ができました。」
「それからは点はとられるが点もとれるチームとして成長して行きました。 今村先生と『当たれ』 『突っこめ』『戻れ』と叫び続ける試合を重ねるうちに、一人一人の個性がすこしずつ発揮されるよ うになってきました。人混みの中で誰よりも足数が多く出てよくボールが見えるやつ、ウィングから カミソリのように切り込むやつ……(中略)…役割分担が彼らなりに出来てきました。

 夏休みには箱根・仙石原中学での石神井中学全運動部共共の合宿、排水の良い…(中略)…
 一緒に早朝マラソンや体操をやり、一緒に練習をやり、一緒に風呂に入り、一緒に食事をし、一緒 に歌を歌い、きついが楽しい五日間でありました。 中学出の就職組も半数近くおり、少年時代の感 動の体験となったようです。」

「さて、いよいよ秋の東京都大会トーナメントとなり、いまやその強いあたりと鋭い突っ込みの迫力 に恐れられるようになった石神井チームは一年を経ずして小石川サッカー場での決勝戦進出となり ました。惜しくも洗練された相手チームに(2-1)で惜敗しましたが、今村先生共々、子供たちのはつら つたるプレーに喝采を送りました。
 だが表彰式での全日本コーチO氏の講評はひどいもので、「この石神井チームのプレーは雑すぎ る、大声を出し相手を威嚇することなどは紳士のスポーツであるサッカーの精神にもとる。」といわ れ、それから今村先生と痛飲し、「この子たちには、このサッカーが最高であった。なんのOめ!」と …・

「やがて学校の仲間にも認められ市民権を得た三年生部員は、「先生オレ高校でサッカーがやりた い。」といいはじめました。今村先生や有志の先生方の補習授業、私も家庭教師の代役、何人かはめ でたく、その頃サッカーに力をそそぎはじめた帝京高校などに入学できたようです。」…後略。

彼らは
「サッカーが面白いからサッカーだけは一生懸命やる」
「うまくなって自信がつくと、ますます一生懸命やる」
「その自分を合理化する,すなわち今までは何にも努力していない自分を合理化して教師・学校が悪 いからブラブラしているのは当然だとしていたが、一生懸命努力する自分を合理化して、努力が大切 という考えに変わってゆく」
「その延長にすべての生活態度にわたる改善があり勉強を始める部員たちが出てくる」
という段階を経て、「問題児」「ツッパリ」「不良」などといわれる段階を抜け出した事がわかります。  「楽しさ」と「生きがい」を求める子供たちの希望にそって適当なレールを敷いてやったので、子 供たちが自然に良くなり勉強するようになったのであり、多数の人々が想像するような熱血教師の名 演説・説得といったものとは無縁の指導という事になります。

 私の知る優れた部活動指導の例として、他の教師2人の指導を記します。いずれも初期実践ではな く、指導法が完成したときの指導です。 

 A  酒井一幸氏の公立中学ワンダーフォーゲル部指導
1. 荷物の重さは体力に並行するようにし、3年男子は1年男子の約2倍の荷物。
2. 南アルプス、八ヶ岳、奥秩父といった大きな山を登る夏休み登山では、部員がいくつかのグルー プにわかれて登る。 酒井氏は後からついてゆき、落伍者がでたらその荷物を持つ。
3. グループの責任者は3年生で、あらかじめ酒井氏に指定された場所で休憩し全グループ員に現在 位置確認の話し合いをさせる。 その場所が地図のどこにあたるか判定する手がかりはすべて酒 井氏が責任者に教えておき、話し合いのあとその場で責任者が全員に公開する。
4. どのテントにも1−3年生が配置され、3年が班長となりテント設営・撤去は3年が率先して模 範を示し、下級生に真似をさせる。
5. 冬には奥武蔵の低山でガイドブックに記載のない地域を選び、地形図に酒井氏が書いた一本の赤 線にそって、生徒達だけの力で歩く。間違えたら、しばらく歩いてから酒井氏が間違いである理 由を生徒達に教え、赤線のコースに出るようにする。
6. 大きな山にそなえて「オンブ階段登り」トレーニングをする。
7. 2年の林間学園では、酒井氏創案の「多数コース希望制・希望者による臨時班行動」となる。地 図を読む力に優れた優等生やもと餓鬼大将のリーダーを説得して、コース分担教師の補佐役とす る。 岩場があれば、通過指導員として部員を配置。 それ以外の部員は「鍛錬コース」のラッ プタイム記録係兼監視係とする。 鍛錬コースは他中学のコース(全員1コース)よりずっと長く高 低差も大きい一方、班行動だから教師の直接監視はない。山に慣れていない生徒達のオーバーペ ースが事故のもとになる(疲れると注意力が落ちる) ので、定点での監視を行い速すぎる班に警告 を与える。
 3年生と1年生.2年生との矛盾に対する方法論があり、部員の個性を尊重し、また部員全員に誇り を持たせるようになっています。それだけ部員たちの意欲と能力を引き出してはじめて、中学生でも 南八ヶ岳主脈テント泊全山縦走、奥秩父テント泊主脈全山縦走とか奥秩父東沢(中級コース)プラス3 年部員の奥秩父鶏冠尾根(上級コース)(小屋泊)の集団登山が可能になったと思われます。

    B. 増山良夫氏の公立中学軟式テニス部指導
  1. 原則として練習メニューは全員同一である(そのメニューについてゆけない場合の配慮は例外)
2. 学校対抗団体戦は強い者が出るから、3年の一部・2年のごく一部が出る事になってしまい、それ では全生徒が目標を持つ事にならない。 個人戦は普通の個人戦、新人戦(2年が出る)のほかに1 年対抗戦を区大会で行い、全員が練馬区大会での試合に参加できるようにする(提案者は同氏)。会 場のテニスコートだけでは間に合わないから、校庭に臨時コートを作る。
1. 部員が多いので、トレーニング組と実技練習組に生徒をわけて教師や先輩指導員が、多数の生徒 の実技を指導できるようにする。
4 出入り業者を通して、第一線で活躍するプレーヤーを招き、優れたプレーを見せる。
 また短時間でも全員と打ち合ってもらい、第一線プレーヤーの技術の素晴らしさを生徒に体感させ  る。
5 夏には部活動合同合宿があり、部活動に参加していない生徒も散歩会のような独自行事や部活動 合同行事である祭りに参加できる。その中には夜道を歩く生徒を仮装した卒業生がおどかすとい う「試胆会」もあったそうです。  エリート生徒だけでなく、全員が目標を持ち努力できるようにし、全員にテニスというスポーツの 技術の奥深さを感じさせると共にまた「下級生の中に上級生より上手な者がいる」ことから生じやす い諸問題がおきないようにしています。
 今村氏の場合と同じく、指導する部は毎年シード校になって当たり前となっています。
 氏は定年退職後東京都ソフトテニス連盟の役員になっています。

 酒井、今村、増山3氏の共通点として、卒業生ボランティアの参加があります。部活動が大変楽し かったから参加していると考えられます。

第一章「楽しいから勝手にまじめな努力をする」教育方法が学校教育で発見される
        第一節「学校教育をこの方法に切り替えた最初の中学教師」
 
第二節「楽しいから勝手にまじめな努力をする」教育方法を学校教育全体に採用した教師たち 
第四節 有志生徒運動の例と発生・成功の条件 
第二章 第一節 この方法による個人の指導 
第一節 部活動と勉強
 
第二節 エスカレーターコ−ス信仰は事実と合うか  
第三節 楽しいから勉強するようになるという指導はどこまで可能か 
第四節 勉強・努力の方法を考える